終戦直前の日本を舞台にした『映画 太陽の子』が、2021年8月6日より公開中だ。原爆開発に勤しむ研究者の兄、建物疎開で家を失った妹のような存在の幼なじみ、戦地に赴く息子を心配する母、そんな3人に笑顔を向ける束の間の帰還兵。演じるのは三浦春馬だ。
ライターの相田冬二は、三浦春馬の“笑顔”に出逢うたび「笑顔とは何か」と考えさせられるという。俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第10回、三浦春馬論をお届けする。
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人はなぜ笑うのか
最新作『映画 太陽の子』が公開されている三浦春馬。彼はここで、束の間の帰還兵を演じている。
最終盤に差しかかった太平洋戦争。しかし、当事者たちにとってそれは終局ではなく、希望などどこにもないにもかかわらず、戦うしかない。
戦地と故郷の往復。往路を終え、復路に入るまでの、ごくわずかの滞在期間を、三浦春馬は表現している。
研究者である兄、兄が想いを寄せている幼なじみ、そして、毅然と揺れ動きの狭間にいる母親。三浦春馬は、そのすべてに微笑みかける。
出兵することなく原爆開発という大義名分に明け暮れる兄のうしろめたさを慮るように、彼は笑う。幼なじみの前では、それに相応しい快活さで、母に対しては、よけいなことを考えさせないようにシンプルに、笑みを浮かべる。
笑顔とは、何か。
この映画に偏在する三浦春馬の多様な笑顔に出逢うたびに、そのことを考える。
人は、なぜ、笑うのか。
なんのために、笑うのか。
三浦春馬は、見つめれば、見つめるほど、哲学的な思考に誘う、稀有な演じ手だ。
“芸風”を手離した表現者
三浦春馬には、トレードマークと言ってもいい、チャーミングな笑顔がある。顔全体がくしゃっとなるような、単純な線で描かれたマンガを思わせるあの笑顔は、けっしてどの作品でも見られるわけではないが、一度見れば深層心理に残り、再会するたびに安堵することになる。
ああ、三浦春馬だ。
そのような感慨がもたらされる。
しかしながら、彼は、この笑顔を己の持ち味にして、そこを基点として演技を形成しているわけではない。チャームを基盤として、そこから逸脱したり、遠くに行ったりして、結局は還ってくる。この手法は芸能者であればオーソドックスなことである。演じ手にせよ、芸人にせよ、歌手にせよ、人気商売であれば、多かれ少なかれ客に媚びる必要はあるわけで、こうしたスタイルがたいていは、芸風というものになる。
芸風とは、表現者が自分自身をわかりやすくするためのイントロデュースである。また、ほとんどの観客も、それを求めている。芸風は、あったほうが手っ取り早い。
三浦春馬には、そのような芸風がない。いや、ないのではない。意識的に、抑止している。おそらくは、封印している。
あの、唯一無二の、オリジナリティあふれる笑顔を有していながら、芸風と感じさせる振る舞いは見当たらない。そして、ここが最も不思議なことだが、あの、三浦春馬でしかない笑顔に遭遇するたびに、私は、彼が芸風を手離している表現者であることを体感する。
そして、想うのだ。
非凡な俳優だ、と。
笑顔に安堵しながら、想うのだ。
この人は、この笑顔をよりどころにはしていない、と。
だから、あの笑顔に再会することは、いつだって、新鮮なのだ。
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