『恋人はアンバー』同性愛が違法でなくなってから2年後。社会と性自認に悩むふたりの友情の行方
たった2年前まで法律が同性愛を禁じていた国で、自身の性的思考が同性愛だと気づいたらどうするだろう。そんな時、同じ悩みを抱える友人に出会えたらどんなに心強いだろう。
現在公開中の映画『恋人はアンバー』は、社会と性自認とで葛藤する主人公ふたりが、かけがえのない友情を築き上げる作品である。
今回は、そんな青春映画をレビューする。
※この記事は『クイック・ジャパン』vol.163に掲載のコラムを再構成し転載したものです。
生きるための噓と傷とともに
ときに、クリエイターたる者は自伝的な色合いの濃い作品を発表する。特に小説と並んで映画は、“核”となる個人の体験の掘り下げが「表現の強度」につながることが多い。では、監督&脚本デイヴィッド・フレインの自伝的な『恋人はアンバー』はどうか。
故郷であるアイルランド共和国の東部キルデア州を舞台にし、時代設定を1995年と定めた、この映画の原題は『Dating Amber』。主人公は、自身がゲイであることを受け入れられていない高校生のエディ(フィン・オシェイ)で、アンバー(ローラ・ペティクルー)のほうは性自認はしているものの、レズビアンである事実は隠しているクラスメイト。
性格も趣味もまったく違うふたりだったが、田舎町の保守的なコミュニティのなかで生きてゆくため、そして自らを守るために“偽装カップル”となる。なにしろアイルランドはつい2年前―1993年まで同性愛が違法だったのだ。周囲の目、根づいた考え方はそう簡単には変わらない。
つまりはエディがデイヴィッド・フレインの分身キャラというわけだが、曰く、劇中の大体のエピソードは本当に起きたことだという。エディの父親は軍人で、卒業後は期待に応えるべくアイルランド軍へ入隊するつもり。しかし体力はなく、心根もマチズモとはほとほと縁遠い。一方のアンバーは逞しくアグレッシブ。「みんなはオアシスに夢中だけど、(ライオット・ガールの象徴)ビキニ・キルこそパンクそのもの」と言ってのけ、早々に町を出て、ロンドンへ行く気満々だ。
デイヴィッド・フレインにとってこれは2本目の長編作品にあたり、彼が当初考えていた題名は『Beards』。直訳すると“あご髭”で、スラングとしては「ゲイと結婚している女性」の意に。できればこの、自分をさらけ出した作品でデビューしたかったが資金繰りの関係でいったん断念し、別企画のゾンビ映画『CURED キュアード』(17)になった。
が、思えば主演のエレン・ペイジ(2020年にエリオット・ペイジに改名)は“クィア・アイコン”ではないか! しかも時間を置くことで、過去の実体験に対し、ユーモアを盛り込んで映画的なふくらみを持たす視座も手に入れたよう。観客次第によって、コメディにもシリアスなドラマにも見える作品を放ってみせたのだ。自分に嘘をつき続け、“恋人”アンバーをも傷つけてしまうエディが後年、デイヴィッド・フレインとなって本作を撮る……と想像すると映画の最後の選択に、グッと胸が熱くなるはずである。
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『恋人はアンバー』
監督・脚本:デイヴィッド・フレイン
出演:フィン・オシェイ、ローラ・ペティクルーほか
配給:アスミック・エース
提供:Watcha Japan
11月3日(木・祝)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開!
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