「非人間」と共生するふたつの作品から見える、差別に対抗する手段とは
アメリカ大統領選は大国の分断を明らかにしたが、それ以前より、性別や人種、性的指向などによる「不均衡」の問題が噴出しつづけている。私たちは、さまざまな差異を抱えているとはいえ、同じ「人間」であることから逃れられず、そのことがかえって、自分とは異なる存在を理解しようとしない、甘えや驕りを生んでいるのではないだろうか。
文筆家の佐々木ののかは、異なる他者との協調を考えるとき、思い切って「人ではない何か」を想定してはどうかと考える。『ノンヒューマン・コントロール』(TAV GALLERY/2020年9月12日〜10月4日)と『double』(さいたま国際芸術祭内プロジェクト/宇宙劇場/2020年10月26日〜11月7日)というふたつの作品を通し、他者との共生を捉え直す。
人工的な自然が示す、人間と非人間の共生のあり方
「自然との共生」という言葉をよく耳にする。
耳に優しい言葉であるが、自然とはそう生易しいものではない。数年前に八丈島の海で渦に飲まれて海底に引きずり込まれそうになったときも、幼少期に車の助手席に乗っていてヒグマの親子が目の前を横断したときも、「敵わない」という圧倒的な敗北感に打ちのめされた。「共生」という言葉にはどこか、人間が自然に歩み寄って“あげよう”というような、あるいは対等であるようなニュアンスを感じるが、自然との「共生」などおこがましいと私は思う。
かといって、まったくの不干渉がいいというわけではない。しかし、どのあたりがいい塩梅なのかについての決着も未だについていない。
「自然」と聞くと、畏怖の念から距離を置き過ぎたり、過剰な「管理」で破壊してしまったりする。そんな自然との関わり方の難しさについて、新たな解を示したのが『ノンヒューマン・コントロール』だ。
本展は、阿佐ヶ谷のTAV GALLERYにて開催された人間と非人間(ノンヒューマン)の関係性の模索を主題とした、荒木由香里さん、齋藤帆奈さん、渡辺志桜里さんの3名によるグループ展だ。
たとえば、植物園は植物を用いた人工的な自然であり、純粋な自然ではない。こうした人の手が介入する「自然」は否定されがちだが、水力・風力・太陽光発電や、人の糞尿を発酵させた堆肥など、人間が行為者となり、生み出した「自然」の力を借りて得てきた資源もたくさんある。本展では、介入や制作を肯定した、人間と非人間の新たな共生のかたちを見せてくれる。
展示作品には、動植物から工業製品、靴やネックレスなどの装飾品までを組み合わせた立体作品や、水・生物・植物が循環しつづけるインスタレーションなどがあり、各作家がそれぞれの視点から非人間との相互扶助の世界を提示している。
とりわけ印象に残ったのは、齋藤帆奈さんによる粘菌と人間が協働してプレイするボードゲームだ。粘菌のエサとなるオートミールを「コマ」として、各プレイヤーが順にコマを置き、粘菌すなわち「陣地」の広がりにより勝敗を決めるというルール。ここではまさに、粘菌と人間がタッグを組んでいる。
人間が行為者でありながら「同じチーム」であるというフラットな視点。かつ非人間との関わり方として「遊ぶ」を選んでいる点が新鮮で、「共生」という呼び方がしっくりくると感じた。
純粋な自然と「共生」する方法を一足飛びに模索するのは難しいかもしれない。ならば、その間にある「人工的な自然」を介して考えてみれば新しい景色が拓けてくるのではないか。
『ノンヒューマン・コントロール』のアプローチはきっと、あらゆる他者との共生を考える上での一助となる。
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