文化盗用にまつわる、めちゃくちゃ入り組んだ議論
今回も、当事者であるはずの日本人が、おおむね『Ghost of Tsushima』を歓迎したにもかかわらず、それをスルーして、文化盗用の議論が海の向こうで勃発したようである。
しかし「意識の高い欧米人が出しゃばっちゃって、マヌケな話」などとまとめて終わりにできるほど、ことは単純ではないらしい。
まず、弱い立場にある抑圧や暴力の被害者が、加害者を肯定的に受け入れている場合はままある。ブラック企業や児童虐待などを考えてみれば、そうしたケースを思い出せるだろう。
つまり日本人が『Ghost of Tsushima』を喜んでいるのは、彼らが文化盗用ではないというお墨つきを与えたというより、彼らはそもそも搾取されていることに気づいていないか、気づきつつも甘んじて受け入れている、というわけだ。したがって、文化盗用であるという訴えを取り下げる必要はないのだ。……と、この作品に問題意識を持つ欧米人の皆さんは、主張するわけである。
さらにまた、この作品の描く日本の美や侍の心意気を日本のユーザーが好ましく受け入れたのには、彼らの愛国心が背景にあると考えられる。まして、これはモンゴル人に侵略される日本人を弱者とし、不屈の精神で野蛮な敵に打ち勝とうとする様を描く作品だ。この筋書きを見て、戦前の日本によるアジア諸国への侵略的行為を思い出す人もいるだろう。そこへの配慮もなく、なんだか日本を美化して、ナショナリスティックな日本人プレイヤーにおもねっている感じがする。どうなんだ。……と、問題意識を持つ皆さんは、おっしゃるわけである。
というわけで、この作品はそもそも欧米人による日本の文化盗用であるが、その盗用は日本を歪め、あまつさえ過剰に美化したものであり、かつ日本人たちはその美化の心地よさをもって、歪んだ文化盗用を受け入れてしまっているのだ。と、いう、めちゃくちゃ入り組んだ議論になってるみたいである。
「みたいである」というのは、話が入り組み過ぎて、すべての論点を拾えないという意味である。しかし、どんな論点があったとしても、そもそもまずは日本人が蚊帳の外に置かれて、いいだの悪いだのかわいそうだの言われるに至ったのは、やはり奇妙なことだ。当事者を欠いてそういう議論が盛り上がってしまうこと、すなわち日本がトピックとして消費されてしまうこと自体が、文化盗用的なことに見えるのだが。不思議である。
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