第165回芥川賞全候補作徹底討論&受賞予想。評価激突!「氷柱の声」に泣いたマライ「貝に続く場所にて」にドイツ人として違和感

2021.7.14
芥川賞サムネ

7月14日、第165回芥川賞が発表される。小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、平野啓一郎、堀江敏幸、松浦寿輝、山田詠美、吉田修一の9名の選考委員による本家選考会にさきがけ、書評家・杉江松恋と文学を愛するドイツ人、マライ・メントラインが全候補作を読んで徹底討論、受賞作を予想する。

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■第165回芥川賞候補作
石沢麻依「貝に続く場所にて」(『群像』2021年6月号/講談社)初
くどうれいん「氷柱の声」(『群像』2021年4月号/講談社)初
高瀬隼子「水たまりで息をする」(『すばる』2021年3月号/集英社)初
千葉雅也「オーバーヒート」(『新潮』2021年6月号/新潮社)2回目
李琴峰「彼岸花が咲く島」(『文學界』2021年3月号/文藝春秋)2回目


いきなり激突!「貝に続く場所にて」

杉江松恋(以下、杉江) まず、それぞれのイチオシと受賞予想を挙げておきましょう。

マライ・メントライン(以下、マライ) わたしは、イチオシも予想も「氷柱の声」です。

杉江 私はイチオシが「水たまりで息をする」、受賞予想は「貝に続く場所にて」です。
分かれましたね。

『貝に続く場所にて』石沢麻依/講談社
『貝に続く場所にて』石沢麻依/講談社

「貝に続く場所にて」あらすじ
ドイツ・ゲッティンゲンに留学中の〈私〉は、街にやって来た野宮を出迎える。野宮は大学時代の友人だが、9年前の東日本大震災で津波に呑まれ亡くなったはずだった。街には人々が失くしたさまざまな持物が流れ着いてくる。都市に漂う死者の影とそれを見守る生者たち。

マライ 「貝に続く場所にて」については言いたいことが多いです。芥川賞の「東北・震災テーマ2篇」のうちの1篇。東日本大震災と東北が根本テーマです。トラウマを抱えた震災体験者である主人公が、ドイツを触媒として自己のアイデンティティや世界との接点を回復していく。なお、後半はいくぶん(E・T・A・)ホフマンみのある幻想文学に推移してゆきます。この作者さん、ドイツ在住なんですよね。冒頭に出てくるゲッティンゲン駅前の駐輪場の情景描写が素晴らしい。物質と観念の戦いのような融合のような、あれは「観念が質量や圧を持つ」というドイツの空気感を端的かつ奥深く示していて見事です。実際、あの駐輪場は地域の名物らしくて、ウィキペディアもあります。

マライ・メントライン
マライ「『貝に続く場所にて』については言いたいことが多いです」

杉江 駐車場の描写はいわゆるグロテスク風でいいですね。

マライ 「残された人たち」が「断ち切られた命と記憶」という問題にどう向き合い、消化し昇華させるかという話で、それはいいんですけど、登場するドイツ人キャラクターの中身が非常に浅いのが気になります。唯一、内面に深みを感じさせるドイツ人キャラとして、ウルスラというカリスマ主婦みたいな、宇宙における役割として『ヨコハマ買い出し紀行』のアルファさんぽい宿命を背負ったおばちゃんが出てくるんですけど、彼女は中身が完全に日本人なんですよ。

『ヨコハマ買い出し紀行』<1巻>芦奈野ひとし/講談社

杉江 中身が日本人というのはどういう意味でしょう。ウルスラはラテン的だな、とは思いました。運命論者的というか、なんか巫女さんみたいでもあって。

マライ ドイツ性と巫女は、正直、相性激悪です。たぶんほかの若いドイツ人キャラは、作者の実体験に基づく存在だと思うのです。ウルスラは、作者の脳内理想女性像っぽい。あの物わかりのよさは、ドイツ人から見て「都合よ過ぎるだろー」的に感じてしまう。ただまあ、それは致命的に悪いことではないと思うのです。真の問題はもうちょっと別のトコにあります。日本における東日本大震災の記憶に対する、ドイツ側の「断ち切られた命と記憶」の象徴的触媒として「躓きの石」、ホロコーストで殺害されたユダヤ人たちの住居跡の標識プレートがピックアップされるんですけど、ここにドイツ人として強い違和感がありました。「躓きの石」は根本的に「疎外されるべきでなかった他者に対する贖罪」の象徴であり、東日本大震災に対置するのであればそうではなくて「身内的なものの喪失」に絡む何かが適切だろうと思うんです。第二次世界大戦後シベリアから帰還しなかった家族や東方からの追放者とか、旧東独の暗部を示すものとか、という話になります。第二次世界大戦は遠い昔の話ではなくて、そうした「喪失」の記憶が風化しないためにも、ドイツでは戦争教育をやったりテレビで特番を流したりしているんです。そこを作者がスルーしているのはちょっと萎える。ドイツ暮らしで何を見ているのか? 

