二度とライフをハックするな〜知識をコケにするネオリベ的価値観

2021.9.20

文=ヒラギノ游ゴ 編集=森田真規


「メンタリスト」の肩書で知られるDaiGoが、2021年8月7日のYouTubeライブ配信でホームレスや生活保護受給者の人権を軽んじる発言を行い、各種メディアで大きく報じられた。

彼のみならず、彼と通底するネオリベ的な価値観を内面化した著名人は枚挙に暇がない。そして彼らの言葉遣いの端々からは、「知識」というものに対する同様の屈折したスタンスが窺い知れるのではないか。


時には土の話を

もうほとんどの人が忘れたころだろうけれど、メンタリスト(※)DaiGoがホームレスや生活保護受給者に対する浅薄な発言をしたライブ配信からこの記事の配信までまだ1カ月と数日しか経っていない。

学び改めると言っていた彼の今がどうなっているのか、気にならないわけではないけれど、この記事では彼単体の話をしたいわけじゃあない。彼は取り立てて非凡なところのないごくありきたりな短慮さの持ち主で、大勢いる彼と似たような人たちのうちたまたま彼に順番が回ってきたに過ぎない、そういう所感がある。

ああいう発想がなぜ生まれ、あまつさえ発言しても問題ないと判断されたのかを考える。よく言われているとおり優生思想が根差しているからというのはそれはそうなのだけれど、じゃあその根が張ったのはなぜなのかという「土」の話をしたい。

思い至ったのが、現代において知識というものがこれでもかというほどコケにされているのが大きな要因のひとつと言えるんじゃあないかということだ。そしてこの仮説のヒントになったのは、ほかでもないDaiGoの弟である松丸亮吾による兄の発言への「苦言」ツイートだった。

※メンタリストというのは手品のジャンルのひとつ「メンタリズム」を行う人のことで、大きな括りで見れば手品師・マジシャンの一種ということになる。肩書の響きから彼がアカデミアにおいて心理学を修めていると誤認する向きもあるように思われるが、彼は理工学部卒である。また、彼の醜聞によってメンタリズムを行うマジシャンたちに風評被害が少なからず及んでいるのでは、という懸念からこの注釈を書き添える。彼が件の発言に至った思想と本来的なメンタリズムの技術体系とは無関係である。

“本当の意味で頭がいい”自己像

繰り返しになるけれど、今回はDaiGo単体の話をしたいわけではない。あの手の発想が生まれ発言がなされる背景、つまりなぜこんなにも物を知らない人たちが知識人然として振る舞い、結果としてこんなにも堂々と有害性を発揮するに至るのかが本題。似たようなケースはいくらでもある。

なぜきな臭い噂の絶えないオンラインサロンが一定の支持を得つづけているのか。
なぜ再現性がないに等しいビジネスのノウハウを綴った有料noteが売れるのか。
なぜ付け焼き刃の知識をまとめた間違いだらけのYouTubeチャンネルの登録者数が伸びるのか。
なぜフェミニズムやLGBTのコミュニティでは要注意人物と目されているインフルエンサーにメディア露出や登壇の依頼が絶えないのか。
なぜなんの専門家でもない人が人生相談に応える無責任なコンテンツがなくならないのか。
なぜ曲解の余地すらないはずの明確に誤った認識に基づいて堂々とトランスジェンダーへのヘイトをつづけるのか。
なぜ渋谷駅前で毎日のようにワクチンデマ団体のパフォーマンスが行われているのか。
なぜ実家の親から陰謀論まとめ記事のURLが送られてくるのか。

そういう社会のあちこちにはびこるエラーの一因が、ポスト・トゥルースの時代の現代病とも言える「知識の軽視」にあるんじゃあないか、という仮説。

そう考えると、件の松丸亮吾のツイートが実に象徴的なのだ。

“論破”だ。
もちろん兄弟だからといって必ず同じような傾向の価値観を共有しているなんてことはない。ただ少なくとも、過去の彼らのやりとりを見ても、“これ”は彼らの間で共通言語として通じるものらしい。

