悪口を言うのは楽しい。だからこそ気をつけよう。(ラリー遠田)

2020.6.2

みんな、もっと自分の中の邪悪な部分に向き合えばいい

木村さんの一件を受けて、SNSでは「ネット上で他人のことを悪く言うのはやめよう」というもっともらしい主張が飛び交っている。しかし、残念ながら「私は過去に◯◯◯さんのことを『□□□』というふうに書いたことがあるけど、あれは今思うと一線を越えた誹謗中傷だったかもしれない。深く反省します」などという書き込みはまだ一度も見ていない。

みんな、自分が言う悪口は悪口だと思っていない。悪口がこの世からなくならない理由はこれだ。正義と悪は常に相対的なものであるにもかかわらず、人は自分が悪の側に立っているかもしれないとは考えもしない。

実は、正義を振りかざして他人を悪く言うのは楽しいことだ。だから、SNSではこの快感を味わいたくて仕方がない人たちが、今日も元気に正義の名の下に誰かの悪口を言っている。その悪口と木村さんに向けられた悪口には質としての違いはない。

みんな、もっと自分の中の邪悪な部分に向き合えばいいのに、と思う。人間にはもともと悪い心がある。他人を悪く言いたい気持ちがあるし、悪く言うのが気持ちいいという感覚がある。そのことをまずは認めよう。

認めた上で、やっていいこととやってはいけないことを区別して、やってはいけないことをやらないようにすればいい。邪悪な考えを頭に浮かべるのは悪くない。テレビを見ながら独り言で好き勝手に悪口を言うのは悪くない。でも、本人に直接それを向けるのはやめたほうがいい。ただそれだけのことだ。

木村さんを悪く言った人に対して「許せない」と思う人は、他人事としてそう考えるだけではなく、自分の中の悪と向き合う覚悟を決めたほうがいい。一人ひとりがそれをできていれば、このような悲劇は避けられたはずなのだ。

楽しむこと自体は悪くない。むしろ、楽しみすぎて我を忘れて没頭してしまうのは幸せなことでもある。ただ、そんな熱狂の中から生まれた小さな悪の火種が、テレビの力によって拡散され、ネットの力によって増幅され、取り返しのつかない悲劇を生んでしまった。

木村さんの事件から学ぶべき教訓は「悪口は言ってはいけない」ではなく、「悪口は楽しい。だからこそ気をつけよう」である。

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ラリー遠田

(らりー・とおだ)1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わ..

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