試合の「流れ」までも描く、野球への造詣の深さ
ツクイ 野球をよくわかっている、という意味でほかの野球マンガと差が出てくる部分として、試合展開の中で「どこを描かないか」の取捨選択があると思います。展開の飛ばし方というか、端折り方が巧い。むしろ短くすることで、試合全体の流れや膠着具合を見せているというか。
オグマ この点は、最近の野球マンガに特に見倣って欲しい点です。今の作品は、1球ずつを丁寧に描き過ぎ。どれだけ地区大会3回戦を1球ずつ描写してるの?と。もっとトーナメントの上が見たいんですよ。結果的に、地区大会で息切れしてしまうか、マンネリ化による人気の陰りで、肝心の甲子園が満足に描けなかったりする。いやいや、もっと飛ばしてよ、と。
ツクイ しかも、主人公たちのチームじゃない試合だったりしますからね。
オグマ 『球道くん』なんてどんどんイニング飛ばしますから。そうじゃなきゃ、3歳から高3までの野球大河ドラマは描けない。でも、試合展開は飛ばしても、中西球道という投手のすごさはちゃんと描けている。
ツクイ 結局それも、野球をよくわかっているからこそ。あぁ、確かにこのあたりで一度試合が落ち着きそう、という流れまでも意識して、しっかりそれを読者に提示できている。結果、試合を見た満足感はちゃんとあるから、あまり端折った感じがしないんです。
オグマ その意味でいうと、プロ野球編以降の『ドカベン』の認知度が下がってしまったのは、この端折り方に難があった、ともいえます。西武対ダイエーの試合、いったい何カ月やってるの?と何度思ったことか。
ツクイ あれだけ「首位攻防戦だ!」と密に描きながら、肝心の8月・9月はあっという間に終わってしまって、気がつけばシーズン終了。あの首位攻防戦はなんだったんだ?となりがちでした。ほかにも、あれだけ4番の山田が打ちまくり、不知火守が勝ちまくって、なぜどちらのチームも優勝争いに絡まないの?といった違和感はどうしても生じてしまった印象はあります。対して、『あぶさん』は1話完結でちゃんと1試合を描き、その上で「代打屋」だから、あぶさんがどれだけ打とうが、シーズンを通してみたら南海が最下位でも成り立っていたというか。
オグマ むしろ、そこにリアリティがありますよね。ただ、60歳を過ぎても超人的な活躍をつづけた姿は、さすがにちょっと厳しいものもありましたが。
今の日本には「岩鬼正美」が足りない!
ツクイ 超遅球ではフォームを崩しながらもなんとか対応しようとしていた山田太郎ですが、それ意外の場面ではとにかく打撃フォームがきれいです。あれはこだわりなんでしょうね。
オグマ 山田はとにかく、正攻法にする、というのは最初に決めていたそうです。その代わり、岩鬼という悪球打ちしかできない型破りなキャラクターを作った。むしろ、岩鬼というキャラクターがあっての山田だ、と。不言実行の山田、有言実行の岩鬼……どこまでも対照的なキャラ設定なんですよね。山田太郎が王貞治的で、岩鬼正美が長嶋茂雄的、ともいえます。
ツクイ 岩鬼正美は、水島作品の数あるキャラクターの中でも特に重要な存在です。今のプロ野球に何が足りないって、やっぱり岩鬼的な要素だと思うんです。なぜ、新庄剛志というキャラクターがあれほど愛されたかといえば、あんなにも岩鬼的な野球選手がほかにいなかったから。品行方正で常識的な選手ばかりじゃ、つまらない。もっといえば、野球選手だけじゃなく、役者でも落語家でもお笑い芸人でも、今の日本には、岩鬼成分が決定的に足りない! 自分を含めて多くの日本人は、閉塞感のある現代において、岩鬼的な何かを絶対に求めているはずです。
オグマ 豪放磊落で、有言実行で。
ツクイ 人情もろくて、金勘定しない。弱い者に優しくて、強い者に突っかかっていく。小さくウジウジしているものが大嫌い。口は悪いけど嫌な感じはしない……『ONE PIECE』で描かれた光月おでんなんかもそうですが、ああいうキャラクターこそ、日本人の永遠のヒーロー像なんでしょうね。そういったキャラクターは、野球マンガの世界では岩鬼が唯一無二。そんな岩鬼を通して「天才性」を描きつつ、『名門!第三野球部』的な努力は極力排除するというか。マンガにありがちな「努力が天才を凌駕する」描写はほぼ皆無なんですよね。
オグマ 確かに。努力シーンを描いたとしても、レギュラーになれるかどうかの当落戦上の選手であって、その選手が試合の鍵を握る、といったほかの野球マンガにありそうな展開もほとんどないと思います。
ツクイ プロで活躍するような人間は、そもそもの能力値が違う。速い球を投げる能力、ボールを飛ばす能力などは、特に生まれながらの資質によるところが大きいですし。たとえば、『巨人の星』における「大リーグ養成ギプスをつけたから……」といった、後天的な工夫による超人的な成長はほとんど描かれていない。
