フェミニズム的に読み解く、男性漫画家の3作品『やれたかも委員会』『生理ちゃん』『妻と僕の小規模な育児』
フェミニズムの言説の中で、とかく「おっさん」は悪者になりがちである。
もちろん性差別的な発言をする人も差別を行使する人もおっさんが多いためにイメージが悪化するのだが、一方で、まっとうな「おっさん」はフェミニズムと交差したりしなかったりしながら、まっとうに人生や社会の問題に向き合い、2020年らしい歩みをそれぞれに進めているのではないか。
この記事ではアラフォーのサブカル系男性漫画家たち3人(吉田貴司『やれたかも委員会』/小山健『生理ちゃん』/福満しげゆき『妻と僕の小規模な育児』)に焦点を当て、それぞれの作中でのテーマや表現をフェミニズム的な視点を交えながら、彼らが今何を考えているのかを読み解いていく。
目次
1:吉田貴司『やれたかも委員会』が描いたフェミニズム
まずは映像化もされ、かなり話題となった感のある本作。公開当初から現在まで、よくも悪くもあまりフェミニストからは注目されていないように思うが、実はこれ、フェミニズム的にもおもしろく、意義のある作品なのではないかと思う。
毎回入れ替わりで無名のゲスト(投稿者。30代以降の男性が多いが、女性の回もある)が登場し、「やれなかった」つまり成就しなかった恋愛のエピソードを語る。いい関係になっていたのにセックスするチャンスを逃し、その後も関係が発展しなかったことを振り返って「あのとき、自分が行動を変えていればやれていたのか?」という問いに審査員の3名がそれぞれ「やれた」「やれたとは言えない」の判定を下し、見解を述べる。
この作品で注目すべきは、まず第一に、性欲が「男女平等である」と描かれている点だ。やりたい側が男性、やらせてあげる側が女性、という性役割を完全に取り払っており、男女が等しく意中の相手に対して「やれるかも」と期待を抱きながら距離を縮め、必ず期待が裏切られる。また、「性経験の浅い女性ならこう考えるはず」「積極的な女子はこうするはず」というような、男性の描く漫画にありがちな決めつけもだいたい裏切られる。
次に、「No means No が徹底している」というところ。たとえば未だに《ふたりで飲みに行ったらOK》《家に上げてもらえたらOK》などという時代遅れの通説を信じたがる人がいるが、このような神話も作中でことごとく粉砕される。なんなら登場人物の多くは同じベッドにまで入ったりしているのに、それでもOKではないという現実にぶち当たる。だがそれに逆ギレしたり無理強いする人物はおらず、ダメと言われたらダメなのだ、と受け入れる。
また、「なぜ相手の答えがNOだったのかわからないまま終わる」という点も好きなところだ。実際の恋愛でも、相手を追う側はあれこれ理由を探してしまうが、つれなくした側にとってみれば「なんとなく気乗りしなかった」くらいの理由のことも多い。その非対称性をとてもうまく表現している。
作品自体は90年代から長くつづく童貞讃歌サブカルのようなテイストだ。しかし最近公開された長編では、ノリノリで第9話まで童貞的な青春失恋エピソードが展開されたにもかかわらず、審査に至る最終第10話では審査員の月満子によって「童貞の正当化が迷惑」「身勝手な憧れの押しつけ」「あなたには決定的に欠けている視点がある」とゲストの語りが酷評され、9話分のちゃぶ台がひっくり返される。このちゃぶ台返しも本作の魅力のひとつであり、ツッコミがあることで男性も女性も同じ作品を違う角度から楽しめるようになっている。
普通の恋愛ストーリーでは扱われないような複雑でリアルな心の動きをすくい取り、それをエンタテインメントに仕上げている稀有な作品だ。
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