移ろうこと、それを知ること――『青のフラッグ』完結に寄せて

2020.6.4

1.トーマの告白とヘテロノーマティビティ

ここからは作中の具体的なエピソードを4つ挙げて論じることで、個々のキャラクター描写における検討の丹念さを検証していく。

まず挙げるのはトーマの告白だ。

告白のシーンでは、トーマは「好きだ」と伝えたあとに笑って「ごめんな」と言う。また、その直後の回想シーンでは、トーマと太一が手をつないで過ごした幼少期の思い出の数々が描かれたあと、手をつなごうとする太一をトーマが「女子みたいで変じゃん」と言って制した初めての瞬間が描かれる。このふたつのシーンは、トーマが自身のセクシャリティと向き合い戦ってきた歴史の最新の瞬間と最古の瞬間だ。

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トーマの告白シーンが収録されている『青のフラッグ<第6巻>』

なぜ愛を伝えるときに謝らなければいけないのか。なぜ男の子同士が手をつなぐことに抵抗を感じたのか。これらはヘテロノーマティビティ(異性愛が“普通”であるという規範意識)によるものだ。“男が男を好きなんておかしい”のに、告白なんかして“気持ち悪い思いをさせて申し訳ない”という抱くいわれのないはずの自罰意識からの「ごめんな」。

そして回想シーンでは、おそらくこの直前の時期に自身のセクシャリティについて気づきがあったと推測でき、自分が太一(男)に恋愛感情を抱いているのを認めたくない、“男が男を好きなんておかしい”という意識から、より“男らしく”あろうと、しばしば女性的なコミュニケーションとされる「友達同士で手をつなぐ」という行動を拒否する。

このふたつのシーンの特筆すべきところは、これが一種の“あるある”だという点だ。何かというと、実社会でもトーマのように、ゲイ男性が異性愛者以上に強固な異性愛規範を持っているケースがあるということ。

ゲイであることを隠す・否認する上で“男らしく”あらねばという自責から、男性性がオーバードライブしたような振る舞いに至る。少女漫画などの女性向けとされるコンテンツを過剰に忌避したり、ホモフォビア(同性愛嫌悪)を内面化して同性愛を想起させる言動に対し中傷・冷笑的な態度を取る。アメリカのドラマシリーズ『glee/グリー』でも、ゲイの男子生徒が自身のセクシャリティを受け入れられず、異性愛者を装ってオープンリーなゲイの男子生徒を責め立てる姿が描かれた。

こうしたリアリティがあるからこそ、トーマの言動は重く響き、残る。

さらに言えば、トーマからの告白を受けて動揺する太一が恋人である二葉に電話をかけ、自身の異性愛(規範)を確認するように「オレは二葉が好きだよ」と伝えるシーンは、もしこれをトーマが聞いたら……と想像すると張り裂けそうになる、生々しい痛みを伴うものだ。

2.健助とフォビアの多層構造

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