九州から上京して左官工歴60年!列島改造ブームとバブル景気を駆け抜けた昔気質の職人のたったひとつの淡い恋…「思い出だけじゃ、生きていけないからね」【佐伯ポインティのご長寿猥談 #2】

文=佐伯ポインティ イラスト=五月女ケイ子 編集=山本大樹


長い人生を積み重ねてきた人々が語る生涯最高の恋愛や性体験とは、どんなものなのか?

猥談を生業とする佐伯ポインティが、65歳以上の男女に濃〜い猥談を直撃取材! 戦前生まれの高潔なおばあさんからバブルの絶頂を味わったイカれたおじいさんまで、愉快なご長寿たちが登場します。

※本連載は一部に性的に過激な描写が含まれています。苦手な方は閲覧をご遠慮ください
※扱う時代背景を勘案し当時の表現を使用しているため、一部現代では不適切な描写も出てきます。本連載はそれらの行為を肯定するものではありません

ポインティ、平日昼間の池袋西口公園へ

著者の佐伯ポインティ

ポインティはこの日もご長寿猥談の担当・山本氏と待ち合わせしていた。

池袋である。

「池袋にはいろいろな老人が集まってる」という噂を聞いたのだ。なんだこの噂。

まあ巣鴨でご長寿猥談を聞けた、ということは、池袋でもいけるのではないか……?という、ハイパーざっくり仮説のもと、池袋西口公園の前の広場に向かった。

行ってみると、西口公園近くで、地べたに座るスタイルで缶ビールを飲んでるご老人たちがいる。本当に老人が集まってるじゃん!

なんだか昼から飲んでて楽しそうな雰囲気だ。猥談バーの運営やインタビューをやってきて実感したが、人はお酒が入ると普段より饒舌になっていろいろなことを話してくれる。特に猥談。お酒によって話しやすくなる効果は、この仕事にとって大きな味方だ。

しゃがみ込んで、ご長寿猥談の企画について話してみると、ご年配のメンバーの中から、ひとりが選出された。仲間たちに送り出された方は、後藤さんという方で、おそらく一番おしゃべりなタイプなのだろう。

最初は「いやー、俺はいいよ」と照れながら言っていたが、山本氏が「取材謝礼もありますし、ぜひ本日の飲み代に……」と言ったら「あんまり経験ないけどいい?」と言いながらソッコー応じてくれた。切り替えが早い。ありがたすぎる。

地べたで飲んでるおじいちゃんにインタビューすることなんて、人生で初めてだ! さあ〜ご長寿猥談インタビューの始まりだ!

後藤さん(73歳)
・昭和27年(1952年)生まれ
・熊本県出身。元・左官工
・17歳で上京。68歳までの60年間、建設会社の左官工として働く
・現在は無職、豊島区で生活保護を受けて暮らしている

60年間の職人人生がコロナで一変

ポインティ(ポ) 後藤さんはずっとこのあたりに住んでいるんですか?

後藤 もともとは北区で暮らしていて、生活保護を受けてたんですが、3年前にこのあたりに引っ越してきまして。アパートの契約のゴタゴタで揉めちゃいましてね。それでこっちに来たんです。

 今回もいきなりハードなお話! お仕事はされているんですか?

後藤 建設会社の左官屋でした。わかるかな? 大きなゼネコンから発注を受けて、壁を塗ったりするのね。ただ、3〜4年前のコロナの時期に仕事がなくなっちゃってね。ようやく世間も元に戻って、また仕事をしようと思って会社に電話したら「お前はもう70歳だし、手も動かないし力不足だからクビだ」って社長に言われて……。

 うわ、めちゃくちゃ不当解雇じゃないですか……。

10代のころから左官として働いていた後藤さん。若いころはキャバクラでひと晩10万円使ったこともあったそうですが、70歳をむかえ、所属していた会社を解雇されてしまい、貯金もなく、親戚に相談したところ、生活保護を勧められたそう。

後藤 そりゃ生活保護って言ったら世間の人からは恥ずかしいとかみっともないとか言われますけども。普通の人はね、一生懸命働いて税金を納めてるわけですから、我々が税金で生活してるのは憎たらしいですよね。だけどもう、それがないと生活できないから。俺はもう、毎日申し訳ないと思うんですよ。

 それはでも……生活保護があってよかったですよね。

同郷の八代亜紀を見て「負けるもんか」

 左官の仕事はいつからしていたんですか?

後藤 僕が九州から出てきて、17歳のころからだから……。60年、同じ会社で働いてましたよ。

 え、すご!

