また、当初は“下”に見られる傾向にあったYouTuberも今や無視できない存在になってきた。芸人たちも次々に参入。自分たちの意見や表現をストレートに見せることができるツールでもあるため、今後ますます重視されていくだろう。
そして10年代末期、これまで若手にチャンスがないと言われてきた中でハナコや霜降り明星が賞レースを勝ち獲ったことで、「お笑い第七世代」と呼ばれるムーブメントが生まれた。お笑いを世代でくくることはナンセンスではあるが、こうした名前がついたからこそ、まだ20代が中心とする若い世代がテレビでチャンスを得ているのは紛れもない事実。テレビのお笑いの風景が確かに変わろうとしている。
2020年代展望:世間と乖離した表現は笑えない。“新世代によるお笑いの多様化”へ
19年末、『M-1グランプリ』で優勝したミルクボーイやファイナリストとなったぺこぱらの漫才によって「誰も傷つかない笑い」というフレーズが脚光を浴びた。
いわく、これからは「傷つかない笑い」の時代だ、と。
しかし、「誰も傷つかない笑い」などというのは、本来成立し得ないものだ。笑いというものはどこかに必ずイジメ的構造、差別的要素が含まれる。一見、「誰も傷つかない」ように見えてもどこかに傷ついている人がいないとは限らない。だからといって、「傷つけない笑い」を否定したいのではない。かつてはゲイの人たちを「オカマ」などと侮蔑的に言って笑いを取っていたが、今そんな風に笑いをとろうとする芸人はほとんどいない。
それは倫理的にダメだという以前に、もうそれでは笑えないからだ。世間の意識と乖離した表現は笑えない。セクハラやパワハラなど各種ハラスメントや差別やコンプライアンスに配慮しなければ広く支持を受け、大きな笑いを生むことは難しい。「あれ? これは倫理的に大丈夫?」と視聴者が思った瞬間、笑いにつながらなくなってしまう。それがノイズになってしまうからだ。だから、笑いを優先していけば、「傷つけにくい」笑いへ指向していくのは自然なことなのだ。
「女芸人」に対する見方や扱い方も少しずつではあるが変わってきた。これまでテレビにおける女性芸人は、「かわいい(美人)」か「ブス」「デブ」(か「おばさん」)しかいないこととされてきた。そして、ほぼ間違いなく容姿や年齢についてイジられる。これは一部の男性芸人に対する「ブサイク」「イケメン」イジりとはまったく違う。男性芸人にとってそれがほんの一部分の要素であるのに対し、女性芸人の場合、本人が望む、望まないに関わらず、それが占める割合が不必要に大き過ぎるからだ。かつては「ブス」(あるいは「ブス」に仕立てあげた人)を「ブス」とイジれば笑いが起きた。だが、いまや不快感のほうが先に来ることが多くなった。
「自虐」的な笑いにも注意が必要だ。バービーは「私はバービーちゃんがブスだと思っていなくて、私も同じぐらいだと思っていたのに、私がデブやブスと言われている気がしてすごくショックだった」などという声が寄せられてハッとしたという。
「自虐してるっていうことは、その物差しを持ってるわけじゃないですか、結果として。『ここからここはいじっていい・ダメだ』とか。すべての人が平等とか言ってるわりに、自虐の物差しが許されるのはおかしいなと思って」
(TBSラジオ『ACTION』19年8月30日)
繰り返すが、だからといって「誰かを傷つけてしまう笑い」や「自虐ネタ」が完全に否定されるものでもないし、なくなるわけでもないだろう。大事なのは、それをいかに意識しているかだ。「イジり」と「イジメ」は違うと主張し、愛があればイジってもいいんだと信じて無批判にそれを行うのと、「イジり」も「イジメ」も本質的には違わないと自覚した上で相手や周囲への影響を配慮し、ひと工夫を加えて行うのとではやり方やそれを見た印象はまったく違うはずなのだ。
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