ついに完結『チ。ー地球の運動についてー』作者・魚豊のエゴとジレンマ「抑制が効く状態は、真の感動ではない」

2022.6.29

文=安里和哲


時代の常識とは相反する真理に出会った人間たちの決死の探求を描くマンガ『チ。ー地球の運動についてー』が完結し、6月30日(木)に最終巻となる第8巻が発売される。

中世ヨーロッパを舞台に、天動説を疑わないC教と、地動説を信じる異端派の命がけの相克を、作者の魚豊はドラマチックに描く。章ごとに入れ替わる主人公たちは、時代を超えて「地動説」を受け継いでいくが、彼らはなぜ命がけのバトンを託し、受け取るのだろうか。

『クイック・ジャパン』vol.159(2022年3月3日発売)では、最終回を間近に控えていた『チ。』の内容に触れながら、地動説を受け継ぐロマンについて魚豊にインタビューを行っている。第8巻の発売と、アニメ化も発表されたことを記念し、その全文をウェブに初公開する。

魚豊(うおと)1997年生まれ、東京都出身。マンガ家

※この記事は『クイック・ジャパン』vol.159掲載のインタビューを転載したものです。

過ちがあっても、感動した心まで否定する必要はない

『チ。─地球の運動について─』魚豊/小学館
『チ。─地球の運動について─』<第1集>魚豊/小学館

──地動説をテーマにした『チ。』を描くきっかけはなんだったのでしょうか。

魚豊 最初はなんとなく知性と暴力の関係を描いてみたかったんです。それでいろいろ調べるうちに、地動説をテーマに取るのがいいだろうと。今回のテーマに引きつけて“知”について話をすると、知性のあり方って「コンプレックス」と「スタンドアローン」の二面性があると思ってて。

──集合的な知と、独立した知ですか。

魚豊 はい。学問としての自然科学は集合的、コンプレックスな知性ですよね。研究を重ね、公共空間で対等な議論を重ねて、みんなで真理を探求する。『チ。』の世界では、そのコンプレックスな知性が天動説を掲げるC教に独占されています。それゆえに地動説派の異端者たちは弾圧を恐れて、表立って研究ができない。彼らはひとりで星空を観察し、部屋で思弁を重ねる。そういう孤独なスタンドアローンな知性もある。

──作品の中では、スタンドアローンな知性も、ごく少数の人間関係の中ですが、集合化していきます。

魚豊 そうですね。この時代の地動説をテーマに取れば、スタンドアローンな知性が集合するさまを、ドラマチックに描けるなという狙いはありました。

──魚豊さんご自身の創作に関して、知性の二面性で、どちらを重視されていますか?

魚豊 僕は高校生でデビューしたときから、ひとりで引きこもって描くのが好きで、孤独な創作を肯定したいタイプでした。でも、描き続けるなかで、創作に完全な孤独はないと気づいた。自分も誰かの発明を使ってマンガを描くし、すべての創作は引用でしかなく、過去を振り返らざるを得ない。同時代ではスタンドアローン的に創作しているとしても、歴史のなかではコンプレックスな創造になるんですよね。過去の作家が投げたけれど誰も気づけなかった問題提起を、現代の作家が自分へのメッセージだと誤解して拾い上げる。哲学者のメルロ・ポンティはそれを「過去からの友情」みたいに表現していたと思うんですが、そういう人間の営為が美しいなと思うんです。

『チ。ー地球の運動についてー』より

──作中でも、地動説に感動した下級民のオクジーが読み書きを覚えて記録を残します。自分の感動を誰かに伝えたいという思いは普遍的なのかもしれない、と思わされるシーンでした。

魚豊 ガリレオの「書き留めよ、議論したことは風に流されてはいけない」っていうパンチラインが好きなんですけど、オクジーも真理を知った感動に突き動かされて、書き残そうとするんですよね。地動説を知って、世界の見え方がまったく変わってしまった感動を、誰かに伝えたくなる。現代に生きる僕らのレベルでも、勉強して新しい知識や情報を得ると、解像度が上がって、世界の見え方が変わりますよね。スタンドアローンにせよ、コンプレックスにせよ、知を得ることで世界の見え方が変わる感動は、時代を超えて伝わるんだと思います。

──異端派が危険を冒してでも地動説を研究し、後世に残そうとする一方、天動説に生涯を捧げたピャスト伯は、死の間際に地動説を立証されて打ちひしがれます。真理を前にして、人生を丸ごと否定される気持ちを想像して、胸が痛くなりました。

魚豊 ピャストには、たしかにペーソス(哀愁)があるんですけど、いい人生だなぁと思います。天動説が嘘っぱちだったとしても、天動説を愛した気持ちは本当なんですよね。このマンガでは、不正解でも無意味じゃないってことを描きたいと思っていたので、ピャストの人生も美しいものとして描いたつもりです。実際、歴史では破れていった人のほうが多いわけですよね。自然科学の教科書では、間違った学説は紹介されない。それが自然科学の強さでもある。でも、歴史という物語のなかでは、そんな敗者の人生にも美しさを見出だせる。合理性から外れたところで良心や無念を描けるのが歴史のいいところだなと思います。

──信じていたものに裏切られるという点では、第6集に登場するドゥラカも、幼少時代に大切な言葉をくれた叔父に裏切られますね。

魚豊 自分を変えてくれた言葉を放った人が、ろくでもない野郎だったパターンですね(笑)。あそこは裏切られてもたじろがないドゥラカを見せたかったんです。たとえ、ろくでなしの発言だとしても、過去にその言葉に感動したなら、その事実は否定しなくていい。昨今のキャンセルカルチャーでは、過ちを犯した人を批判するだけでなく、同時にその人の作品や言葉までキャンセルしてしまいますよね。

──世界中のカルチャーで起きている問題ですね。

魚豊 でも、作品や言葉に感動した自分の心まで否定する必要はないと僕は思います。信じていたものに裏切られながらも、その作品や言葉に感銘を受けた自分を受け入れることこそが自立だし、その経験を通してしか、主体性は育まれない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、立ち止まってはいけない。自分を感動させた言葉を消化し、発酵させ、血肉化していくのはいいことだと思います。もちろん、同時に過ちを犯した人へ対する責任の追求などは必要ではありますけどね。

歴史を受け継ぎ、それに縛られない自由をどう獲得するのか?