後藤 もともとは演歌歌手を目指して上京したんですよ。同じ地元に八代亜紀がいてね。それを見て「負けるもんか」って。演歌歌手なら、顔が悪くたって歌がうまければいいんだと。それで東京に来て、まずはその建設会社の親方のところに住み込みで働きながら歌手を目指していたんです。

演歌歌手デビューを目指して上京するも、親方がオーデションの日に無理やり現場に連れて行こうとするので反抗したところ、ボクシングをやっている現場の先輩に殴られ、力技で止められたそうです……。

後藤 先輩の言うことが絶対の世界だから。何人も先輩がいたけど、俺は弟子の中では六番目くらいの下っ端。そのとき殴ってきたのは一番弟子の先輩でね、俺は悔しかったよ。「この兄貴にはケンカじゃ勝てねえけど、絶対に仕事で負かしたる」って思って。そこからはずっと仕事に打ち込んだね。

 もう、パワハラとかのレベルじゃないですね。

後藤 そこからは意地だけでやったよ。腕っ節じゃ勝てないけど、俺は仕事で勝つんだ、と。そうやってがんばってたら、社長に「お前は一番努力した、だから先輩たちの誰よりもうまくなった!」って褒められてね。

 おお! 親方に認められてたんですね。

後藤 だからもう歌手になる夢は捨てた。まあ、今でもなりたいけどね、ははは(笑)。まあそれは、あくまでも夢だから。

 じゃあ今も歌うのが好きなんですね!

後藤 それはもう大好きですよ。自己流だけど、ちゃんと勉強したからね。今でもカラオケではみんなに「うまい」って言われるんだから。プロにはなれなかったけど、やっぱり歌が好き。演歌が大好きだよ。

田中角栄の「列島改造論」で世は公共事業バブル!

 後藤さんは、初恋のことって覚えてます? 九州にいたときですか?

後藤 中学時代は好きな子はいたけど、恥ずかしかったっちゅうかね。ただ「あの子いいなあ、キレイだなあ」って思ってるだけで話はできなかった。初めて恋愛をしたのは東京に来てからだな。

 左官のお仕事ってけっこうお給料もらえるんですか?

後藤 いやいや、最初はもらえませんでしたよ。1年間は丁稚奉公で、お金なんかもらえない。そこから丁稚が終わっても、給料は月に4000円くらい。そこから4年くらい一生懸命やったらようやく職人になれて、月に1万円もらえるんだよ。だからスナックに行くときも先輩が「飲み行くぞ!」って後輩も集めて、全部おごってくれる。

 芸人さんみたいな世界だな〜!

当時の勤め先では給料が少ない後輩を先輩がスナックに連れて行く風習があり、お店にはたくさん女の子が働いていたそう。しかし、先輩が連れて行ってくれたお店の女の子と必要以上に仲良くすると怒られるのでそこでの恋愛はご法度だったとか。

後藤 そこから職人として数年がんばって20歳になったころに、田中角栄の「日本列島改造論」で、バンバン公共事業の工事が入ってくるようになったんだ。たしか1972年ごろかな。

 おお、ちょうどすごく景気がいい時期。

後藤 俺も大体日給が2万3000円で。だから多いときには月に50万とか60万とか稼いでたんだよ。だからボーリングとかカラオケとか行って。女の子がみんなチャイナ服を着てるクラブもあって、チャイナ服の切れ目からおしっこするところ見せてくれるんだ。そういうところで毎日遊んでたよ。

 なんなんだその店、しかも毎日!? じゃあ20代のころは彼女はいなかったんですか?

後藤 そうだね。もともと、彼女作るのが目的で遊んでたわけじゃないからね。ボーリングだカラオケだ、って遊んでたから。

そして、運命の出会い。彼女のためにマンションを借りるも…

 初めての彼女ができたのはいつだったんですか?

後藤 彼女ができたっていうと、そこから15年後くらい、30代半ばのころかねえ。いろいろと遊んだけど、俺が本当に好きになったのはひとりだけ。今でも独りモンで、俺は結婚したことも子供作ったこともないし、あんときだけだな、人を好きになったのは。

 へ〜! お相手はどんな人だったんですか?

後藤 愛嬌があってかわいい女の子だったよ。ひとみちゃんっちゅうんだけど。スナックの従業員でね、「かわいいな〜!」と思って毎日そのスナックに通ったんだよ。

 ひとみちゃんはそのとき何歳くらいだったんですか?

後藤 俺の6個下で、たしか30歳くらいだったかな。それでひとみちゃんと「一緒に住もう」って約束してね、スナックのあった北区にマンションを借りたんだよ。大体50万円とか60万円出してね、6畳と3畳の部屋がある、風呂つきの部屋を。家賃が86,000円でね、そのスナックのすぐ近くにあるんだ。ところが、一向にひとみちゃんが来なかった。

 来ないんかい!!!

