「伊藤詩織さん中傷ツイート訴訟、漫画家らに賠償命令」に寄せて。ヘイトを繰り返す〈心に生えている犬歯〉の根深さに絶望する

2021.12.6

伊藤詩織さんの訴訟をめぐって

11月30日、ツイッターの投稿で名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの伊藤詩織さんが漫画家のはすみとしこさんら3人を相手取り、慰謝料など計770万円の支払いと投稿削除、謝罪広告を求めた訴訟の判決が東京地裁で下されました。小田正二裁判長は、はすみさんに88万円の支払いを命じ、はすみさんの当該ツイートをリツイートした他2人に対しては、それぞれ11万円の支払いを命じたわけですが、わたしの感想は正直「たったそれっぽっち?」。

訴状などによると、はすみさんは2017年6月から19年12月にわたり、元TBS記者の山口敬之氏との間で性被害があったとする伊藤さんの申告について、それがあたかも虚偽であるかのような悪意あるイラストなど5件を投稿。伊藤さんは、これにより社会的評価を著しく低下させられたなどと主張し、また、男性2人によるリツイートについては、「ツイートに賛同の意思を示す表現行為で、責任を負うべきだ」と訴えていたわけです。

当該ツイートで一番よく知られているのが、「山口」と名札をつけたTシャツを着たロングヘアの女性が、かつて伊藤さんが山口と交わしたLINEに似せた文面を表示したスマホを手にしたイラストに、「米国じゃキャバ嬢だけど/私 ジャーナリストになりたいの!/試しに大物記者と寝てみたわ/だけどあれから 音沙汰なし/私にタダ乗りして/これってレイプでしょ?/枕営業大失敗!!」という文章をつけたもの。

はすみさん本人はこのイラストに「山口(ヤマ口)沙織~オシリちゃんシリーズ(計5作品)」の風刺画はフィクションであり、実際の人物や団体とは関係がありません。故に今回の地裁判決により作品を削除する意向は、当方にはございません。」(2019年12月19日)というツイートをつけて投稿していますが、笑止千万ですね。「風刺」というのは対象が存在して行われるものであり、にもかかわらず自分のイラストを「風刺画」と位置づけながら「実際の人物や団体とは関係がありません」とは、これいかに。こういうのを往生際が悪いというんです。

表現の自由の侵害を危惧する人たちの一部は「風刺画なのだから、この判決は不当」とするようですが、「風刺」というのはそもそも強大な力を有する者(個人、組織、社会)に対して行われるべきものであり、伊藤さんのように社会的地位の高い男性からのレイプ被害を訴え、そのことで誹謗中傷の嵐という二次被害をこうむり、PTSDによるフラッシュバックや鬱症状を経験した女性を対象にすれば、それは「風刺」ではなく単なる「いじめ」です。悪質なヘイト(攻撃表現)です。先に紹介したはすみさんのイラストをググって見てみてください。下品と悪意の塊(これを見て、大喜びして笑ったのが国会議員の杉田水脈だということも忘れてはなりません)。大事なことなので二度言いますが、これは風刺なんかじゃない、ヘイトです。

というわけで、伊藤さんが起こした、はすみとしことその同調者に対する名誉毀損の訴えが勝訴となったのは、ネット上にはびこる悪意による誹謗中傷やヘイト行為を許さない社会に向けての大事な一歩になったとは思いますが、賠償金の低さは気になるところです。こんな金額じゃ抑止力として機能しないのではないか。わたしはそれぞれ10倍に相当する賠償金を支払わせればよかったと考える者です。

コーエンが説く〈真の赦し〉の境地に

『おお、あなた方人間、兄弟たちよ』アルベール・コーエン/紋田廣子 訳/国書刊行会
『おお、あなた方人間、兄弟たちよ』アルベール・コーエン 著/紋田廣子 訳/国書刊行会

さて、香具師から酷い言葉を投げつけられた10歳のアルベール少年はどうなったか。彼は町を彷徨し、駅の有料便所に閉じこもって泣くことになります。自分や両親は香具師が言うとおり〈汚い民族で、どいつもこいつもろくでなしで、ひどく性質(たち)が悪い〉のだろうか、生まれてきてはいけなかったのだろうか。〈あの人垣を作っていた大勢の人たちは僕が追っ払われるのを見て、なぜ笑ったんだろう? あの人たちは僕が愛していた優しいフランス人だったのに〉〈だとすると、あの人たちは意地悪じゃないから、意地悪の僕を嫌ったんだ。僕はまさしく立派な意地悪なんだ、僕は生まれながらにして意地悪な宗教を奉じているんだ〉と、自分のことを自責のほうへと追いつめていくんです。

〈この私はたくさん愛し、愛されるのが好きだったのに、生く行く先、一生涯誰も私を愛してくれないだろうし、だから私が誰かを愛することはできないのだと今の今覚ったのだ。皆から嫌われ眩暈を覚え、首の血管はぴくぴく動き、喉では突然の衝撃が嗚咽を遮る、私はその有罪判決をじっと見つめ、恐怖から唇を舐めた。いつもユダヤ人だ、決して愛されないんだ、いつもユダヤ人だ、決して愛されないんだ〉と絶望するんです。
70の短い断章で成立しているこの本の中で、少年は自問自答と自責を繰り返します。そして、幼き日の自分を回想することで、77歳のコーエンはこんな境地に達するのです。

〈真の赦しをもって赦すとは、侮辱する者は死すべく定められている私の兄弟だと知ることだ〉
〈真の赦しをもって赦すとは、侮辱は止むに止まれぬものだったと理解することだ、そして、彼を理解することだ。哀れみと哀れみから生まれる思いやりにより、私は突然もう一人に、彼自身になったのだから、私は彼のことがわかるのだ、気の毒な侮辱をする者のことがわかるのだ〉

〈もしこの本が憎む人、死すべく定められている私の兄弟である憎む人をたった一人でもいい、変えられるなら、この本を書くことは無駄ではないだろう〉という意図から自伝エッセイを綴ったアルベール・コーエンを、わたしは深く尊敬します。コーエンが説く〈真の赦し〉の境地にも、至れるものなら至ってみたい、でも……。

ヘイトを繰り返す〈彼らの心に生えている犬歯〉の根は深く、被害者の「いずれ必ず死ぬという意味では彼らも私の兄弟なのだ」という広い視野ゆえの赦しによって抜けるもんじゃないという諦めから抜け出すのはとても難しい。伊藤詩織さんや彼女の支援者がはすみとしこを「兄弟」とみなして赦しても、はすみやその仲間たちは詩織さんへのヘイトを止めなかっただろうし、謝罪もしなかったとしか、今のわたしには思えない。

アルベール・コーエンの『おお、あなた方人間、兄弟たちよ』は、でも、だからこそ、ヘイトする人される人、われわれ人類の永遠の課題図書といえるんです。

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