COVID-19、うちで踊ろう、ネットとプライバシー…粉川哲夫×TVOD“2020年”を考える(1~6月)

2020.12.30

支配と管理とインターネット

パンス 権力に抵抗していない表現はダメと断じてしまうのも古典的な評価かなと思いますが、たしかに現状、アーティストは情報技術の枠内に収まっていますね。一方で、COVID-19の特徴と成し遂げた状況に着目すると、あたかもウイルスがコンセプチュアルな活動をしているように錯覚してしまいます。
グローバルな移動を制限したり、東アジアとヨーロッパでは被害に差があったり。もはやいろいろと陰謀論を唱えたくなる気持ちもわからなくもないです。無症状者によって広がるというのも、これまで感染症を描いた物語の中であまり予測し切れなかったのではないでしょうか。『コンテイジョン』という映画はよく似ていると話題になっていましたが。

『コンテイジョン』キャスト陣からの新型コロナウイルス感染拡大防止メッセージ

プシク 権力はもう「安倍」でも「菅」でも「トランプ」でもないですね。支配や管理が、上からの暴力や統制ではできなくなったからでもありますが、国境から身体の「内外」の境をシームレスに横断する技術が当然のものとなり、「自主独立」なんて言っていられなくなったからです。商売もコピーライトなんかを盾に取れなくなり、オープンソースを意識せざるを得なくなった。そしてそのオープンソースメディアから「反権力」も「権力」も「極~」も出てくる。
が、そのメディア自体が「権力」じゃないかとは疑わない。ツイッターを「拠点」としたトランプのこの4年間の《盛・衰》は、国家が「権力」でもあり、また「反権力」でもあり、そして「親族会社」であり、形の上では「直接民主主義」で政治が動いていることを教えましたが、ポストコロナの問題は、所属事務所なんかない、国家からも浮かされている「孤人」(「プレカリアート」なんかじゃ括れない)ではないですかね?

パンス トランプはツイッターを活用しまくっていましたね。インターネットは接続さえできれば誰でも自由な発信ができるということで直接民主主義的でしたが、そんな環境の末にまた権威主義が猛威を振るってしまうのを見せつけられた数年でした。
確かに、権力も反権力もネットの中で盛り上がっていて、とにかくアテンションを引くことが重視される状態になっており、今年は若干疲れが出てきてしまいました。コロナによってオンラインでつながっているのがより常態化していて、むしろ今は孤独でいることのほうが貴重な状態なのかもしれない……なんて考えるようになりました。そして、実は膨大にいるであろう、(自分が観測している)ネットの外の人々の存在が気になります。

プシク ネットのトータルな「検閲」が定着したのもこの年です。前から、規制はあるし、アカウントのブロックや削除はやられていましたが、放送や新聞に比べれば、「表現の自由」と「自己責任」的な「放任」をタテマエとし、露骨な規制は目立ちませんでした。そうでなくなったのは、「プライバシー保護」とかのために2018年から施行された「GDPR(一般データ保護規則)」の影響もありますが、実際には、監視技術とその実施がそれだけ全般化し、重層化したことでもあります。
ネットの表現は、みんなチェックされているのです。スノーデンが暴いた組織的監視だけでなく、ユーザーによる相互監視の深化です。もう私たちは、素っ裸なんですよ。「プライバシー」なんて思い込みに過ぎなくなりました。言いたい放題をツイートしつづけたトランプが「裸の王様」で終わるのは、この年にふさわしいことかもしれません。

新型コロナ: 元CIAスノーデンに聞く接触者追跡と監視社会

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

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