「手のかかる子供でごめんね」重症アレルギーの芸人息子が親に“一番伝えたいこと”

文・イラスト=ちびシャトル 編集=高橋千里


平均の約100倍の“アレルギー数値”を叩き出し、0歳から30歳まで異常なほどのアレルギー反応と闘い続けてきたピン芸人・ちびシャトル。今回は、両親に「お笑い芸人になりたい」と伝えた日のことを振り返り、アレルギー持ちの自分を育ててくれた感謝を綴る。

※本記事は、ちびシャトルさん個人の経験・感想であり、診療行為ではありません。必要な場合はご自身の判断により適切な医療機関を受診し、主治医に相談してください

初めて親に「お笑い芸人になりたい」と言った日

重度のアレルギー持ちの自分が、初めて親に「お笑い芸人になりたい」と言った日は、もう13年も前になりますかね、ぼんやりと覚えています

13年も前ってびっくりしますよね、未だ売れてない芸人にも、芸人になる前のそんな日があるので、参考までに

うちの親は、僕が高校生のときに離婚しているのですが(父親が実家を出て、母親とそのまま自分は実家に残るかたちで)

不思議と、兄の結婚式、姉の姪っ子たちの七五三や運動会、自分が実家に帰ったときには、いまだに両親も集まっていまして

もう二度と会いません!のような離婚ではなく

書類上では離婚していて、別居もしているけども

いまだに“家族行事では集合する”という、離婚してはいるが近くに両親はいるといった感じの、フラットな離婚でした(フラットな離婚てなんやねん!!)

健康面、金銭面…不安要素が多い「芸人」という仕事

高校のときからこの状況なので、「お笑い芸人になりたい」という趣旨の報告は、両親がそろっているときではなく、“母親への報告”と“父親への報告”という2パターンの場が存在しました

ただ、特に母親は心配性なので、ただでさえアレルギー・アトピーが猛烈にひどい学生生活を送っていた僕が芸人になりたいだなんて、どう考えてもすんなりとは受け入れてくれないだろうな〜とうすうす感じていました

母親に「芸人になりたい」と先に話してしまうと、心配事が増えて逆効果だと思い

僕はひとまず大人しく長崎の実家を出て、愛知で就職し、せっせと働きました

母親を説得させるには、「何かあっても、これだけのお金があるから大丈夫ですよ」と提示するための、まとまった貯金が必要だと考え

就職中は体調に最大限気をつけながらも、毎月毎月生活を切り詰め、夏のボーナスも全額貯金し、1年で160万円を貯めました

そしてダメ押しの“NSC大阪(吉本興業のお笑い養成所)の合格通知”
これをゲットした状態で母親に打ち明ければ、もう止めることはできないだろうと、入念に準備を進めました

そりゃあアレルギー・アトピーで0歳からずっと実家にいる間の18年間、体調面が安定しない僕の姿を、母親は近くで見てきたわけなので

芸人だなんて、テレビを観れば、やれ熱湯風呂や、身体を酷使する過酷ロケ、バイトに明け暮れる若手芸人の下積み生活や、壮絶な貧乏エピソード……

常に体調悪い奴がやっていい仕事じゃあねえよな💦💦💦💦

特別身体強い奴がやる職業だよね💦💦💦💦

と、確実に自分でも、母親に「芸人になりたい」などと話した際には、心配が群を抜いてぶち抜いてどっか行ってしまうだろうなとわかっていたからです

なので、NSCの願書提出も黙って済ませ、当時住んでいた愛知から大阪に行って面接を受け、愛知にまた戻り……

頼むから受かっててくれ!!
これで落ちてたら、また1年間働いて(NSCは4月入学しかないため)、さらに倍の金額を貯金するだけの生活が始まってしまう!!