杉江 ああ、なるほど。

マライ 語り手は、自身の震災体験をドイツ人たちに話していない。だからドイツ人たちもそれに噛み合う話を仕掛けてこないんですけど、なんだかズルい気がします。その結果、「大きな喪失体験から大きな世界観と全知感を紡ぎ出すことができるのは、日本人、それも震災体験者」みたいな偏狭さがそこはかとなく香ってしまうわけですから。思考力と想像力のあるドイツ人にそのへんをマジに語らせると、小説に許される量を逸脱してしまうから避けたのかもしれない(笑)。

杉江 そこは近現代史を初等教育から徹底して学ばれていて、直近の戦争に関する記憶を風化させないでいるドイツの方ゆえの批判ですね。確かに、同じ大量死の記憶ながら、自然現象である震災と戦争とを安易に結びつけていいものかという疑問はあります。

マライ もうひとつ、ドイツうんぬん以前の問題が実はあります。本作と同じ問題意識を持つ作品としてNetflixの番組で、もっとすごいのがあったんです。『未解決ミステリー』という世界の事件を扱ったシリーズですけど、東日本大震災のあと、津波被害の地で囁かれた心霊現象についてものすごく深掘りをした『波にさらわれた魂』という1篇があって、実に圧倒されました。まさに「断ち切られた命と記憶」と「残された人たち」そしてその両者を介在する「触媒」の関係を現象面から真摯に解いていく内容で、科学哲学的に素晴らしい作品でした。深く想起することの大切さ、それが死者と生者の世界回復にとって決定的な意味を持つ、ということが自然に胸に沁みてきました。「貝に続く場所にて」のフォーマットで書き得る内容が、もっと納得できるかたちで、深く、見事なかたちで示されていた。

『未解決ミステリー』予告編 - Netflix

杉江 映像芸術と文章で構築される小説とではやれることや評価ポイントが異なって然るべきなので、単純に比較するのは適切ではないと思いますが、なるほどです。私が本作を受賞候補の筆頭にするのは、小説としてのイメージのふくらませ方が芥川賞的だな、と思ったからです。今回は、直接的ではないにしろ、ほとんどの小説が震災と10年後のコロナウイルス問題について言及していました。語り手の声が明確にテーマとしてそれを語るものもありました。そこを直接的に攻めるのではなく、記憶を媒介するものは何かということへの思索が中心になるのが本作の美点ではないでしょうか。ひとつはもちろん言葉であり、もうひとつはその記憶を導き出すために必要な「持物」(アトリビュート)です。作中では、言葉の定義で「惑星」であることを否定された冥王星のプレートが復活することで、失われた物が漂着してくるというような現象が起きる。

マライ 確かに、あのマジックリアリズム的な構造性はよいと思いました。

杉江 人間は言語をもってしか考えられないということ、記憶が風化することなく存在するのは供物という具体的なものを媒介するからであるということ。そうした心のメカニズムを描くことで、10年前の震災の記憶について書いた小説なのだと感じました。そのほかにもこれもドイツ特有の森林志向ですとか、惑星図を模したゲッティンゲンの都市構造ですとか、複数の意味体系が主人公をめぐる関係に重ねられていて、そのへんのデザインが芥川賞好みであるかな、と。小説としての好みは別として、そこを評価した次第です。好きなポイントは、さっきホフマン的とおっしゃった、主人公たちが巡礼のように都市の中を歩く場面です。ここは今回の候補作中最も完成度が高い文章の連なりだと思います。芥川賞は文体実験の場でもあるので、そこは評価すべきかと。ただ、マライさんの指摘された短絡的なイメージの結びつけは、ことが震災と戦争という重要な社会テーマであるだけに、大きな減点ポイントになりそうな気がします。選評での言及に注目したいですね。

マライ あと気になるのが、寺田寅彦の起用はプラスなんでしょうか? 「自分が好きでコダワリを持つ者ども」の集合体で巧みにオレ的な閉回路を作っただけではないかな? という疑問を私はちょっと感じてしまったのですが、文藝業界的には評価されるんですか?

杉江 寺田寅彦はピンとこなかったですね。地球物理学者だから呼び出されたのでしょうけど、正直これなら手塚治虫でもエドモンド・ハミルトンでもいいじゃん、と思った次第です。文学の素養がなくてお恥ずかしい。

「氷柱の声」の弱点を補って余りある「文芸の力」


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杉江松恋

(すぎえ・まつこい)ライター、書評家。『週刊新潮』などのほか、WEB媒体でも書評連載多数。落語・講談・浪曲などの演芸にも強い関心がある。主要な著書に、『読みだしたら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』『路地裏の迷宮踏査』、体験をもとに書いたルポ『ある日うっかりPTA』など。演芸関係では..

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