「54年生まれ、安倍晋三」はうっすらと政治家になりたかった。憲法改正に固執したのは、だって祖父の悲願だったから

2020.10.10


「大きな物語」には向いていない世代

時代ごとにくるくるイメージを変えていくのは、自分の中に核となるものがないからなのかもしれない。だから、次はこれと思ったら、それまでとは別のものになりきれる。この世代にはそうした才能に長けた人が、ほかの世代以上に多いような気がする。安倍晋三にしても、学生時代はさほど政治家になる気はなかったのが、祖父の意志を継ぐと思い込んだところからスタートした。ただ、核がないだけに、安倍に限らず、時々言葉が嘘っぽく聞こえるところがある。そもそも、この世代は言葉をあまり信じていない節がある。古舘伊知郎がプロレスの実況アナウンスで、場面を盛り上げるため、語感のインパクトだけを狙ってやたら古めかしいことわざや四字熟語を使っていたのは象徴的だ。建築家の隈研吾に至っては、言葉など全然信じていないと言い切っている。

例えば、団塊の世代は一つの絶対フレームを信じていますよね。既存のフレームをどう転換して、自分たちの信じる絶対フレームに変えようかという話です。そういう人たちのヴィジョンはすぐに成就しちゃうわけです。でも世の中すごい勢いで変わっているから、すぐフレームは転換しちゃって、その結果彼らは必然的に保守化しちゃう。それをすぐ上の世代に見てた。ぼくにとってすべてのフレームは相対的で、既存のフレームを転覆させられたらそれで終わり、ではない。だから言葉というものを全然信じていないんです。フレームが変われば言葉の持つ意味も全部変わっちゃうから。それをあたかも絶対永遠的な真理のごとくに語る言葉の使い方は耐え難かった。

『隈研吾読本—1999』エーディーエー・エディタ・トーキョー

その隈は、コンクリート造りの威張った感じの建築を嫌い、「弱い建築」「負ける建築」を標榜して、周囲の環境との境界を消すような建築を追求してきた。2020年の東京オリンピックのために建てられた新国立競技場にしても、閉じた箱ではなく、大きな庇(ひさし)を重ねることで、周囲の自然との境目が曖昧な空間を作り出したという。主張しない建築を作りつづけてきた隈が、ここへ来て、国立競技場のほか、高輪ゲートウェイ駅や角川武蔵野ミュージアムなど、ランドマーク的な建築も次々と手がけるようになったのは時代の変化を感じさせて興味深い。

『隈研吾読本—1999』隈研吾/エーディーエー・エディタ・トーキョー
『隈研吾読本—1999』隈研吾/エーディーエー・エディタ・トーキョー

高度成長と新左翼運動の終わったあとに社会に出たこの世代には、少なからぬ人がどこか醒めた視点を持っている。それゆえに、確固たる信念を持って「大きな物語」を作り出すのには向いていない、たとえ思い立ってもリミットをかけてしまう世代なのかもしれない。その中から突然変異のごとく「大きな物語」を擬して破壊活動に走った怪物が、オウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫/1955~2018年)だった。麻原が自らの教団を擬似国家に仕立てて国家転覆を計る過程で、多くの犠牲者を出したのは、この世代が生んだ最大の悲劇といえる。

再び冒頭の話に戻ると、私は先のユーミンの発言に対する批判をチェックするうち、ユーミンが歌ってきた世界と、今という時代との間にズレが生じていると感じざるを得なかった。ユーミンが支持を集めたのは、彼女の歌う世界が、ハイソサエティな雰囲気を漂わせつつも、庶民でもちょっと手を伸ばせば届くような気を起こさせたからだろう。そう考えると、彼女の音楽はまさに「一億総中流」と呼ばれた時代を象徴するものであった。だが、経済格差が広がり、中間層が消滅したとさえいわれる今、ユーミンの音楽に違和感を覚える人が増えてもおかしくはない。こんなふうに時代が変わってしまった要因は、この30年間の政治のあり方にも間違いなくある。安倍政権の評価も、そうした流れの中でどう位置づけるかで定まってくるはずである。


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