と、合格を切に願いながら1カ月ほど粛々と働いていたんですが、合否の通知予定日を1週間過ぎても連絡がなかったんですね……

前評判では、NSCというところはほぼほぼ落ちない、9割は合格できると聞いていたので、焦りに焦った僕は直接電話をして確認しました

「もしもし……あの〜、来年2010年度入学予定のNSCの面接を受けさせていただいた者なんですけども……」

「はい、なんでしょうか?」

「合否の通知がまだ来ていないものでして、受かっているのか、落ちているのかだけ確認させていただきたいのですが……」

「かしこまりました、それではお名前など確認させていただいても……」

と、名前などの本人確認を済ませたあと

「シンプルに、合格の通知が送付できていませんでした」

いや、シンプルに合格の通知が送付できてませんでしたってぇ!?!?💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢

確認のお電話を僕がしてなかったら、そのまま勤続45年とかで定年退職迎えてたかもよ!?!?💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢

いやまあこれは心の中で怒りすぎなんですが、そのくらいこの合否は、18〜19歳のころの僕には一世一代の結果発表でしたね……とりあえず受かっててよかったです!

あまりなさそうですが、僕は直接の電話でNSC合格を知りました

入念に準備を重ねた「心配性な母への報告」

そうして、貯金の160万円とお笑いの養成所NSCの合格通知という、もう断れないであろう僕の覚悟の品々を入念に準備して、母親への報告を実行しました

愛知県から、長崎の実家にいる母親へ電話をかけました

「会社辞めてさぁ、お笑い芸人なろうかなって思ってて、養成所入ろうと思うんやけどさぁ」

「え〜〜💦お笑い芸人って、あんたお金とかどうすっとね?💦💦」

「今160万貯金してるから養成所代も大丈夫やし、なんかあってもそれ(貯金)使える」

「え〜〜💦あんた、まず養成所って簡単に入れるとね?💦💦」

「もう面接も行ってきて、合格した」

「え〜〜〜💦💦💦💦」

これは我ながら、かなり完璧だったのではないかと

母親が心配しそうな事柄をクリアした段階で報告しました

ただ、体調面の不安はもちろんありました……

高校時代も、好きだったサッカーをアレルギー・アトピーの急激な悪化によって断念したり

高校の修学旅行では、大量の塗り薬・飲み薬を持参して無理やり参加したはいいものの、思い出の写真にはアレルギー反応で顔が真っ赤になっている自分がたくさん写っていたり

友達の家でご飯を食べさせてもらうときも
「農薬を使って育てたお米を食べると頭から汁が止まらなくなる」という謎のアレルギー症状に悩まされていた時期だったので、無農薬米だけを家から持参して、友達の家で炊いてもらい、なんとか一緒にご飯を食べさせてもらったり……

これ以外にも書ききれないほど、すべてのアレルギー事情を知っていた母親だったので、もちろん体調面の心配は拭えなかったのですが……

それ以上に、母親は

「今まで好きなこといろいろできんかったぶん、好きなことやったらよかたい、身体に気をつけてがんばらんねよ」(長崎弁)

好きなことをやるのが一番いいと、なんとか許してくれた感じでしたね、ありがたいです

母親への「芸人になりたい」報告はこんな感じでした

AV発言で緊張がほぐれた「離婚別居中の父への報告」

そんな入念な準備を経た報告とは打って変わって、父親への報告は、この1年前に済ませていました

わりと何事にも楽観的で寛容な父親には、まだ長崎にいたころ、芸人になる前の就職が決まり

初めて長崎を、そして実家を出るタイミングで、父親とふたりで食事に行ったときのことです

ふたりでの食事中は「(芸人になることを)反対されたら嫌だな」という思いはやはりあったので、初めは一切「芸人になりたい」と打ち明けることはできず、どんどん時間が過ぎていきました

食べたモノも記憶にないほど緊張していましたが、父親が唐突に話し始めた

「AV(アダルトビデオ)ってのは、あれはパフォーマンスぞ。プロレスと一緒で、あれは演技やから、あれでやっとることば鵜呑みにしたらダメぞ、それだけは注意せんばぞ」(長崎弁)

