4番ファースト『友だち』シーグリッド・ヌーネス
4番打者には、塁上に取り残されたチームメイトを全員ホームに帰すんだという優しさこそを求めるトヨザキが選ぶ小説がシーグリッド・ヌーネスの『友だち』です。
語り手は、最愛の男友だちの〈あなた〉を自殺で亡くした〈わたし〉。〈あなた〉が飼っていたアポロという名のグレートデンを、やむなく引き取ることになり、狭いアパートでの1人と1匹の生活がスタートするんです。〈わたし〉を無視しつづけるアポロ。哀しみから立ち直ることができない〈わたし〉。喪失感を共有しながら、〈守りあい、境界を接し、挨拶をかわしあうふたつの孤独〉が、やがて魂を寄り添わせていくことになります。アポロへの呼びかけが〈彼〉から〈おまえ〉に変わる最終章へと向けて描かれていく、愛情を培う日々と永遠の別れがもたらすさまざまな感情が、抑えた筆致で描かれているからこそ、こちらの胸に深く染み入ってくるんです。
〈あなた〉と〈わたし〉が共に小説家であるがゆえに、作家になること、書くこと、読むこと、読まれることをめぐる思索が、大勢の表現者の言説を引用しながら展開されていく知的な筆致も大きな魅力。しかも、この小説、11章に驚きの展開を用意しているんです(解説から先に読んじゃダメ)。この驚愕の章の意味を考えるのも、静かな感動を生む犬小説であり、卓見の芸術家小説でもある、優しい、優しい優しい小説『友だち』を読む、もうひとつの喜びなのです。
5番キャッチャー『言語の七番目の機能』ローラン・ビネ
5番にして、ピッチャー『おおきな森』の重い球質の曲球を受け止めるという重役を果たさなくてはならないキャッチャーを務められるのは、それ自身が超ド級の教養と技巧と強靱なインナーマッスルを備えた作品でなくてはなりません。2013年に訳出されたデビュー作『HHhH』が日本でも評判を呼んだ、ローラン・ビネ待望の第2作『言語の七番目の機能』一択でございましょう。
物語の屋台骨をなすのは、1980年に起きたロラン・バルトの交通事故死と、ロシア生まれの言語学者ロマン・ヤコブソンが著書『一般言語学』で挙げている6つの言語の機能という論考。そのフランス現代思想界の大スターの死が実は謀殺によるもので、その理由はバルトが密かに入手していた七番目の機能について書かれたヤコブソンの未発表原稿を奪うためだった——ビネはこの長篇でそんなフィクションを展開しているんです。フーコー、デリダ、ドゥルーズ、ガタリ、エーコといった知の巨人たちが語る、記号学をはじめとする言語にまつわる理論の数々。そのインテリ然とした態度に不快感を隠さず、「わかんねーよ」と切り捨てるバイヤール警視が思想に疎いわたしたちの「?」を代弁してくれて、彼の助手にさせられる大学で記号学の講師を務めているシモン青年が親切な解説者として立ち回ってくれるという親切設計になっているので、教養の連打にも怯えなくても大丈夫。言論版ファイトクラブのごとき秘密組織が暗躍するわ、前述した実在の著名人を訴えられなかったのが不思議なくらい戯画化してみせるわ、カーチェイスがあるわ、アクション満載だわ。バイヤールとシモンの珍コンビが世界を飛び回ってバルト謀殺と7番目の機能の謎に挑む、笑いをふんだんにまぶしたサスペンス小説として愉しめる、知とエンタメの極意を併せ持った作品なんです。
6番DH『サピエンス前戯』木下古栗
守りは不安だけど、攻めさせたらすごい。そんな日本のDH小説家が木下古栗、と無理矢理にでも見立ててみたのは、どうしても『サピエンス前戯』をベストテンにねじこみたかったからなんであります。トヨザキはフルクリが好きで好きでたまらないのです。
一冊の中に長篇が3本も入っているんですが、『酷暑不刊行会』から読み進めることをオススメします。社長が暑がりで夏の期間は仕事を休止してしまう零細出版社に勤務しているため、短期アルバイトを探している梅沢が、フットサル仲間から紹介されたのは大手出版社を退社して今は専業主夫をしている森崎という男。面会した森崎は、かつて所属していた文芸の部署にいる編集者の無能さや、文芸誌が提示する文化の古臭さなどさんざん悪口を並べたあとに、ある提案をしてきます。
それは海外文学に初めて興味を持った人のための入口作り。具体的にいえば、〈海外文学の名作と呼ばれるものたちをポルノ風にもじって、架空の作家の架空の作品として、架空のあらすじ付きで、時代別言語別とかでソートできる、目録的なサイトを作って運営〉すること。森崎は、1タイトルにつき千円で、作者名と作品名のポルノ風のもじりを梅沢に頼むのですが、309ページから展開するそのタイトルの数々が、もっ、本当に可笑しいんです。
コマス・マン『ペニスに膣』、ウィリアム・ソープナー『チブサモム、チブサモム!』、ソリンジャー『パイ揉みばかりでイカされて』、レイモンド・カウパー『挟むから静かにしてくれ』、ソルジュ・ペレック『陰茎使用法』などなど。
こんなタイトルがズラズラーッと並んでいて壮観。体を売って稼ぐセルフ・セールスマンのグレゴール・テンガが、目覚めると全身が敏感な性感帯になっていることに気づくという、フランツ・ラフカ『全身』の奇天烈なあらすじまで披露していて、『酷暑不刊行会』における古栗のサービス精神は天井知らずなのですが、残りの2作は……。
