ラッピーというスケープゴート
番組中、課される試練の困難さから、出演者たちはスベりまくる。スベるならまだいいほうで、おもしろい/おもしろくない以前に他者と共有可能なレベルでの言語化が間に合わず、意味不明な回答が連発されることもある。
代表的な例としては相席スタート山添が挙げられるだろう。意味不明さが突き抜けてもはや猟奇的な趣きを帯びた大喜利が注目を集め、たびたびゲスト出演しているだけでなく、他番組からもそうしたセンスを期待されたオファーがつづき、にわかに注目を集めている。
ただ、誰がどれだけどんなふうにスベっても意味不明でも、川島は必ずひと言返してオチをつける。どんな無茶なジャンプでも受け止めて着地させる。それはある種、超人的なレシーブ力で、さらに言えば努めておもしろかったのは川島ではなくもとの発言者であるという見せ方で着地させている点が非常に稀有と言える。
というのは、もとの発言者の言葉をMCが“スベった”と定義づけて、MC自身の立場を“おもしろい”ものとして印象づけることによって笑いを作るスタンスは非常に多く見られるということ。この場合、“おもしろい”のはMCになる。
川島はそうではなく、なるべくあくまで“おもしろ”かったのはもとの発言者だという構図で進行する。具体的に言えば、発言者の説明不足だった部分を補って、視聴者に理解を促すことに言葉を割いている。「なんでやねん」という拒絶ではなく「こういうことですね」という傾聴。
だからこそ出演者たちは安心してチャレンジしていける。思い切り失敗できる。『ラヴィット!』が一貫して地力を試される場でありながら、同時に和やかなムードを醸し出しているのは、こうした川島のスタンスによるところが大きいと考えられる。
ただ、さらに踏み込んで言えば、出演者にムチャ振りで圧をかけて笑いへの導線を作る役割をラッピーという非実在キャラクターに仮託することで、川島自身は憎まれ役にならず“いい警官”側のスタンスでいられている。だからこそこの和やかさが醸成できていると取ることもできる。チームビルディングやマネジメントの考え方にも通底するようなシステムだ。
そして番組の和やかなムードは、そもそもレギュラー陣が大喜利巧者ばかりを集めたものではない、というか大喜利のイメージからかけ離れたタイプの出演者が多いことにも表れている。そういったメンツから、競技として突き詰めたものではなく、得意な人も苦手な人も“みんなでワイワイ”というスタンスが提示されていると取れるだろう。真空ジェシカ・Aマッソ・サツマカワRPG・ハチカイ警備員でやってくれるならそれはそれでぜひ観たいが。
10月18日放送回では、番組冒頭のトークパートの時間を丸々使って月曜レギュラーのぼる塾・田辺さんのお誕生日会が行われた。本当にただのお誕生日会だった。各々がプレゼントを持ち寄り、ゲームして遊んで、おめでとー!という。これがそのまま生で放送できて、視聴者からも歓迎されている時点で、『ラヴィット!』がテレビの歴史に与えたインパクトは相当でかい。
現状、レギュラー陣が各々番組における振る舞いのスタンスを確立しつつあり、いくつかお約束のくだりが生まれ始めているものの、大喜利のクオリティについてはまだまだ伸びしろがあるように思う。
それぞれの大喜利の“正解”というか、勝ち筋・作風が確立したとき、制作側がそれを想定した上で台本を作れるようになり、ますます番組全体のお笑いが構築的になる。そうなったとき、放送時間帯にテレビを観られる生活スタイルではないが、録画して毎日夜中に観る、という筆者同様の気持ちの入った視聴者がぐっと増えていくはず。
ワイドショー覇権の時間帯に差した光
『バイキング』(フジテレビ)はひとつの絶望だった。
最初期こそ曜日替わりのMCの半数が芸人であったり生活情報系のネタが多かったりと、バラエティ色を内包していたが、早々にテコ入れが始まり、結局は坂上忍が単独MCの単なるワイドショーの形に落ち着いた。
ワイドショーの多くは、スキャンダルばかりが取り沙汰されるラインナップ、非専門家のコメンテーターによる的を射ない持論展開、司会者のご機嫌取りの様相を呈する議論になっていない議論など、よりによってニュースを扱う上で最も注意深く排除していかなければならない要素の数々を前提条件として持ってしまっている。
芸能人の不倫や恋愛沙汰は視聴者の人生に関係がない。政治そのものではなく、政治家個人の趣味嗜好──パンケーキがどうとか──ばかりを取り上げるスタンスが、社会の本質的な問題から目を逸らさせる。当人たちは“時事に関心がある”という自己認識なのかもしれないが。
ゴシップをショーとして提示され、司会者とコメンテーターが口にする言葉に煽られて、自分となんの接点もないはずのことに感想を持たされてしまう。“感想を持たされる”というのは恐ろしいことだ。行き着く先、彼我の境を履き違え、自分となんの関係もない事柄に対して、まるで自分にはそれを主張する正当性があるかのようにヘイトを撒き散らす怪物になってしまう。
なぜわざわざそんな番組を観るのか。なぜわざわざヘイト増幅装置に自分から寄っていって、筋違いな怒りを溜め込むのか。ただ、そういう人が少なくないであろうことは数字が証明してきてしまっていた。『いいとも!』が去り、その跡地にワイドショーが建ったことは、ある種理性の敗北の象徴のように思えた。
だからこそ、脈々とワイドショーが放送されてきた枠で今新しくバラエティ番組が始まったことには大きな意義がある。『ラヴィット!』が結果を出してくれれば、ほかの枠や他局が追随して、ヘイト増幅装置の割合を下げていけるかもしれない。
そういう意味でも『ラヴィット!』には大いに可能性を感じることができる。まずは一度、リアルタイムでも録画でも、その特異性を目の当たりしてみてほしい。
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