「戦争が終わった日に、戦争は終わらない」3年ぶりの再演で手触りが一変した野田秀樹×QUEEN『Q』。悲劇の“その後”を生きる者たちにできること
野田秀樹が率いるNODA・MAPの第25回公演「『Q』:A Night At The Kabuki」が、東京・ロンドンでのワールドツアーを経て、10月7日より新歌舞伎座での大阪公演をスタートさせた(10月16日まで)。
本作は2019年に初演された舞台の再演で、イギリスのロックバンド「QUEEN(クイーン)」の楽曲が次々に鳴り響き、『ロミオとジュリエット』の“その後”の物語が「源平合戦」の姿を借りて紡がれている。
「『Q』:A Night At The Kabuki」の東京公演を観たライターの折田侑駿は、今回の再演は初演と“手触り”がまるっきり変わったと感じたという。この3年の間に、我々が生きる世界はいかに変化してしまったのか──。
※この記事は舞台「『Q』:A Night At The Kabuki」の結末までの内容を踏まえて書かれたものです。未見の方はご注意ください。
目次
初演とはまるっきり印象が変わった『Q』
映画や演劇、あるいはテレビドラマ、小説、音楽などの諸作品が生み出されたその時代と、それから歳月を経た時代とでは、個々の作品の受容のされ方がまったく異なるということが多々ある。ひとつの作品が生み出されるのに時代背景は大きく影響するものなのだから当たり前だ。時代が変われば社会が変わり、その時代/社会を生きる人々も変わる。
たとえば、今かつての戦意高揚映画は受け入れられないし、差別思想を宿した作品は当然ながらキャンセルされる。80年代に大衆にウケていたものだって、価値観の変化や現代のコンプライアンスの観点からまったく歓迎されなかったりする。もちろん変わったのは作品ではない。時代であり、私たちだ。これぞ社会の変革による人類の進歩というものだろう。
このような変化を掴むには、時代の流れをフラットに感じられるようでなければならないし、せめてある程度の期間、社会と密接に関わる必要がある。ここ数年の社会の変化は目まぐるしく、まさに「激動」といえるものだ。ほんの数年前と現在とでは、あらゆる作品の手触りがまるっきり変わってしまった。
野田秀樹率いるNODA・MAPの「『Q』:A Night At The Kabuki」は、観客にこの感覚を鮮烈に体験させるものである。
NODA・MAPにとって第25回公演となった本作は、2019年に上演された第23回公演の再演だ。メインのキャスト・スタッフ陣は初演時と同じであり、もちろん戯曲も同じ。再演とあって、作品の完成度は前回よりも確実に上がっている。しかしそれ以上に、その手触りが異なる。
そう、この3年の間に社会の様相が一変したからだ。
イマジネーション豊かな「恋愛悲(喜)劇」
英国のロックバンド「QUEEN」の頭文字をタイトルに冠した本作は、1975年にリリースされたQUEENのアルバム『オペラ座の夜』から野田が得たインスピレーションを演劇作品として立ち上げたものだ。物語のベースには『ロミオとジュリエット』があり、野田の作品らしいイマジネーション豊かな「恋愛悲(喜)劇」が展開する。
なにせ、舞台は12世紀の日本であり、世界中の誰もが知るフィクショナルな恋物語は、日本の史実にある「源平合戦」の姿を借りているのだ。ロミオのモンタギュー家は「平氏」に、ジュリエットのキャピュレット家は「源氏」となっている。
荒唐無稽といえるほど奇想天外な作品のため、ざっくりとあらすじに触れておきたい。
ある日、平の瑯壬生(たいらのろうみお/志尊淳)と源の愁里愛(みなもとのじゅりえ/広瀬すず)は出会い、たちまち恋に落ちる。しかし悲しいことに両者は、一族同士が憎しみ合う関係にある。ふたりは一緒になるための策を講じるのだが──というところまでは、何かしらのかたちで『ロミオとジュリエット』に触れたことがある方ならばイメージできるだろう。「源平合戦」の姿を借りているものの、そこは同じである。しかし本作は、“その後”までを描く。憎しみ合いの果てに犠牲となった、若い男女の運命の“その後”を──。
重なり合う楽曲と物語
開幕直後にまず鳴り響くのは、名バラード「Love Of My Life」だ。「『Q』:A Night At The Kabuki」という謎めいたタイトルからは、果たしてどのような物語が展開するのか想像できない。しかしこれを耳にした際、間違いなく恋物語なのだと確信できるはずである。そんな始まりなのだ。
瑯壬生と愁里愛の現在と過去、そして未来までもが交錯する本作は、その仲を引き裂かれ、長い時を経た「それからの瑯壬生(上川隆也)」と「そらからの愁里愛(松たか子)」が愛を交わし合った5日間を追想するかたちで始まる。つまり本作は、“ふたりの瑯壬生”と“ふたりの愁里愛”によって語られていくわけだ。
現在、過去、未来が交錯する──と聞けばひどくややこしいもののように思えるが、そういうわけでもない。ある地点を“現在”と定めれば、自ずと“過去”と“未来”が生じる。ふたりの瑯壬生とふたりの愁里愛は、常に誰もが“現在”を生きながら、そのときどきで“過去”と“未来”の認識が変化していくのだ。
野田作品らしい大胆な言葉遊びの横溢(おういつ)ぶりは健在だが、本家の『ロミオとジュリエット』のセリフが引用に近いかたちで取り入れられていることもあり、野田の生み出す愛の言葉も非常に詩的である。だからこそ、ハイテンションで繰り出されるナンセンスギャグの数々も際立つというものだ。
「Seaside Rendezvous」「I’m In Love With My Car」「Death on Two Legs」「Good Company」「The Prophet’s Song」「God Save The Queen」──と、映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)の大ヒットもあったため、おそらく誰もが一度は耳にしたことがあるであろう名曲が次々に鳴り響いては物語を彩る。というより本作は楽曲ありきのため、オペラのように一曲一曲から物語が紡ぎ出されている。野田が『オペラ座の夜』から得たインスピレーションで本作が生まれたことは先に記しているとおり。改めて歌詞を読んでみれば、いかに楽曲と物語が重なり合っているかがわかるだろう。
「Bohemian Rhapsody」などは特にそうだ。平の瑯壬生と源義仲(橋本さとし)が刀(銃の形状をしている)を交える場面である。
本家の『ロミオとジュリエット』でいえば、この義仲はティボルトというキャラクターに当たる。ジュリエットのいとこだ。よく知られているとおり、ティボルトはロミオの友人であるマキューシオを殺し、それに激昂したロミオは親戚になるかもしれなかったティボルトを殺してしまう。それがそのまま「源平合戦」にトレースされているのだ。やがて後悔の念に苛まれる瑯壬生の心情と「Bohemian Rhapsody」は固く結びついている。
これが『Q』で描かれる悲劇の始まりだが、その背景に大きな憎悪の感情が渦巻いていることが悲劇の根源であるのは言うまでもない。
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