子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも2歳の子供がいる稲田豊史氏。
第12回は、“実験”のために子供を4人作ったという50歳男性。育児中心の生活の中で、「母性」について感じることがあるという。
開成高校から東京大学の文科一類に進学し、塾講師を経て、現在は家庭教師の職に就く田野井潤さん(仮名、50歳)は、ほぼ専業主夫。収入の大半は「かなりの高給取り」である妻の理菜さん(仮名、48歳)に頼り、自身は4人の子供たち──中1女子、小5男子、小3男子、小1女子──の育児に専念する。住まいは東京都心区のマンションだ。
「昔から子供は嫌いだった」という田野井さんだが、塾の仕事を通じて生じた「できない子って、なんでこんなにできないんだろう?」という疑問を解消するため、「実験」として子供を作ったのだという。
果たして答えは出た。子供たちは生まれつき持ち合わせている「エネルギー量」が違う。それが少ない子は、なにかにつけ「できない」のだ。エネルギー量自体は、本人や親の努力によって後天的に変えることができない。
4人を乳幼児のころから育て、地域のママ友・パパ友たちと密接なコミュニケーションを取り、小学校のPTAでは副会長になって6年目になるという田野井さん。
10余年にわたる育児中心生活を経て、「母性」について感じていることとは何か。そして、今でも「子供嫌い」である事実は、4人の子供たちの「育ての親」であることと、どのように両立しているのか。
※以下、田野井さんの語り
「専業主夫」に抵抗がない
僕はひとりっ子ですが、2歳から4歳くらいまでの間は、ほとんど父に育てられました。
うちの父はけっこうフラフラしている人でして。学生時代は演劇にかぶれ、卒業後も就職せず、見かねた伯父があてがってくれたお店の雇われ店長として、しばらく働いてたんです。
母とはほとんどナンパに近いかたちで知り合い、父としては結婚する気はまるでなかったけど、母に押し切られて結婚したそうです。
そういう父ですから、仕事は長続きしない。僕が小さいころもそんな感じだったので、母からは「だったら子供の面倒を見ててよ」と。ただ、社会人としてはダメ男だったけど、まめで家事はなんでもこなせるし、料理も作れる人でした。
僕は父のそんな姿を見て育ったので、今、男である自分が一手に育児や家事を担っていることについては、なんの抵抗もありません。僕の世代では珍しいかもしれませんね。
「母性」と「当事者性」を履き違えるな
第一子誕生以降、育児は基本的に僕の担当です。保育園の送り迎えも、ワンオペの食事も風呂も、4人分やっています。その点は、ほかの家の専業主婦の方と違いはないでしょう。4人もいると、小さいころに予防注射をそれぞれ連れていくのが大変、といった「子供多いあるある」もひととおり経験しました。
その経験を通じて、強く思うことがあります。女性に固有とされる「母性」、あれにまつわる言説って相当眉唾ものですよ。
よく、男女の性差的な文脈で「お父さんは、赤ちゃんが夜中に泣きそうになっても気づかない。お母さんは気づいて目が覚める」とか言われるじゃないですか。でも、あれって脳の性差というよりは、単に当事者性、意識の高さの問題だと思うんですよ。
僕はもともと子供が嫌いな人間ですし、特に女性性が高いとも思わないけど、2年ごとに赤ちゃんがいた時期は、隣でほんのちょっとでも動く気配がしたら、「ほぎゃっ」て泣き出す直前に目が覚めていました。その子のすべてを握ってるのは自分だという責任感があるから。それは性差じゃない。
寝室で一緒に寝ている理菜のほうが、明らかに「気づかない」けど、批判するつもりはありません。これは役割分担です。妻は連日鬼のように働き、家計を支えている。赤ちゃんに関しては、僕がやってくれると思っている。それでいい。
「うんちをしても、パパは気づかない」って愚痴も世間のママからよく発されますけど、当然ながらうちの場合、妻より僕が先に気づく。子供とのコミット量、接触時間が理菜より僕のほうがずっと長いので、当たり前です。
だから男性が「母性ってすごいね」と言ってるのを聞くと、イラッとします。違う違う、性別固有の能力差じゃないよって。経験値でしかない。母性でもなんでもない。
だから、母性を根拠にした「女性のほうが育児に向いている」は、明らかに間違いだと思います。
「完母」だと父親が育児できない
ただ、生物学的に女性がおっぱいを持ってるのは、強い。強すぎると思います。母乳を出せる人に、男は絶対に勝てません。これはズルい。
だから、もしお父さんとお母さんが子供を「一緒に」育てたいんだったら、完母(完全母乳)は絶対にだめです。
完母に慣れた子供はミルクを絶対に飲みません。母親が常におっぱいをあげてないといけなくなるし、常におっぱいのストックを用意しておく必要もある。
つまり母親不在では乳幼児の世話ができない。あるいは、かなり制限されてしまう。一緒に育てたいんだったら、最初から母乳とミルクの混合、または完ミ(完全ミルク)とすべきです。
