さすらいラビー×ママタルト大学お笑い対談<後編>「学生お笑いなんて恥ずかしいと思え」と言われた時代を経て

大学在学中に結成したさすらいラビーと、まわりの反対を押し切って大学を卒業後に結成したママタルトによる「わらゼミ」世代大学お笑い対談。前編では、それぞれのお笑いサークルで実績を残していたがふた組が、出会いから「わらゼミ」時代を経て、今に至るまでの流れについて辿った。後編では、ふた組から見た“大学お笑いの全体の変化”について話を聞く。
さすらいラビー×ママタルト大学お笑い対談<前編>『M-1グランプリ』がなかった2010年代前半、大きかった「わらゼミ」の存在
目次
さすらいラビーが太田プロダクション、ママタルトがサンミュージック所属へ

——さすらいラビーさんとサンストレンジ(以前、檜原が組んでいたコンビ)さんが最初に所属していたタイズブリックは、どんな事務所だったんですか?
中田 『学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!』(テレビ朝日)を制作していた会社で、クリエイターのプロデュースとかマネジメントをやってるんですけど、当時は「芸人も抱えましょうか」ってなってたんです。

肥満 「へー、タイズブリック行ったんだ」って思ったなぁ。人力舎とかワタナベエンターテインメントとか、もともと芸人を抱えてる事務所じゃなくて、タイズブリック。
中田 僕らは事務所から声がかからなくて、養成所行くお金とかも用意してなかったから、昔からの縁もあるし、芸人を名乗らせてもらえるならタイズブリック行こうかなって。
宇野 当時、松竹のライブとかに出させてもらってたんですけど、最終的に所属にはならなくて。結局、所属も決まってない、養成所行くお金もないって感じで大学卒業ギリギリまで来ちゃったのが、僕らやストレッチーズ。番組で面倒見ていただいてた縁もあって、「これからも一緒にやらないか」って声かけていただいて。

中田 事務所って、学生からしたらよくわからないから、“タイズブリックに入る”ってことが具体的にどういうことを意味してるかも全然わからなかったんだけどね。でもなんか結局、なるようになってここまで来たなって感じ。
——では、ふた組がそれぞれ太田プロとサンミュージックに入るのはいつごろなんですか?
肥満 俺は社会人を1年経験してから、2015年4月に太田プロの養成所に7期生として入ったんです。これがまたややこしい話なんですけど、さすらいラビーは太田プロ8期生なんで、養成所歴で考えると俺が先輩なんですよ。

檜原 さすらいラビーは2015年12月にタイズブリックを離れて、その半年後に太田プロ8期生に合流したんだもんね。
肥満 だから「(さすらいラビーが)後輩として入ってきた!」って驚いた。養成所の同期とかが、「さすらいラビーっておもしろいね!」って言ってて、「ちょっと! 先輩だから!!」って。
檜原 僕はサンストレンジとしてタイズブリックに所属してて、当時太田プロの養成所生だった肥満と、『ギリマシーン』って大喜利ライブで出会って。

肥満 それで養成所の卒業直前にママタルトを組んだけど、相方が養成所生じゃないから太田プロ所属にはならなくて、オーディション受けてサンミュージックに入りました。
中田 受けてから所属決まるまで、すごい早かったよね。

肥満 そう。サンミュージックって選考がめちゃくちゃ早くて。1回目のネタ見せで受かったらいいんだけど、そのとき違うなぁってなったら、「もう1回見せて」って言われて、翌月またネタ見せ行って、それでもダメだったら「半年後に来て」って言われる。覚えてないだろと思って翌月申し込むと、「半年後に来て、って言ったよね?」って言われる事務所。
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