後藤 だから俺、ずっと6階の部屋からスナックを見てるんだよ。ひとみが出てきて、うちに来るんじゃねえかと思ってさあ。「お、出てきたな」と思ったら、全然違うところに行ったりして。

 え〜〜〜! マンション借りちゃったのに!?

初めてのセックス「好きな子とやるときは、早いこと出ちゃうんだよ」

 ひとみちゃん、なんで来なかったんですかね?

後藤 ちょうどそのころに、スナックのお客さんの別の男が、ひとみちゃんを自分のアパートに連れ込んで、やっちゃったらしいんだよ。ひとみちゃんはそのときが初めてだった。

 あちゃー……。

後藤 結局、スナックの客で処女じゃなくなったひとみちゃんを俺は抱くんだよ。でも初めてだったし、好きだから、もう発情しちゃって。三擦り半でピュピュ、ですよ。

 長い職人生活で、急にその時が来たわけですもんね。ひとみさんはなんて言ってました? 気持ちよかったとか?

後藤 いやあ、それはないね。三擦り半で終わっちゃったから! 好きな子とやるときは、早いこと出ちゃうんだよ!

ひとみさんとのセックスの思い出を振り返って「バックだの正面だのやってみたけど、どれが気持ちよくしてるとかもさっぱり。俺はちょっとやり方わからなかった、俺には楽しませることができなかった気がする」と語る後藤さん。

 その後、ひとみちゃんとは付き合うんですか?

後藤 付き合おうとしてたよ。マンションも借りてるわけだし、なんとか一緒に住もうと思って必死に口説いたんだけど、一向に住もうとはしなかった。何回もセックスはしたけどね。

 言葉はあれですけど、セフレみたいな。肉体関係はあるけど、付き合ってはいないみたいな?

後藤 肉体の関係で、付き合ってたんだよ。

 ……? 

「あなたは私の生活の面倒を見る義務がある!私も子供もあなたが面倒を見ろ」

 その後、ひとみちゃんとはどうなったんですか?

後藤 それからしばらく経ったら、彼女は最初の男のところに戻っていったんだよ。それで、向こうで子供作っちゃったの。それなのに旦那が仕事に行かないだのなんだので、離婚しちゃって。それで俺のところにまた戻ってきた。

 なんかあると後藤さんのところに来る感じになってる。

後藤 それで戻ってきて言うんだよ。「あなたは私の生活の面倒を見る義務がある!」って。「私も子供も、あなたが面倒を見ろ」っていうわけだ。

 なんか急すぎるけど、勢いがありますね。

後藤 「じゃあ俺のことを好きになったら面倒見てやる!」って。でも好きになるとは言わなかった。だったら俺は面倒を見ない、って言ったら最後は「私、モテるのよ」って言って去っていったんだ。

 展開ハンパないっすね。けっこう気の強い人だったんですかね、ひとみちゃんは。

後藤 いや、最初はキツくはなかったんだけどねえ。デートでよみうりランドにも行ったね。女の子連れてく場所って、ほかには頭に浮かばなかったから。一緒にふたりで写真撮ろうって撮るんだけど、もうカメラを構えてもらうたびにチンチンがピコピコしちゃってね。

 めっちゃ好きじゃないですか。ひとみ愛すごすぎるなあ。

ひとみさんは後藤さんの好みのタイプにドンピシャだったそう。「それくらい好きじゃなかったら一緒に住んで養おうとまで思わないでしょう?」と少し照れながら話す後藤さん。

 今振り返ると、ひとみちゃんのことどう思ってます?

後藤 今振り返るとね……悔しいね。当時はふざけんじゃないと思ったよ。ドレスっちゅうか、綿みたいなフワフワしてる、10万円くらいする服も買ってあげたんだ。それで妹にも何かあげようと思って、カセットテープの、あれも何万もするやつも買ってあげて。ひとみちゃんだけに買ってあげるのもなあ、って思ってたから。

 お金も時間も想いも捧げてたんですね。

後藤 俺は九州の生まれだし、一本気だからさ。それに、30代のころはバブルでまた景気もよかったんだ。結局ひとみちゃんとは行けなかったけど、俺、左官の仕事でディズニーランドの大通りを作ったんだよ。入園してすぐのところに、橙色の扇型のブロックが敷き詰めてあるだろ? あれ、俺が一個一個塗ったんだよ。

 すごい! せっかくディズニーランドの道を作ったのに、なんでひとみちゃんとのデートはよみうりランドだったんですか?

後藤 そのときは近かったし、よみうりランドしか思い浮かばなかったんだよな〜。

ひとみの親戚、登場!「10万円貸してほしい」

 後藤さんはそれ以降、恋愛はあったんですか?

