嫌われることを恐れて、人の評価を気にしてしまう。周囲の才能ある誰かと比べて、自分のことを否定してしまう。10代で上京して芸能界に飛び込み、常に多くの人の視線に晒されてきた長濱ねるは、ずっとそんな自分を好きになれなかったという。
でも、いつからかネガティブな自分を許せるようになった。肯定できなくてもいい、嫌いな自分のことも受け入れることができれば、少しだけ呼吸がしやすくなる──。
新たなチャレンジを始める社会人や学生・フレッシャーズたちを応援するFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」プロジェクトで、今の彼女が“18歳の頃の自分”に宛てた手紙にはそんなメッセージが書かれていた。

1998年生まれ、長崎県出身。2015年から2019年までけやき坂46および欅坂46で活動。グループ卒業後、俳優として活動する一方、ラジオのナビゲーターも務める
日々を生き延びるだけで精一杯でも、社会とつながりを持ち続けるために。その正直で誠実な言葉に耳を傾けよう。長濱ねるもあなたと同じく、毎日を一生懸命に生きている。
目次
まわりからの評価が怖かった18歳の自分へ
──今回、長濱さんには18歳の頃の自分に向けて手紙を書いてもらいました。長濱さんはどんな18歳でしたか?
長濱 当時はアイドルグループの一員としてデビューして仕事を始めたばかりで、右も左もわからない中でとにかく必死で毎日を過ごしていました。やはり高校生の頃と違って、社会人になると言動や行動の一つひとつがすべて自分の評価につながってしまう。それが少し息苦しく感じました。
周りの声ばかり気にし、自分がどんな人間なのか、自分は何が好きなのか、何もかもがわからなくなり混乱していたように思います。
長濱ねるの手紙より抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」supported by FRISKより)
耳に入る励ましの言葉は全て綺麗事に聞こえ、人を遮断していましたね。
──誰かに評価されることに窮屈さを感じていた。
長濱 高校生の頃も「こういうことを言ったら嫌われるかも」みたいなことはけっこう考えてしまうタイプだったのですが、社会に出ると人間性への評価で仕事の量が変わるし、会ったことのない人たちからのイメージまでも変わってしまう。それで当時の自分は戸惑っていたし、周囲から評価されることが少し怖かったと思います。

──まわりと同じようにしなきゃ、という窮屈さもありました?
長濱 うーん、それよりも「自分の個性を早く見つけなきゃ」と焦っていたと思います。まわりの人たちと違う個性を求められる仕事でしたし、自分だけの強みを探すことに必死でした。
──「人と違うこと」が求められる芸能界の仕事を選んだことに対して、今の長濱さんはどう考えていますか?
長濱 子どもの頃、芸能界に入るのは考えてもみなかったんですが、「今いる場所とは違う場所に行ってみたい」と思ってこの世界に飛び込んで。結果として、同世代のクリエイティブな人たち、刺激をもらえる仲間と出会えたことは本当に奇跡だと思います。

当時は「いつメッキが剥がれるんだろう」「誰かの期待を裏切ってしまうかもしれない」と思って毎日必死でしたが、大人になってようやくあの頃の自分を俯瞰して見られるようになりました。
変わらない自分も、受け入れられるようになった
──当時の自分を客観的に見ることができるようになったきっかけは?
長濱 なにか大きなきっかけがあって、というよりも、年齢と共に少しずつ俯瞰できるようになったんだと思います。ネガティブでまわりの目を気にしがちな自分を無理に変えようとするのではなく、そういう部分も受け入れるようになりました。そうするようになってから、すごく楽になった気がします。

──なかなか大変じゃないですか? 「自分のことが嫌いな自分も受け入れる」って。
長濱 よく「自分のことを愛しましょう」って言われますけど、自分を否定してしまったり、誰かと比べたりしてしまう私の性格はたぶんこの先も変わらないと思って。10代の頃から「どうやったら変われるんだろう」ってずっと悩んで、考えて……もう考え尽くしたな、って思ったんです(笑)。
いい意味で変わることをあきらめたというか、変わらない自分を許すことができました。先輩や仕事で出会った人の言葉や、読んだ本からも少しずつ影響を受け、「そういう自分でいてもいいんだ」と思えるようになりました。