という、これから社会人になる息子(童貞)に父親からの大事なアドバイス、これだけはハッキリと覚えています

そのとき初めて親の口から“AV(アダルトビデオ)”というワードも聞きましたし

親が初めて“AV(アダルトビデオ)”というワードを発動するほど、これだけは本当に伝えておかないといけないんだという、父親の気迫を感じました

「女性は大切にしなさい」という、本当に大切なことなので、ありがたかったです

そんな話をしていると、もう夜も遅く、食事していたお店も出て、父はそのときすでに母と絶賛別居中なので、実家に向かってバスで帰る僕を、バス停のベンチで一緒に待ってくれることに

もう帰りのバスも最終便でした
自分はここまで人に何かを伝えるのが苦手だったか〜と驚愕してしまいますが

最終のバスがいよいよ遠くから向かってきているのが見えてから、ようやく「ちょっと話したいことがある」と言えました(おっせえ〜💦💦💦💦)

最終バスには乗り込まずに見送り、僕はやっと「お笑い芸人になりたい」と初めて父親に打ち明けました

すると父親は
「そげんやりたかとやったら、やってみたらよかさ」(長崎弁)

思ってたよりも数倍、いや数十倍、父親は楽観的でした💦💦

言うのを躊躇してた時間はなんだったというほど、思っていた反応とは違い、「やってみたらよかさ」という、一切反対する感じのない、母親とはとても対照的な反応でした

最終のバスは行ってしまったので、車やタクシーという手段ももちろんあったのですが、お互いに歩くのが好きなので、歩きながら話そうとなり、結局バスで20分ほどの距離を1時間半歩いて、今後のことを話しながら帰りました

実家に到着したあと、父親だけ折り返して別の家に帰りました💦離婚してなかったらそのまま家に到着やのに💦💦送ってくれてありがとう💦💦

夜中に、別の家に帰る父親を見て

「いや、めちゃめちゃ離婚してるやん💦💦」

と思いました! フラットな離婚といいましたが、一応めちゃめちゃ離婚してました!

これが父親のときの「お笑い芸人になりたい」報告でした

本当に、手のかかる子供でごめんなさい

最近、本当に何気なく道で、まったく知らないごくごく普通のお母さんと男の子が手をつないで歩いてるのを見かけたときに、

いや〜、こんな小さい子が赤ちゃんのときから学生になってもずっとずっとアレルギー・アトピーがひどいと、一緒に外歩いてるときも目立つし、大変だったろうなあと、勝手に想像してしまいました

「自分の親、めちゃくちゃ大変だったろうな」

幼少期のちびシャトル

うちの親も本当に、いろんな種類の治療を試してくれてたのも、もちろんなんですが

部活ができなかったとき、体調が悪くて家にばかりいたようなときも、楽しい思い出を作ろうと、なにかと外に連れ出してくれてたのを思い出しました

親もずっとずっと本当に大変だったろうなと、心配が尽きなかったんじゃないかなと思います。苦労をかけまくったと思います

自分から見ても、本当に本当に手のかかる子供でごめんねと思います

しんどい時期をなんとか楽しく過ごさせてくれようとしてたこと、しっかり覚えてます。感謝してもしきれないです

いまだに生活が安定しない芸人なんてやってて、まったく何も安心させることもできてない奴が何言ってるんだという感じですがね

ひとつだけ、今でも母親が僕に対してすごく申し訳なさそうにしてることがありまして

それは、実家の室内で犬を飼ってたことについてなんですね

ちびシャトルの実家で飼っていた犬

正直、親も僕のアレルギー症状の原因がまったくつかめていない時期に飼い始めました

今と比べて“アレルギー”に対する知識が世の中的にも浅い時期だったと思います

そしてもちろん僕も家族もみんな、飼っている犬が大好きでしたし、愛犬との楽しい思い出は今でもたくさん残っています

僕はあとあと、実家を出たタイミングで血液検査をしたところ、犬アレルギーだったと初めて知りました

これを知ったときは母親も驚いていました
もともとは母親が犬好きで飼いたいとなり、実際一番母親がかわいがっていました

ここではっきり言っておきたいのですが、
僕はあのとき家で犬を飼い始めた親を、まったくこれっぽっちも恨んでなんかいないということです

犬アレルギーだったことがわかってからは、今は亡き実家の犬の話をするときも、母親は以前よりも少し申し訳なさそうにしている気がします

いや、親には親の人生がもちろんあるから! 僕からしても、親にも好きなことして、好きな人生送ってほしいです!