もっとも難解な表題作に関して言えるのは、フルクリストの皆さんなら先刻承知の茂木健一郎への愛憎半ばする偏執が、ついに極まれりの1作になっているということです。茂木氏にこの偏愛は伝わっているのでしょうか。是非、どなたか氏に教えてあげてください。
7番センター『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー
ヘンテコな古栗がつなげる7番打者には、やはりそれに負けないくらいヘンテコな作品を置かねばなりますまい。となれば、アフマド・サアダーウィーの『バグダードのフランケンシュタイン』しかありますまい。
舞台となっているのは2005年のバグダード。頻発する爆破テロによって亡くなった人たちの人体をつなぎ合わせた遺体に命と知性が宿り、死者たちの復讐を果たしていくという奇想から展開していく物語になっているんです。創造主であるところの古物屋のハーディーによって〈名無しさん〉と呼ばれる怪物は、隣に住む老婆の家に侵入。ところが彼女は、20年前のイラン・イラク戦争で亡くなった息子が帰ってきたと思い込んでしまい——。ここまでは物語のほんのとば口に過ぎません。〈名無しさん〉を救世主と崇めて協力していく信者たち、ハーディーから〈名無しさん〉の話を聞き、記事にしてしまう雑誌編集者のマフムード、連続殺人犯である〈名無しさん〉のことを占星術師たちの予言の力を借りて捕まえようとしているスルース准将など、大勢の人物の思惑や行動を重ねながら、この興味深い物語は進んでいくんです。
それにつれ、当然のことながら劣化していく〈名無しさん〉の肉体。どこかが腐って落ちてしまうたびに、新たな死体の部位で補強すれば復讐の数は増えていきます。この無限ループを〈名無しさん〉はどう思い、どう決着させるのか。〈完全な形で、純粋に罪なき者はいない。そして完全なる罪人もいない〉という言葉が胸に響く展開が読者を待ち受けています。
8番サード『アコーディオン弾きの息子』ベルナルド・アチャガ
ホークスのサードといえば松田宣浩こと熱男。その熱さに負けない長篇小説がベルナルド・アチャガの『アコーディオン弾きの息子』です。
スペインのバスク地方オババで生まれ育ち、馬を飼育する牧場を営んでいた伯父のフアンを頼ってカリフォルニアに移住。1999年に50歳で亡くなった男性ダビが、母語であるバスク語で書き残した回想録。本作は、幼なじみにして作家のヨシェバがその回想録に基づいた新しい本『アコーディオン弾きの息子』を書いた——という設定の小説になっています。
プロのアコーディオン弾きにしてオババの権力者のひとりである父親が、スペイン内戦時にフランコ率いる反乱軍側につき、共和国政府軍側についた反ファシズムの村人を銃殺したひとりなのではないかと苦しみ悩んだ思春期。父親の過去を正確に知り、嫌悪を覚え、バスク解放運動に身を投じていく青年期。ダビの成長に伴って政治的な色合いを濃くしていく主旋律と、古きよき世界がいまだ残っているバスク地方の自然と社会の姿を託して描かれるオババの光景、友情や恋といった青春の輝きが、同じくらい大事なものとして描かれていく筆致が重層的かつ詩的で胸熱の逸品です。
9番ライト『かか』宇佐見りん
9番ライトは、今年デビューした新人の中で、わたしをもっとも驚かせてくれた宇佐見りんの『かか』に任せます。
主人公は19歳の浪人生うーちゃん。彼女は、離婚をきっかけに心を病んでいき、酒を飲んでは暴れるようになった母親(かか)に振り回される日々を送っています。救いは推しについて語り合えるSNSの存在。大衆演劇の西蝶之助という女形が好きで、気が合うフォロワー20人くらいと鍵をかけたアカウントで交流しているんです。そんなうーちゃんは、かかが子宮を全摘する手術をするにあたって、ある重大な決意と祈りをもって熊野に旅立つのですが——。
といった大筋や過去の出来事は、うーちゃんが弟に向かって〈おまい〉と語りかけるスタイルで綴られていくのですが、〈かか語〉と称されるその独特の語り口だけでなく、すべての文章表現が素晴らしいのひと言なんです。
〈風のくらく鳴きすさぶ山に夕日がずぶずぶ落ちてゆき、川面は炎の粉を散らしたように焼けかがやいてました。夕子ちゃんを焼いた煙は、柔こい布をほどして空に溶けてゆくように思われます。〉
〈はっきょうは「発狂」と書きますがあれは突然はじまるんではありません。壊れた船底に海水が広がり始めてごくゆっくりと沈んでいくように、壊れた心の底から昼寝から目覚めたときの薄ぐらい夕暮れ時に感じるたぐいの不安と恐怖とが忍び込んでくる、そいがはっきょうです。〉
9番打者は何とか1番に打線をつなごうと必死に球に食らいつきます。デビュー作で突出した言語センスを見せつける宇佐見りんの登場は、日本の小説の未来に光をつなぐ慶事だと、わたしは思っています。今は9番でも、宇佐見りんが10年後に文芸界のクリーンナップを担う存在になっている未来が、わたしには見えます。ついでに、木下古栗の新作の帯に茂木健一郎の推薦文が載る未来も、うっすら見えたりします。
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