──無理に、ポジティブな「長濱ねる」でいなくてもいい、と。
長濱 そう思います。「人からどう思われてもいい」って80%くらいは思えるようになったというか。
以前は、インタビューで発した自分の言葉が曲解されてしまったり、意図と違う捉え方をされてしまうと「違うんです、そういう意味で言ったんじゃなくて……」と必死に否定しようとしていました。しかし、受け取る人によって感じ方が違うのは仕方がないので、わざわざ「違うんです」と言わなくても、ドンと構えられるようになりました。
何回でもやり直しできる。過去の選択を納得できるものに
──手紙の中で「行動に移すことの利点は、選ばなかった選択肢を忘れられること」と書かれているのが印象的でした。10代の頃の長濱さんが「選ばなかった選択肢」には、どんなものがあったのでしょうか。
「実際に行動に移すことの利点は、選ばなかった選択肢は忘れられることである」
長濱ねるの手紙より抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」supported by FRISKより)
何をしたいのか迷っている時は、一つずつ選択肢を潰していったらいい。
やってみると、違ったなという判断もできるので、その選択肢はもう済マークを押せます。
長濱 あのまま進学して、就職して……という人生のほうがよかったのかな、自分に向いていたのかな、とは何度も悩みました。でもこの言葉に出会って救われたというか、すごく生きやすくなった。合わなかったら辞めてもいいし、途中で引き返したっていい。
もともと古風なところがあったので「一度始めたことはやり遂げなきゃ」「途中でやめるのはカッコ悪い」と考えていましたが、尊敬している大先輩から「好きなことなら無理してがんばることも時には必要だけど、好きじゃないことを無理してがんばるのは無駄だよ」と言っていただけて気持ちが楽になりました。

──いい言葉ですね。
長濱 そうですよね。今は、たくさんある選択肢を縦に並べて、一つひとつやってみる……というイメージを持っています。私だったら「文筆活動をやってみたい」と思ってエッセイを書いてみたり、お芝居も苦手意識はあったけど「一回やってみよう」という気持ちで飛び込んでみたり……。
文筆の仕事もお芝居の仕事も好きですが、始めるときは自分に向いているかどうかもわからなかったので、「苦手かもしれないけど、一度やってみよう」という気持ちは大事だと思います。
──たしかに、やってみないと好きかどうかわからないこともありますよね。長濱さんが先輩の立場になったら、進路選択に悩んでいる後輩にどんな言葉をかけてあげたいですか?
長濱 「何回でもやり直しはできるから、焦らないでいいよ」と言いたいですね。
一般企業に勤めている友達ともよく話しますが「一回の就職活動で、一生付き合う仕事を選ぶなんて無理だよね」って。ひとつの選択で人生のすべてが決まるわけではないですし、親の世代よりたくさんの選択肢がある世の中になってきています。
学校が合わなかったら休学してみてもいいですし、仕事が向いていなかったら違う仕事を選んでもいいと思うんです。過去の選択は変えられないけど、自分の中で過去の選択の意味を見出すことはできると思うので。

