70年代後半&90年代的なカルチャーに「距離の文化」をプラス
しかし、カルチャーという面ではどうだろうか? トランプの時代、ニューヨークのような先進的なアートと知の街からアーティストや知識人がアメリカの外に逃げ出した。亡命はしなくても、本拠を外に移し、ニューヨークはアートや知の面では精彩のない場所になった。それは、旧時代の産業や価値観(トランプの体現するものはあまりにダサ過ぎた)を優先し、先端的なものやヤバイものを排除したからである。
私は、ニクソンがウォーターゲート事件で辞め、ジミー・カーターが第39代の大統領に就任することが決定した1976年の11月にニューヨークで、人々が熱狂するのを見た。私が住んでいたルーミングハウスのオーナーのエリザベス・ライアンは、ちびたモノクロのテレビのニュースを観ながら、涙を流していた。
歴史の教本には、カーターはダメな大統領のひとりに数えられているが、ニクソンのあとをとりあえず引き継いだ無能なジェラルド・フォードから政権を奪い取ってアメリカ政治と経済と(とりわけ)文化を立て直したのはカーターである。彼の時代がなければ、70年代の都市文化やパフォーマンスアートやビデオアートも活気づくことはなかった。
それらの文化は、ロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュの時代に窒息死寸前までいったが、ビル・クリントンが、カーター時代に吹き上がったアートと知のエネルギーを吸い上げ、新しい産業に注ぎ込んだ。「ビデオアートの父」と言われるナムジュン・パイクは、「クリントンは俺のアイデアを盗んで情報ハイウェイ構想を立ち上げた」と笑いながら言ったが、それはそういう意味である。
おそらく、ジョー・バイデンの時代の文化は、70年代の後半と90年代にコロナ的な「距離の文化」で味つけしたような動向を見せるだろう。70年代のフィジカルなボディ志向はリモートカルチャーで相対化されるので、それは、ハイテク志向と折り合いがいい。アメリカは、日本のようには、体臭や異形の身振りがむんむんする身体カルチャーがまだ枯渇していない。トランプの排外主義や人種差別は緩和されるだろうから、都市のエスニックカルチャーは活気を取り戻す。
バイデンは、娯楽ドラッグの連邦規模の合法化をする模様であるから、カナダではすでに産業の一角をなすドラッグビジネスが興隆するだろう。それは、グリーンエナジーと同様に、ビジネスの興隆だけでなく、生活や文化のかたちを「自然のスタンダード」に近づけるかもしれない。
ひとつの時代の転形の兆しを感じながら、いささか楽天的な感想を書いてみたが、今チェックしたら、バイデンの選挙人獲得数は290になっていた。すごい勢いだ。
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