僕のアレルギー・アトピーの制約によって我慢して、やりたいことができないような人生なんて送らないでほしいですし、犬が大好きだったら当然飼っていいですし
本当にそれだけは申し訳なかったなんて思わないでほしいなと、常々僕は思ってます

その昔のことが原因で、今も母親が僕に気を遣って、我慢の生活を送っている……

というわけではなく、現在実家では新しく猫を3匹飼い始めました!!

めっちゃ動物好きやん!!!!!

うちの親、めっちゃ動物育てるの好きやん!!!! めっちゃ面倒見いいやん!!!!!

ちなみに僕は猫アレルギーでもあるので、地元に帰省した際は実家には寄るものの、寝泊まりはホテルという、実家に帰省!?💦💦みたいな帰省をやってます!!

本当に本当に、これからもどうか好きに生きてください!!!!

犬や猫をたくさん飼っててわかるように、本当に母親は世話好きなんだなと思います

これだけなかなかひどいアレルギー・アトピーだった僕を、長い間根気強く育てて世話してくれた親なので、そういう親のもとに生まれるべくして生まれてきたのでしょう! ありがとう!

あなたが、僕が好きなことをしてる話をしたときに、とてもうれしそうにしてくれるように、僕もあなたが好きなことをして楽しそうにしているときが、もちろん一番うれしいです!

あなたが、本当に好きでかわいがっていた実家の犬は、僕も今でももちろん大好きです! 息子が犬アレルギーなのに犬飼ってて申し訳なかったなんて思わないでください!
僕も時々、実家の猫ちゃんを見に帰るし! 猫大好きだし!

まだまだ芸人として売れる兆しもなく、心配ばかりかけていますが、いつどうなるかもわからないこのときも楽しく過ごしているので、親子ともどもお互い身体に気をつけて好きなことを続けていけたら、とても幸せなんじゃないかなと思います!

アレルギー症状のあるお子さんをお持ちの親御さんらも、気を張りすぎて、子供のために!とか、なにかと我慢しすぎたりしているのならば、無理しないでください!

親は子供の幸せを願うように、子供も親の幸せを願ってるんじゃないかなと思います!

これが、アレルギーで苦しんだ幼少時代を経験した僕から、ともに闘ってくれた親に対して今思ってることです。感謝してます

【連載】限界アレルギー激闘記【ゴーグル芸人ちびシャトル】

第1回:“アレルギー数値”平均の約100倍!12才男子が毎日苦しんだ限界アレルギー反応
第2回:「アレルギー発症時の顔を見られたくない」赤くただれ、えぐれ…それでも芸人を辞めない理由
第3回:重度のアレルギーで部活も制限…「しんどいかも」母に泣きながらこぼした本音
第4回:アレルギー通院歴30年…医者に言われた“無理ゲーすぎる”対処法
第5回:30年間「本気のアレルギー対策」をやってみた結果。食べ物、ハウスダスト、日光…発症を防ぐには?
第6回:重度の食物アレルギーは「罰が下った感覚」年間1095回“米・鶏肉・グミ”でしのいだ食生活
第7回:かゆみが止まらず石油ストーブに…!絶対まねしてはいけない4つの失敗談
第8回:重症アレルギーで全身傷まみれの高校生が「人前に出る」芸人を目指した理由
第9回:「手のかかる子供でごめんね」重症アレルギーの芸人息子が親に“一番伝えたいこと”

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ちびシャトル

トゥインクル・コーポレーション所属のピン芸人。1991年10月1日生まれ。長崎県出身。自身で描いたイラストが飛び出す”立体のフリップネタ”を軸に活動中。『R-1グランプリ2023』準々決勝進出。森本サイダー、ムラムラタムラ、本多スイミングスクール、Men’s石橋の4名とのユニット「ピーターパンウンコ..

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