2020年代の「テレビの笑い」【後編】天下が消滅し、多様化の時代へ


時代と共に変遷していく「おもしろさ」

現在、「お笑い第七世代」と呼ばれるような若い世代が注目を浴びるのも、そういったコンプラ的な意識や価値観が当たり前に備わった上で、自分たち流の新しい笑いを生み出そうと模索しているからだろう(もちろんそれは「第七世代」のような若い世代に限らないが)。彼らの多くはプロになる前から学生お笑いなどでキャリアを積んでいる。最近では養成所に通わず学生お笑いからそのままプロになる芸人も増えてきた。これまで養成所によって純粋培養された芸人は価値観が画一化されがちと批判されることもあったが、それとは違うルートでプロへの道が開かれれば、さまざまな価値観を持った芸人たちが生まれてくる可能性が広がっていくだろう。

コンプライアンスなどでテレビでは規制が厳しくなりおもしろいものが作れなくなった、という言説はよく聞くが、先鋭的な作り手ほど、「そんなことはない」と否定する。時代と共に許される表現が変わっていくのは当たり前のこと。それといかに向き合いながら、まだ開拓されていない部分を見つけ笑いを作っていくか。それはいつの時代も変わらない、と。一方で現在のネット番組の中には「地上波のテレビではできない」という謳い文句で過激な表現や前時代的な価値観でつくられた番組があるが、昨今のSNS等の動向を見れば、早晩、それは地上波並み、いやそれ以上に激しい批判にさらされることになることは想像に難くない。

「おもしろさ」は時代と共に変遷していく。それは1990~2010年代のたった30年間を振り返ってみただけでも明らかだ。やれることが狭まっているのではなく、これまでが“笑いとはこういうもの”と狭くなりすぎていたのではないか。新しい世代に注目が集まるいま、社会の成熟と共に、笑いがより多様になっていくかどうかの分岐点になるだろう。


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てれびのスキマ

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てれびのスキマ

1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。