「死ぬこと以外かすり傷」の反対語は「目にうつる全てのことはメッセージ」だと思う。(川田十夢)


文=川田十夢 編集=鈴木 梢


この連載、もともと時評を書いてほしいというオファーだったのを思い出した。ほぐし水から素麺、素敵なお家から都市構想、給付金の素材となる租税からかすり傷まで。気になったことをピックアップして書く原点回帰な論考のはじまりはじまり。

ほぐし水の季節がやってきた!

緊急事態宣言の禁が解かれて、ぼちぼち日常へ回帰しようとする季節。気圧配置が変化し、日本は梅雨のシーズンへ。こうなってくると、質量やテクスチャをゴリ押ししてくる類の食事よりも、何か長くてさっぱりしたものを吸い込みたい。蕎麦も悪くないが、二八がどうとか、そば粉の割合をタイトルに配するところが野暮ったい。ここはつるっとシンプルな素麺を味わいたい。食の話はちゃんとしたタイミング(たとえば味ディスプレイを発明した明治大学の宮下芳明をラジオ『INNOVATION WORLD』のゲストに迎えるなど)(radikoで探せばまだアーカイブがあるはず)で訴求したいところだが、ひとつだけ。

三輪山勝という製麺所が出している『生そうめん』が、とにかくおいしい。素麺は、麺を細く伸ばしてゆく工程でどうしても油を使わざるを得ない。ゆえに少し変色してしまうし、のどごしが少しぬるっとする。三輪山勝製麺では葛を使うことで雪のような白さと小麦本来の風味と独特な歯ごたえ、そしてさわやかな後味を担保している。

テラスハウスの終焉とスーパーシティ構想

テラスハウス、実は全シーズン観ている。キッカケは、2016年から2017年に放送されていた『TERRACE HOUSE ALOHA STATE』に出演していた丹羽仁希ちゃんとのテレビ共演。それまではどこか他人事で、恋愛バラエティといえば、それこそ『ねるとん紅鯨団』だとか『パンチDEデート』とか、昭和の記憶で止まっていた。昭和、平成、そして令和へ。若者たちの恋愛模様は、変わってないようで変わっているし、変わっているようで変わっていない。決して豊かではない日本の経済状況のなかで、豪華な住まいと移動手段を与えられる。束の間の無重力。まだ何者でもない男女がそこで交わす会話と重ねる時間。台本のあるドラマやバラエティ番組では味わえない、確かなリアリティがテラスハウスにはあった。

最新シリーズの出演者のひとりが、自ら命を絶った。これによって、リアリティショーの在り方が根幹から問われている。ねるとんも、パンチDEデートも、視聴者の笑いを誘うことはあっても、殺意を招くことはなかった。いち個人に対して執拗にネガティブなリプライをした人間が悪いとか、ないはずの台本があったとか、番組の演出に問題があったとか。死者を出したことで社会問題化、さまざまな憶測と検証の記事が飛び交っている。

恋愛に没入するあまり変な感じに暴走してしまう若者たちに寛容だったチュートリアル徳井義実が抜けたことで、スタジオ収録部分のバランスが崩れて煽動的になったとか。短い矢印を指摘する声もわかる。その通りだと思う。でも、長い矢印で考えると、これはテレビが脈々と無自覚につづけてきた素人いじりの顛末であって、リアリティ番組だけの問題ではない。言われっぱなしの素人側にもフェアに持ち時間を与えるべきだし、言い分に耳を傾けるべきだった。

素敵なお家だったはずのテラスハウス。話題性や数字だけを追い求めるコンテンツの限界を露呈する形となったが、法案化されつつあるスーパーシティ構想についても留意が必要だ。守られるべきプライバシーの中身をまずは把握しなくてはいけない。その中には一人ひとり形が異なる心があり、それを支えるプライドがある。国が用意すべきは、素敵なお家でも素敵な車でもない。台本の有無を声高に宣言することでもない。用意すべきは素人(国民)は人間であり単なる素材ではないという大前提、そして大多数と異なる個性であっても率先して肯定してみせる寛容さだ。

母親の死、ワニの死、同等に流れるタイムライン。


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