他者の非人道的な行いを改めさせるにあたってすることが「対話」でも「説明」でもなく、専門書を読もうでも専門家に指導を仰ごうでもなく、カウンセリングや支援窓口につなげるでもなく“論破”、“マウントを取る”ことだということ。ここに現代の病理が端的に表出しているように思われる。

『超報復力 いじめる相手を徹底的に見返す方法』メンタリストDaiGo/PHP研究所/2021年7月

ディベートやディスカッションの訓練を日常的に積むことができないカリキュラムを受けてきたせいで、きっとこの国の少なくない割合の人が誤解したままなのだろうけれど、議論のゴールは勝敗ではなく、お互いの意見を交わすことでよりよい結論に至ることのはず。

自分の意見を押し通すことでも、言い負かす、つまりマウントを取って相手に敗北の味を“わからせる”ことでもない。

ただ、今の時代における知識の使われ方というのは“こう”なのだろうとしみじみ思う。今、知識はただ知識としてあるだけでは存在価値がない。物を知ること自体には価値が見出されない。“論破”や“マウント”といった勝ち抜くためのツールとして活用されて初めて有用性が証明される。

マウントさえ取れれば自分が知識人であると証明できる。

マウントのかたちはいろいろある。サロン会員が増えた、noteが売れた、「いいね」が何万件いった、有名人から好意的な引用リツイートをされた、箔のつくイベントに呼ばれた、スパチャにもっともらしい言葉を返せた。そういうそれぞれの成功体験を基に自信をつける。成功体験が得られてしまえば、正しさや適切さの是非は問題にならない。

DaiGoの件の配信ライブのアジェンダ自体、ひたすらに方方の人を“論破”してマウントを取ることだ。彼や大勢の彼と似たような傾向の価値観の現代人たちは、ずっとそうやって知識と向き合ってきた(あるいは向き合ってこなかった)のだろう。

彼らにとって知識は自分の勝ちに寄与するための道具なので、自分の優位性を示すためのものなので、マイノリティに対して攻撃性を見せるのは得心がいく。他人がマイノリティであること──優位でない属性を持っていることは、彼らにとって“チャンス”でしかないのだから。そこを攻撃すれば“勝てる”のだから。

こんなこと言ったらまずいんじゃあないのか? 自分の知識が及ばない部分で致命的な見落としがあるんじゃ?というブレーキも効かない。自分が実は圧倒的に物を知らないかもしれないという前提がないから。なぜならこれまで自分は“勝ち抜いて”きたので、知識がないわけがない。

そして、こういった知識を軽視する態度は、まじめに勉強して、真っ当に関心を持って正攻法に知識を身につけていく姿勢への冷笑にもつながる。こういった傾向は、社会的に評価の高い学歴や職歴を持つ人にも見られるし、そういった人々に同一化した、必ずしも同様の学歴や職歴を持たないフォロワーにも見られる。

自分はもっと“効率よく”、回りくどい努力なんかせず“うまくやっている”。学校の勉強なんてできなかったけど、勉強ばっかりしてたあいつらよりも自分のほうが“本当の意味で頭がいい”。あいつらじゃ辿り着けないような、自分だから知り得た世界の真実をネットで見つけたんだ。

そういうルサンチマンが透けて見えるときがある。

ただこの記事にしたって、なんら専門的に修めた領域のない、1人の物を知らない人間が書いたものだ。話題の性質上、特定の層への糾弾のニュアンスを帯びざるをえないことに戦々恐々としながら書き進め、最後までこれでいいのか確信が持てないままこうして世に出ている。 少なくとも自分の知識の至らなさに対する恐怖心だけは持ち合わせていたい。常に自分に跳ね返ってくることだから。

21世紀ネオリベの子


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