──過去の選択を、自分で納得できるようにする。
長濱 はい。私は20歳でアイドルグループを辞めてから、少し経って心の余裕が出てきたときに「もうちょっとアイドルもがんばれたな」「ちょっと辞めるのが早かったな」と思ったんです。
自分で決めたことだったので誰かに言うのは恥ずかしかったんですけど、23歳のときに当時のスタッフさんに会って、やっと「正直、もうちょっとやれたかもしれないです」と伝えることができて。そのスタッフさんは「大人になったね」と言ってました(笑)。それが、自分にとってはすごく変化を感じた出来事だったんです。
過去は変えられないけど「あのときに辞めたから今がある」と思えるようになったし、過去の選択を自分の中で納得できるものにすることができた。だからこそ「どんな選択をしてもいいんだ」と思えているのかもしれないです。
とにかく生き延びたら、どうにかなるから
──手紙の中に書かれていた「サボりながら! なんとなくでいいから生き延びてください」という言葉もすごくいいなと思って。長濱さんにあまりサボるイメージはない気がしますが。
決して自分を肯定できなくてもいい、ありのままを受け入れて認めてあげられると、少しだけ呼吸しやすくなるかなと思います。
長濱ねるの手紙より抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」supported by FRISKより)
サボりながら! なんとなくでいいから生き延びてください。
長濱 サボりますよ! 仕事というよりはプライベートのほうです。
自分の生活を大事しながら、適度にサボって続けていくほうが、仕事のパフォーマンスも上がると思います。とにかく生き延びたら、どうにかなるから。
──なるほど。それでも気分が落ち込むときは、どんなふうに過ごしていますか?
長濱 家の中で、大好きなものに囲まれて過ごしています。最近はブライアン・イーノの音楽をよく聴いてます。そういう穏やかな音楽をかけたり、好きな家具を集めたり、美術館で買ったグッズを飾ってみたりして、自分の家を大好きな空間にする。そうすれば大変なお仕事も「家に帰るまでがんばろう!」と思えるし、家を安全なシェルターにすることでリラックスできるんです。

──特に最近は暗い気持ちになるニュースも多く、なかなか前向きになれないことも多いですよね。長濱さんは今の社会のムードをどう考えていますか?
長濱 今の世の中は、解決しないといけない社会の課題が山積みで、身近なところでは労働環境や物価高の問題などもあり、ずっと前向きでいるほうが難しいと思います。
なので、苦しいときやうまくいかないときに、自分のせいだとは思ってほしくないし、社会のせいにしていいと思います。いい意味で社会のせいにしながら、社会に関わっていく権利は行使していくというのが、自分も生きやすくなる道だと実感しています。
例えば社会を少しずつ変えるために投票に行ったり、自分ひとりでもできることはきっとあると思います。この暗い世の中で生きてるだけでがんばっているよ、と本当に思うので。

──「社会のせいにしてもいい」、すごく救われる言葉ですね。一方で長濱さんは昨年の「東京2025デフリンピック応援アンバサダー」や『news zero』(日本テレビ)の火曜日パートナーをはじめ、社会貢献への取り組みも積極的にされています。社会に対しての自分のつながり方や責任の取り方も意識しているのでしょうか。
長濱 社会に対して、自分が全部を変えることはできないのですが、何かひとつ興味があることや自分に貢献できることだけは責任を持って向き合いたいと思っています。
今までは、興味があっても勉強不足だったり、誰かを傷つけてしまったり、そういう経験もしてきましたが、今はきちんと勉強して向き合える範囲で、社会とつながっていきたいと思っているんです。
──自分の手の届く範囲で。
長濱 はい。たとえば『newszero』の火曜日パートナーを担当させていただいたとき、知らないことに対して不安はありましたが、専門家の方に質問したり、素直な言葉を発信したりすることで、(視聴者の方にも)問題を知ってもらうことができる。そんなふうに社会に関わっていくのが自分の役割だと感じました。

──お話を聞いて、同じように社会で働く多くの読者の方々も前向きになれる言葉だと感じました。長濱さんがこれから5年後、10年後に挑戦したいことはありますか?
長濱 そうですね、いつか児童書の普及に関わる仕事がしたいと思っています。もともと児童書が大好きで、子どもの頃からたくさん読んできたからです。
最近「おすすめの本を紹介してほしい」と言われたとき、自分が好きだった本を紹介して、「読んでみたら、とっても好みでした」と言ってもらえたときにすごくうれしくて。今のお仕事も続けながら、児童書を広めるお手伝いができたらいいなと思っています。
FRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」プロジェクト

新たな一歩やチャレンジを前向きに踏み出すことを応援する、FRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」プロジェクト。2025年は、長濱ねる・宇垣美里・空気階段・藤森慎吾・ゆっきゅんなど、11組のアーティストやタレント・クリエイターが「あの頃」の自分に宛てた手紙を執筆。

手紙の内容について、CINRA、J-WAVE、me and you、ナタリー、NiEW、QJWebでインタビューやトークをお届け。直筆の手紙全文は4月10日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『#あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される。
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