──『チ。』では、異端派は地動説を「自分ごと」として受け入れますが、それはすごく勇気のいることですよね。

魚豊 彼らは地動説を知った瞬間から、それを自分のよりどころにします。そして気づいたときには致命的なほどに、アイデンティティと地動説が一体になっている。そこには愛があるんですよね。地動説を愛するというか、愛してしまった自分を認めるというか。『チ。』では、地動説と各キャラの間で愛が醸造されて、無限の愛が湧き出しているんですよ。

『チ。ー地球の運動についてー』より

──無限の愛ですか。

魚豊 愛ってほかのエネルギーと違って際限がないと思っていて。彼らはその愛に突き動かされて、地動説を愛してしまった自分を認め、愛し抜く覚悟を持つ。自分の命を投げ出すほどバランスを崩してしまうけれど、そこまで愛するものに出会えた人生は幸福に見える。

──そこまで没入できることに羨望すら抱きます。

魚豊 でも僕らは憧れはするけれども、自分の愛に気づいても、怖気づいて目をそらしてしまう。実はこのマンガの異端派たちは、“地動説”を認めるのではなく、“地動説を愛してしまった自分”を認めて、覚悟を決めてるんだと思います。その覚悟の瞬間のカタルシスを描いているから、地動説に興味のない人も『チ。』を読んでなにか感じてくれてるんだろうなと想像してます。

──こうしてお話を聞いていても、魚豊さんは「引き受ける」「受け継ぐ」というテーマにすごく自覚的だなと思いました。

魚豊 『チ。』を描いてはじめて考えるようになりました。マンガ家としても個人としても、歴史のなかで生きてるという意識が芽生えました。でも、「俺は歴史を受け継ぐぞ」というコンサバになるのも避けたい。歴史を受け継ぎながら、それに縛られない自由をどうやって獲得するかが、これから挑戦してみたいことです。

──『チ。』を描くことで、なにか大きなものを引き受けてしまった感覚はありますか?

魚豊 のらりくらりと自由に描きたいので、そういう気持ちはないですね。でも、過去のモチーフをマンガに使ってしまったのは、無意識のうちに、過去に生きた人とコミュニケーションを取りたい願望が出てきたのかもしれないですね。

──過去の人とのコミュニケーションを取る……?

魚豊 過去の人は未来に向かって一方的に膨大な情報を投げ込んでいる。その無数の情報を拾いあげて、そのメッセージの意味を読み解こうとすることが、過去の人とコミュニケーションだという気持ちがあって。

──過去の歴史を受け取って、それをマンガにすることが魚豊さんにとっての過去とのコミュニケーションだと。

魚豊 はい。昔の人が投げっぱなしにしたメッセージを、僕宛なのかもしれないと思い込んで掴み取る……というか、もはや強奪しちゃって、それをモチーフにマンガを描きたいという単純なエゴがあるんです。でもそのエゴこそが、過去に生きた人とのコミュニケーションを生んでるのかなと信じています。そういう感情的なつながりの歴史を、『チ。』で描きたかったのかもしれないです。

──ここまでは託されたものを引き受ける立場での話を中心に聞きました。ただ、作中では登場人物たちが自らの感動を未来に託すシーンも多いですよね。そのときの託す側って、よくも悪くも無責任だなと思っていて……。

魚豊 その通りだと思います(笑)。でもやっぱり人は感動や愛を誰かに伝えたくなる生き物なんだとも思います。

──伝えられたほうにもその感動や愛が伝染して、かけがえのない人生になっていくのもわかります。その一方で、託す側は、相手の人生を大きく変えてしまうことにどれくらい自覚的なんだろうと。

魚豊 そうですね。でも、「誰かに伝えたい」っていう気持ちがなければ、社会も形成できないんじゃないかと僕は思います。これを伝えたら、後で大変なことになってしまうなんて抑制が効く状態は、まだ真の感動とは言えない。気づいたときには感動を伝えてしまってるのが、本当なんだと思う。マンガや小説でも、そういう作品が古典として残っているはずですよね。我ながらロマンティシズムが過ぎるとは思いつつ、それが人間社会の歴史だと考えてます。

──なるほど。

魚豊 そう言いながらも、自分の感動や愛を内側に秘めて創作や探求にひとり打ち込む人への憧れというか、シンパシーもあるんですよ。最初に言ったように僕自身、ひとりで黙々とマンガを描いてるタイプなので。ヘンリー・ダーガーのように、誰にも言わずにひたすら作り続ける人生もまた別格のすごみがある、そこはジレンマですね。でも「スタンドアローン」と「コンプレックス」の二者択一じゃなくて、両方が交わる知性や創作のあり方に惹かれるから、『チ。』みたいなものを描いたのかもしれません。

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