後藤 いやあ、一切なかったね。それから女と縁がなくなっちゃった。

 人生で最初で最後の恋だったんですね……。

後藤 そういえば、恋愛じゃないけど、もうひとつあったな。ひとみちゃんと同じスナックに、ひとみちゃんの親戚のお姉ちゃんが働いててね。ひとみちゃんと別れたあと、その子が俺の部屋に来て「10万円貸してほしい」と。

 え、ひとみちゃんの身内!? またすごい話だな。

後藤 で、「俺10万は持ってないから8万円ならいいよ」って。そしたら「抱かせてあげる」っていうから、そのまましちゃったんだよね。

 え、どういう流れなんですか!?

後藤 そのときは三擦り半じゃなかったんだよ! 風呂場でチャポンチャポンって感じで。でも、それからは何もなかった。その女の人にも子供がふたりいたしね。

 チャポンチャポンって感じ……!? じゃあ、それ以降は何もなく……?

後藤 そう。で、今に至る。

「過去は過去。思い出だけじゃあ生活できないからね」

 じゃあ本当に、ひとみちゃんとの恋が最初で最後の恋だったんですね。

後藤 そうだね。ひとみちゃんが働いてたスナックもつぶれちゃったし。ちょうどそれからスナックっていうもの自体がなくなってきて。カラオケスナックっていう新しい業態ができたから、だいぶ変わったね。

 そっか……今でもひとみちゃんのこと、思い出したりしますか?

後藤 いや全然! 思い出なんて、何もならんしね。俺にはもう関係ないことだから。それでも全部忘れることはできないから、こうやって聞かれたら思い出すんだけど。

 過去は過去、と。

後藤 そう、過去は過去。思い出だけじゃあ生活できないからね。「こんなことがあったなあ」って振り返ることはあるけど、それはそれとして前に進まなきゃいけないから。

 最後になんですけど、後藤さんの人生で「恋愛」ってどういうものでした?

後藤 ひとみちゃんに対しては、悔しい思いだけですね。あれだけお金もいっぱい使って、いっぱいセックスもしても、結局俺のところには来なかったっていうのが、一番の悔しさ。結局ひとみちゃんは面食いなとこあって、俺のことは好きじゃなかったんだ。だから俺とは一緒になれない。もうちょっと違う女性を選べば、人生変わってたかもしれない。

 後悔って、してますか?

後藤 そりゃあしてますよ。でも、当時はひとみ一本だったんだ。ほかの女には目もくれなかった。だから彼女が離婚して子供を連れてうちに来たときもね、「俺のことを好きになるんじゃないか」って思ったからさ。でも結局、お金目当てだった。俺にももうちょっと、女性を見る目があったらなあ……。

 ででも、ひとみちゃんが好きな気持ちに嘘はついていないですよね。

後藤 4年くらい口説いてたんだけどね。結婚しようと、一緒に暮らそうと。金はあったからね、毎日スナックに通って。彼女の気持ちがいつかコロッと変わって俺のことを好きになるんじゃないかって思ってた。だからマンションを借りて、ドレスも買ってさ、お金使って彼女の心を動かそうとしたんだよ。ダメだよなあ。それは認める。でも、それくらい本気だったんだ。馬鹿みたいな話だけど、まあ、こういう人生ですよ。

取材を終えて

演歌歌手を目指し17歳で九州から上京したものの、オーデションは受けられず、仕事ばかりの日々で当初の目標のことを考えない生活が当たり前になっていく。

そんな日々の中で出会った、ひとみさんとの人生でたった1回の恋愛。

だがその恋愛はなかなかうまくいかず、同棲用に借りたマンションにひとりで住むことになっても「今はそのころのことを思い出すこともない」ときっぱりしている後藤さん。

夢が叶わなくても、恋愛がうまくいかなくても、仕事が突然なくなっても、人生は続いていく。カラッと振り返りながら語った後藤さんは、地べたに座ってまた楽しげにお酒を飲み始めた。

今回は、後藤さんの人生の断片から、日本の公共事業の成長期の話や、当時の経済状況も垣間見えた。日本の経済と、恋愛のあり方って連動しているような気もする。いや〜〜どんどんご長寿にインタビューしていきたくなりますね~!?

それでは次回のご長寿猥談でお会いしましょう〜!

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佐伯ポインティ

(さえき・ぽいんてぃ)マルチタレント。1993年生まれ、東京都出身。早稲田大学文化構想学部卒業後、株式会社コルクに漫画編集者として入社。2017年に独立し、猥談系Youtuberとして活動をスタート。18年には日本初の完全会員制「猥談バー」をオープンした(現在は閉店)。24年7月からは「佐伯ポインテ..

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