私たちは、もはや“14歳”ではない──『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』レビュー
日本社会のひとつの分水嶺となった1995年に誕生したアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。
そのシリーズの完結編となる『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は2021年1月23日に公開を予定していたものの、新型コロナウイルスの「感染拡大の収束が最優先であると判断」され、1月14日に公開の再延期が発表された。
ここでは《ヱヴァンゲリヲン新劇場版》第2弾となる『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を、現在の視点から捉え直したレビューをお届けします。
進化や深化に必要だった明確な【違和感】
『:破』は、世界映画史に輝く傑作だと確信している。初公開時以来、久しぶりに再見したが、破格にして超絶の佇まいは、やはり屹立していた。
テレビシリーズをほぼ踏襲していたかに映った『:序』とは対照的に、のっけから劇場版だけの新キャラクターが登場する。メガネっ子。どちらかと言えばスレンダーで淡白なエヴァキャラたちとは一線を画する「意識高い系」の女の子。
熱狂的なエヴァファンからは嫌われそうなグラマラスなありように、『:序』以上の本気を感じる。そうだ、そうなのだ、古いファンの郷愁として消費されるのを拒んでいた『:序』の姿勢をさらに押し進め、敢然と観客に問いかけている。
お前はいいのか? このままで!
現状維持の保守派を蹴散らしにかかっている。この新キャラ(いや、シン・キャラか)の導入にはさまざまな要因が考えられるだろう。『:序』の項で述べたように、これからの若者を観客として意識するならば、1990年代からは様変わりしたアニメーションのストリームにも対応するべきであり、伝統芸能としてのエヴァも、アップデートは当然。
さらに言えば、旧世代に対する、明確な【違和感】の植えつけが画策されていたように思える。もちろん【違和感】は、進化や深化に必要なものだ。
私自身、このシン・キャラは当時、好きになれなかった。だが、今回、見直してみて、考えが変わった。これは、佳き【違和感】である。この【違和感】によって、シンジを、レイを、アスカを、観る者は新たに見出していく。比較するのではなく、エヴァ村の住人に相対性が導入された。構造が複雑化したのではなく、むしろ円滑化しているのだと思った。
どのキャラのどこに愛着を持つかというのは、本来些細なことである。そうではなく、大局的に、エヴァをアップデートしようと考えたから(タイトルの表記が地味にころころ変わるのも、その表れなのだろう)、【違和感】から『:破』を開始した。鮮やかな英断である。
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