3:正統派ガロ系漫画からエッセイ漫画への転身がハマった福満しげゆき
ガロ系の漫画家として90年代にデビューした福満しげゆき氏が当初テーマとしていたのは、学歴や対人面での劣等感、恋愛や青春を楽しんでいる人たちへの妬み、将来への不安など、自己のネガティブな内面の吐露だった。ある種普遍的なテーマながら、過剰な劣等感を客観視し、時に大げさに描くことでおかしみを生む独特の魅力は初期からすでに表出していた。しかしメジャー誌に移行してからの日常エッセイ漫画でさらにその才能が開花することとなった。
若いころ特有の漠然とした劣等感や不安は、大人になったからといって解決するわけではないが、あのころのように強く心を押しつぶしてくるわけでもない。漫画家として成功を収め、妻だけでなく子供もいる福満氏が、では近年は何を描いているかというと、愛妻エッセイ漫画と子育てエッセイ漫画なのである。
昔の作風を引きずるのではなく、ネガティブさや不安をアップデートし、今の読者が読んでおもしろいものをずっと同じペースで描きつづけている。特に第一子の出産シーン、喜びと同時に聴力障害を持っていることがわかり夫婦でショックを受ける場面などは、長く日記的作品を描いてきたからこその描写力でぐいぐい読者を引き込んでいく。
まともな大人になれなかった(ことを売りにしていた)はずの福満氏が、育児に関わることによって、息子の障害をあるがままに受け止め、またそのことが原因でいじめられても弱者目線の解決法を伝授するなど、逆転的に子供の味方になれるいい父親への道につながっているところもとてもおもしろい。サブカル劣等感男子はこうして大人になっていくという例としても興味深いと思う。
一方、「妻」を描くことも福満氏のライフワークと化している。妻の生態を観察するようなほのぼのしたやりとりがメインではあるが、時にケンカが勃発し、身体的暴力のやりとりが描かれる。多くは妻からの一方的な暴力であり、発作的な妻の「キレ」をどうやり過ごすか、どう逃げるのが有益か……など実体験を伴った対処法が細かく説明されることもある(ちなみにどこまでが事実かはわからないし、脚色があっても構わないと思う)。
「それはDVでは?」と疑問を投げかけることもできるのだが、アクション映画並みに攻撃をかわし、追ってくる妻から隠れながらも、妻を愛し、ずっと描きつづけ、いなくなったらどうしようという不安を綴りつづける姿は、近代文学の『死の棘』を思い起こさせる。これは島尾敏雄によって描かれた、狂った夫婦愛の名作だが、彼らこそ現代の死の棘を地で生きているのではないか。
夫婦や子育てに正解はないが、福満氏にはこれからもずっと家族を描きつづけてほしいと願っている。
男女の相互理解を深めるために
3人共に共通して言えるのは、彼らはフェミニズムの文脈に沿って発信しているわけではなく、今後もフェミニズムにおもねることはないだろうということ。
だが、かつてヴィレッジヴァンガードで10年以上サブカルにどっぷり浸かっていたアラフォー書店員(筆者)からすれば、彼らが現在描いていることは意外とフェミニズムの側にあり、男女のズレや確執を知り、相互理解を深めるために見逃せない作品ばかりだと感じる。今後も引きつづき注目していきたい。
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