だから、もしお母さんの強い希望で完母を選ぶんだったら、生まれてから最初の1〜2年にお父さんが育児しないのを責めるのは、やめてほしいです。個人的には、完母信仰はヤバいと思います。妻にそういう信仰がなくてよかったですよ。
あと、これは持論というか経験則ですが、おっぱいに頼る女性のほうが、むしろ抱っこは下手だったりします(笑)。男はおっぱいに頼れないから、抱っこだけで赤ちゃんをなだめる技術がめちゃくちゃ向上するんですよ。
自分は意外と人間的だった
30代も後半になれば、人生全体の見通しもだいたい立ちます。僕はその時期に子供を作ったことで、人生が確実に「味変(あじへん)」しました。実験による子作りによって、探究心と知的好奇心も大いに満たされました。
父親になった男性の中には、子供を作った理由として「自分の遺伝子を残したかった」とか「自分の死後も子供という存在に自分の一部を継承した何かが残ることは、救いであり希望である」みたいなことを言う人がいるじゃないですか。この連載の過去回にもいましたよね。
それ、まったくわかりません(笑)。自分の何かを、自分が死んだあとに残したい? 一切、ありませんね、そんな気持ち。自分が死んだあとなんて、どうでもいいでしょう。考えたこともない。理菜も同じだと思います。
遺伝子云々という話も、たしかに僕の遺伝子は優秀なので(笑)、残してもいいかもしれません。でも一方で、「実験」として子供を作ろうなんて発想する人間が、遺伝子を残しちゃいけないんじゃないか、とも思います。そこはもう、客観的に。
僕はもともと子供が嫌いだったし、今でもむしろ好きではありません。ただ、子供を持って初めてわかったことがあります。自分は意外と人間的だったんだなと。
子供が生まれてみて、子供の幸せについて考えている自分に、僕はびっくりしたんですよ。こんなこと、予想もしていなかったので。たぶん妻もです。夫婦で動揺してるんですよ。こんなに子供が大事になるなんて。
「実験」のために子供を作ったのは確かですが、子供たちには「うちに生まれて運が良かったな」と思ってもらいたいし、そう思ってもらえるように育てたい。
だから、子供たちから「なんで産んだの? 産んでほしくなかったよ……」と言われないためにはどうすればいいか、いつも考えています。もともと塾では、生徒たちにとってできるだけマイナスが少ない未来を与えたい、というスタンスで教えていましたから、その延長ではあるのでしょう。
この気持ち、「子供嫌い」と矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、僕の中ではまったく矛盾していないんですよ。
わかります?
「顧客」としての子供
※以下、聞き手・稲田氏の取材後所感
取材中、田野井さんは何度も「子供嫌い」であることを口にした。そのことと、4人の子供の育児を意欲的にこなしている態度は、一見して矛盾する。しかし、田野井さんの次の言葉が、ひとつのヒントであるように感じた。
「家庭教師をやっていて、母親側の狂気を感じるときがあるんですよ。子供に対する理想の押しつけがすごい。地味な虐待だと言ってもいい。子供は母親の持ち物じゃないんですよ、と説教したくなる母親はかなり多いんです」
もしかすると、田野井さんの言う「子供好き」には、「自分の一部(持ち物)として好き」といったネガティブなニュアンスが含まれているのではないか?
であるならば、前編で田野井さんが達した結論「子供の性質は生まれながらにだいたい決まっていて、教育で変えることはできない。その根本たるエネルギー量は最初から決まっている」に照らし合わせれば、たしかに「子供嫌い」と言えるのかもしれない。幼いころから勉強に苦労したことがなく、開成から東大に進学した田野井さんからすれば、子供ほど不完全で思いどおりにいかない、「イラッとする」存在はないからだ。好ましい状態からほど遠い「持ち物」を身につけるなど、不快極まりない。
しかし、子供を肌身離さず身につける「持ち物」ではなく、サービスを提供する「顧客」として捉えるなら、どうだろう。田野井さんの高い能力によって顧客が満足を得、それがまた田野井さんの充足感を満たすのだとしたら、「子供は嫌い」と「うちに生まれて運が良かったなと思ってもらいたい」は両立する。
顧客の幸せを第一に考える、有能なサービス提供者としての専業主夫。それが田野井さんの選んだ父親像なのかもしれない。
もはや子供を作る際に、その「動機」から問われてしまう現代日本において、田野井さんはひとつの見事な、隙のない「動機」を提示した。常人が田野井さんと同じような能力と経済的環境を持ち合わせられるかどうかは、別として。
【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?
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