いつもの自分なら辿り着かなかった「わんど」の風景
「ここらへんでそろそろ駅前に戻ろうかな」と、これまでの自分なら思っていたであろうところも、今日の私は不安な方向へグングン進んでみる。特にあてはないが、胸を張って進もう。すると公園のような場所に出て、木立を抜けてさらに進んでいくと淀川の土手に出たので驚いた。
空が広くて気持ちいい。秋の日差しをキラキラと跳ね返す水面に見惚れながら、川沿いを歩く。
芝生の広場に石のベンチが置かれていたのでそこに腰かけて、こんなこともあろうかと途中のコンビニで買ってリュックに忍ばせておいた缶チューハイを取り出す。「川沿いで缶チューハイを飲む」という行為は普段自分が好んでしていることなので“じゃないほう”では全然ないのだが、いつも選ばない「シークヮーサー味」のチューハイを買ってきたのでよしとしよう。
しばらく風に吹かれて幸せを噛みしめたあと、淀川沿いを下流に向かってずっと歩く。途中、「わんど群」と表示された案内板があり、いつもの自分ならスルーしてしまっていたかもしれないところだが、指し示された方向へ行ってみると、川の本流とは別に池のようなものが現れ、そのあちこちに釣り人たちの姿が見えてきた。
「わんど」とは「湾処」とも書き、川岸にできた水の淀み、溜まりのことなのだという。淀川には大小の「わんど」が45カ所もあり、それぞれに環境も異なり、別々の生態系が維持されているそう。国の天然記念物に指定されている「イタセンパラ」という希少な淡水魚も生息しているそうだ。
釣り人たちが思い思いの場所から「わんど」に釣り糸を垂らしている風景もまた、今日の自分でなければ見つけられなかったものだろう。
さあ、そろそろ帰路につこう。河川敷から町へとつづく階段をのぼっていく。
いつもの自分ならどこかで一杯、お酒でもひっかけて帰りたいところだが、今日はたまたま見つけた豆腐屋さんの軒先で豆乳を飲んで帰ることにする。豆乳をひっかけて帰るなんて、“じゃないほう”の自分よ、あっぱれだ!
豆腐も1丁購入して家に帰り、そこに醤油をかけて食べながら気づく。私はいつも選びがちな木綿豆腐を買ってきてしまっていたのである。木綿と絹の二択。ここは絶対に絹を選んでおくべきだった……。気を抜くとすぐにいつもの自分に戻ってしまうみたいだ。
というかそもそも「特に目的地を決めず出発して、川沿いをチューハイを飲みながら歩いて帰ってきた」という一日って、ほとんどいつもの自分と同じじゃないか……。ひょっとしたら“じゃないほう”の自分とは、自分とよく似ているけどほんの少しだけ違う、兄弟のような双子のような、親友のような、そんな存在なのかもしれない。
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登場する酒場:中津「いこい」「はなび」、天満「但馬屋」、西九条「玉や」「金生」、「風の広場」「大阪城公園」、淀屋橋「江戸幸」ほか多数関連リンク
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