『ねほりんぱほりん』から『私だけかもしれない講座』へ。テレビのセオリーを疑う(藤江千紘)

2020.9.21

テレビのセオリーではあり得ない「ぶっつけ本番」の講義

なんだかんだいっても視聴率が一番の指標になっている世界で、たったひとりのために、と制作していくのは、テレビのセオリーとはかけ離れたことかもしれません。そして、この番組は収録でも今まで私が作ってきた「テレビのセオリー」を破るかたちになりました。

通常、講座番組は事前に入念なリサーチをし、構成を練り上げ、台本を作ります。「これなら番組が成立する」「視聴者に伝えるべきポイントやメッセージが入っている」という確信を持ってロケや収録に臨みます。

でも、今回講師をお願いした坂口恭平さんから「その時その瞬間に思ったことを自由に話したい」と提案されたんです。最初の打ち合わせでテーマになるエピソードはお聞きしたんですが、収録の瞬間にはしっくりこないかもしれないし、そもそも事前に話した内容や、ポイントを押さえながら収録していくのは、チェックポイントを通過しながら話すようで、とても窮屈だと。

今回のテーマは「飲み会に行くとバカみたいに騒いで人から「飲み会キャラ」だと思われているが、実は飲み会がイヤでイヤでたまらない私概論」
今回のテーマは「飲み会に行くとバカみたいに騒いで人から「飲み会キャラ」だと思われているが、実は飲み会がイヤでイヤでたまらない私概論」

そもそも坂口さんに講師をオファーしたのは、緊急事態宣言下に彼がnoteで連載していた「躁鬱大学」という記事を読んで、目から鱗が落ちる思いをしたからです。noteで坂口さんは「自分は変わらなくていい。視点が変わればいい」ことを伝えていました。「自分や物事の捉え方を変えれば、無理やりほかの何かに合わせたりしなくていいんだよ」「自分が窮屈になることをしなければ鬱にならないよ」と。こんなふうに世の中を見ている人がいるんだ、ということ自体を、テレビで取り上げることに意味があるんじゃないか、と思ったんです。

でも、普通テレビの収録は打ち合わせをして、構成を書いて、拘束時間も長時間にわたります。窮屈なテレビの常識に坂口さんを合わせてしまうことは、坂口さんが人生で大事にしていることを損なってしまうことになる。超個人的な問題に対して「こういうふうにとらえれば人生は楽しくなる」と紹介したいのなら、ここで一度、私たちのセオリーをやめて坂口さんに乗っかってみよう。

そう決めて、収録当日まで構成も台本も用意することなく、講座番組ではあり得ない「ぶっつけ本番」になりました。

『私だけかもしれない講座』より。坂口恭平は「照明を浴びてテレビカメラの前に立つと興奮しすぎて翌日落ち込むから」という理由で顔は出さず、クロマキー合成で「赤いセーター」として講義することに
『私だけかもしれない講座』より。坂口恭平は「照明を浴びてテレビカメラの前に立つと興奮し過ぎて翌日落ち込むから」という理由で顔は出さず、クロマキー合成で「赤いセーター」として講義することに

だいたい、坂口さんは、SNSや書籍、ラジオなどいろんな手段でご自身の考え方を好きなように、したいときに、自由に発信されている方。「テレビに出たってお金にならないし、なんの得にもならないのだから、自分がおもしろいと思わないことはしたくない」ときっぱりおっしゃっていました(笑)。それを聞いたときに、ハタと思いました。有名人も一般人も自分で発信できる時代に、出演する人の気持ちや制作している人の気持ちがコンテンツに出て伝わり、そのことに視聴者も敏感な時代になったということなのかもしれない、と。のびのび楽しそうにしているか、本当に好きなことをしているか、いっぱい編集されて、どこの誰かわからない大人の思惑の中で、その人の魅力があまり発揮できていなかったり、大勢の中で特定の役割を担わされてしまっているだけだったり……。私自身も「この俳優さん、テレビのトークだとあんまりおもしろくないけど、インスタライブではとっても魅力的だな」などと感じることが特にコロナ以降に増えました。

だから、坂口さんが「楽しそうにしている」「おもしろいと本当に思っている」ということを大事に収録しようと決めたんです。

収録の途中で坂口さんに相談されると、「この話もどうですか?」と水を向けたりしましたが、基本的に坂口さんにすべてをお任せしました。講義は盛り上がり、収録時間は3時間超。坂口さんが出すエネルギーに抗わずに、その力にうまく乗せてもらって番組を作る、まるで合気道のような経験でした。でもこの番組、24分番組なんです(苦笑)。

今こうしてお話してる間も編集作業に苦心しています。収録内で坂口さんは「大事なのは“まとめないこと”です」と言っていました。一度思いをまとめると、自分にどんどんそのことに囚われてしまうからと。

一方、通常、テレビ番組を作ることは”まとめる”こと。番組を観終わって「こういうことがわかった」「こういう気持ちになった」という体験に、コンテンツを凝縮していく作業です。今回、3時間ものお話をセオリーどおりに凝縮してしまっては、坂口さんの熱量や空気を損ねてしまうでしょう。収録が終わっても、坂口さんとの「合気道」はまだつづいています。

私は2歳の子を育てているのですが、思えば子育てでも、こちらの思惑にはめこんだり、こうしてほしいと誘導しようとすると、相手にすぐ見透かされてしまうもの。相手はどうしたいのか、そこに乗った上で何を提案できるか、そのなかで、私たちが大事にしたいことを外さずに残せるか。『私だけかもしれない講座』というコンテンツを届ける上で、特に意識して取り組んだように思います。

「収録が終わっても、坂口さんとの「合気道」はまだつづいています」
「収録が終わっても、坂口さんとの『合気道』はまだつづいています」

超個人的な問題こそ「マス」かもしれない

今回の『私だけかもしれない講座』は、あくまで坂口さんが考えた、坂口さんだけの学説です。多くの人には当てはまらないかもしれません。でも、それでもいいと思っています。たとえ共感できなくても「そういうふうに考えている人がいるんだ」ということ自体が、観ている人を救うかもしれませんから。

電話で約2万人の悩み相談に乗った坂口さんは「実はみんな同じことで悩んでいる」ことに気がついたそうです。みんな、誰かに悩みを相談をしたことがないから、ほかの人も悩みを持っていることに気づけない。みんなが“私だけかもしれない”と悩んでいる、と。

ひょっとしたら、テレビで超個人的なことを訴えるのは、逆説的に「みんな=マス」に訴えかけること、なのかもしれないと思うことがあります。偶然合わせたチャンネルで、赤いセーターがしゃべっている、なんか変な番組だなと思ったら、”自分のこと”を語っている……。テレビだからこそ、そんな出会いだってあるかもしれない。

「何のためにテレビ番組を作っているのか」という問いに、まだ答えは出ていません。ただ、少なくともこの番組においては「テレビだからこそ出逢える誰かに届けること」であるような気がしています。

『私だけかもしれない講座』

Eテレ 9月22日(火)22:50~23:15
出演者:坂口恭平
ナレーション:リンリン(BiSH)


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「収録が終わっても、坂口さんとの『合気道』はまだつづいています」

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