『いつ高』シリーズの幕開け
そんな時期から『いつ高』シリーズをつくりはじめて、作品との向き合い方も変わりました。ひとつの作品だけで完結することに違和感が出て、作品を超えたつながりや作品の外側での「出会い」も意識するようになった。いわき総合高等学校の生徒たちと一緒に『魔法』という作品をつくったのもこのころです。高校生と2週間一緒に過ごして作品をつくるなかで、演劇という活動自体に出会いと別れが含まれていることに気づかされました。
17年から18年にかけて上演した『BGM』『父母姉僕弟君(再演)』『マジカル肉じゃがファミリーツアー』という「旅3部作」シリーズにはそんな意識の変化も表れていて、(疑似)家族のような「集団」のあり方に関心が向いていきました。
“公私混同”を超える新しいロマンス
10周年を迎えた2019年の『はなればなれたち』と2020年の『四角い2つのさみしい窓』を通じてバラバラな存在が一緒にいられることを考え続けたことで、今はようやく集団の呪いから解放された気がしています。その結果、今は再び恋愛をどう描けるのか興味が湧いてきているんです。かつての恋愛至上主義的な考え方も、ある時代では人気があったけど、今はその価値観自体が疑われている。新海誠さんや岩井俊二さんの作品は今もすごく好きだけれど、自分は「青春」や「ボーイ・ミーツ・ガール」をずっと描き続けることはできないと思ったんです。このままでは清潔なものや恋愛じゃない関係性しか書けなくなる気がするから。
ただ、これがすごく難しい。2019年に『腐女子、うっかりゲイに告る。』というドラマの脚本を書いたことで自分の想像力の限界に気づかされて。非当事者が当事者であるかのようにセリフを書くのって暴力的だから、自分じゃないものを書くことが難しくなっているなと。非当事者であることを受け入れながら、恋愛をどう描けるのか考えたいんです。ただ恋愛ではプライベートな関係についても公的なもののように攻撃される「公私混同」が起きがちで、恋愛を描くことそれ自体が暴力性を帯びる危険性もある。そうすると恋愛じゃない関係性にたどり着いてしまいがちなんですが、恋愛でもいいし恋愛じゃなくてもいいと言いたいんですよね。ややこしいですけど……。
たとえば、作品をつくるうえではなにか特定の恋愛の形や関係性を描かざるをえないと思うんですが、べつにその恋愛のあり方が正しい/間違っていると表現したいわけではありません。だからといって、あたかも「恋愛」が存在しないような世界を描くことも避けたくて。こうした公私混同という問題とロマンティック・コメディという題材を結びつけて考えることで、ボーイ・ミーツ・ガール的ではない、新しい恋愛や新しい場のつくり方を見つけていけるんじゃないかと思っているんです。
ロロ いつ高シリーズファイナル 2本立て公演
2021年6月26日(土)~7月4日(日)
東京都 吉祥寺シアター
脚本・演出:三浦直之
vol.9『ほつれる水面で縫われたぐるみ』
出演:板橋駿谷、亀島一徳、森本華、多賀麻美、重岡漠
vol.10『とぶ』
出演:板橋駿谷、亀島一徳、篠崎大悟
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