6歳から始まった「なぜなぜ人生」
使わない椅子とテーブルの隙間に段ボールやら本やら発酵途中の液体やら壺やらが乱雑に積み上げられた工房で、カルロさんの発酵話はつづいた。麹菌のこと、発酵に使う材料のこと、地元経済のこと、環境問題のこと。7月の中部イタリアの、畑のど真ん中にある工房には冷房装置なんてなかったけれど、ぬるいコンブチャを飲みながら聞くカルロさんの発酵話はあまりにもおもしろくて、茹だるような暑さも気にならなかった。
カルロさんが発酵に目覚めたエピソードを聞いたときは、頭がいいとはこういうことか、と頭をガーンと殴られたような気分になった。まだ文字も読めなかった幼少期から料理に目覚め、母親と一緒にお菓子を作るようになったのは、「粉と卵がどうしてお菓子になるのかをおもしろいと思ったから」。
少し大きくなったカルロさんは、なぜパンは膨らむんだ、なぜ牛乳がヨーグルトになるんだ、発酵ってなんだ、なぜなぜなぜ、を突き詰めつづけた。そして家や図書館で本を読みまくったり、パン屋まで行ってなぜパンは膨らむのかをしつこく聞いたりして、発酵についての知識を増やしていったという。
私のような凡人はふんわり膨らんだパンを食べれば「ああ、ふわふわで美味しいなあ」と思い、「味噌とは発酵食品である」と教えられたら、あー、そうなんだ、と納得して終わってしまう。ところがマエストロになるべく生まれたカルロさんは、そうでなかったというわけだ。思春期になって、同世代の友達がアルコールに興味を持ち、大人に隠れて酒を飲み始めたころ、カルロさんは隠れて自宅のガレージで醸造し、爆発事故を起こしたりしていた。さいわい怪我もなく、火事にもならずにすんだという。
そろそろコウジの世話をしなきゃ!
そんななぜなぜ人生だったが、イタリアで発酵の第一人者として認められ、2016年に工房「CibOfficina」(チボフィチーナ)を立ち上げるまでの道は、けっして簡単で平坦なものではなかった。発酵の勉強をしているだけでは食べていけないので、いろいろな仕事をした。ピザ屋やパン屋で職人として働いたり、食とまったく関係ない仕事もした。アメリカの発酵の第一人者が書いた書籍を翻訳するという仕事は、翻訳の仕事がしたかったのではなく、自分の知識のために引き受けた(英語も堪能なカルロさんであった)。
生まれ故郷の近くにあるミシュラン星つきレストランのシェフに、発酵の話をしに会いに行っても、出てきてさえもくれないことがつづいた。ところがあるとき、できたばかりの味噌を持っていったら態度が変わったという。大物のシェフにはカルロさんの味噌が、タダものじゃない、ということが伝わったのだ。そのころから、イタリア国内の有名レストランのシェフたち何人もが、カルロさんの発酵調味料を使うようになり、イタリア各地で発酵を教えたり、語ったりする機会も増えていった。
イタリア発酵界の大物になった今も、普段は、工房にしている使わなくなった元レストランの厨房で、いろいろな豆や穀物や野菜を発酵させ、実験をして、新しい商品をコツコツと作りつづけている。そろそろコウジの世話をしなきゃ、と立ち上がり、別れを告げたそのうしろ姿は、科学の不思議にワクワクして、食事もそっちのけで実験をつづける少年カルロそのものだった。
花のような香りがする味噌を味わいに
トリノの自宅に戻ってから、ひとつ忘れていたことをメッセージで聞いてみた。
「海外に輸出はしているの?」。
すると、「地つづきのヨーロッパには送っているよ、でも日本までは送ったことがない。送料高くて、どうなんだろうね?」という答えが返ってきた。
大量生産をしないカルロさんの味噌を、日本のどこかの商社がバーンと輸入する、そんなことはあり得ない。だから日本で手に入れたければカルロさんのオンラインショップで直接買うしかないのだが、一瓶8ユーロの味噌に何倍もの送料をかけるのはばからしいんじゃない? そう言っているように聞こえた。いつかイタリアを旅行することがあって、ヴィテルボの近くを通るようなことがあれば、花のような香りがする味噌を味わいに寄ってみる。そんな目標が人生のやりたいことリストに加わったら、素敵じゃないだろうか。
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