オグマ 岩鬼の悪球打ち特訓の描写は確かにありましたが、あれは「きっかけ」でしかないですからね。むしろ、連載が進むほどにアイデア勝負になって、バットに当たりさえすれば持ち前のパワーでスタンドまで運んでしまう。
ツクイ 岩鬼の規格外のプレーが成立するのは、そもそもの身体能力がすごい、という描写を何度となく入れているから。山田太郎も、足腰が強い・リストが強い、という能力を元来から備えていました。
オグマ その反面、才能あふれた人間が努力するシーンは描いています。
ツクイ あぶさんがなぜあんなに打てるか、の説明はありませんが、あぶさんがどれだけ念入りに体を労っているか、に関しては事細かに描写しています。だからこれだけ長くやれた、ということを逆説的に説明している。「オフは体を休めるもの」という考えが一般的だった時代から、あぶさんはかなり体をいじめ抜いていたし、後半は特に、若い選手も真似できないハードな自主トレをしていた。ああいった描写こそ、アスリートの最前線という意味でリアルなんですよね。
オグマ 取材のため、プロ野球選手や関係者たちと月に200万円近くの飲食費をかけて時間を共にしていた時代があったことを、過去のインタビュー(『週刊文春』88年11月24日号)で答えています。水島先生自身は下戸なのに。恐れ入るのは、これだけ創作活動と取材に時間をかけながら、冒頭でも紹介した最盛期の70年代後半でも、年間で何十試合も草野球に励んでいたという事実。まさに「野球狂」とは水島新司本人のこと。これから水島作品を読んでみたい、久しぶりに読んでみようという方には、ぜひ77年前後の作品を読んでほしいです。描いて描いて描きまくったからこそ到達した、“日本野球のもうひとつの真髄”がそこにはあるはず。
ツクイ 日本野球の真髄、という意味では、よく桑田真澄さんが「日本野球のフォーマットを作ったのは飛田穂洲だ」と語るように、「日本の野球マンガのフォーマットを作ったのは水島新司だ」という位置づけで論じても何もおかしくはないはず。だからこそ、水島調から外れ過ぎてしまって読みにくくなってしまうジレンマも。ヒット曲は、実は過去のヒット作と同じメロディである、というのと同じなんですよね。聞いたときは新しい!と感じますが、裏では昔ながらの売れ線のメロディを継承している、というのが今の野球マンガでもいい作品なんだと思います。
誰よりも先駆けていた「球界再編」構想と「アベンジャーズ」構想
オグマ 「日本野球のフォーマット」という意味で、水島先生の功績として挙げたいのは、プロ野球、特にパ・リーグを盛り上げつづけてくれたこと。『あぶさん』を通してパの歴史を紡いできただけでなく、1981年にはパ・リーグの「PRエグゼクティブ」に就任してさまざまな広報活動に尽力するなど、名実共に“パの広告塔役”を担っていました。
ツクイ それだけに、今のパ・リーグ勢の隆盛はうれしいでしょうね。
オグマ そしてもうひとつは、「プロ野球はこうあるべき」という理想像をしっかり描いていたこと。今年冒頭、王貞治さんが「プロ野球16球団構想」を提唱して話題になりましたが、それこそ『スーパースターズ編』も『ドリームトーナメント編』も、水島新司的エクスパンション。球界再編構想なんです。ソフトバンクや楽天が誕生する前に、『スーパースターズ編』で携帯会社が親会社になる、という予言までしています。それ以前に描いた『光の小次郎』だってそうです。
ツクイ 『光の小次郎』で描いたふたつのオリジナルリーグはあまりにも画期的。それまでの野球マンガでは……というか、今でもほとんどそうですが、既存のセ・パに新規で1つ球団を追加するか、おなじみの球団名をもじって「それ巨人でしょ、阪神でしょ」という設定がほとんど。そんな中、フランチャイズも球団名も親会社も新しい価値観で生み出し、エキサイト・リーグとワイルド・リーグというふたつの独自リーグを誕生させ、ドラフト制度にまで改革を加えた新しい球界を創作する、というのは、本当にオリジナリティあふれるすごいことだと思います。
オグマ 80年代前半にもかかわらず、北海道や九州、四国といった地方都市に球団を置いているんですよね。むしろ、今の球団分布図に近い。球界のあるべき姿というか、夢の形を先に描いて見せ、現実のプロ野球がそこに近づいていった印象すらあります。そして、夢の構想といえば、水島マンガ球児たちが一堂に会した『大甲子園』。アベンジャーズ的なものの先駆けって、何よりも『大甲子園』なんじゃないかと。
ツクイ いわゆる「水島新司ユニバース」ですね。こんなこと、今じゃ絶対にできないですよ。出版社の垣根を越え、権利関係も調整して。これをやりきった自己プロデュース能力こそ、水島先生が持つ最大のすごさかも。
オグマ この『大甲子園』を実現させるため、それまでの高校野球作品すべてで、高3の夏を残していた、というのもすごい。「いや先生、最後の夏、描いてくださいよ!」という掲載誌からの依頼だってきっとあったはず。さらに驚かされるのは、この構想を『大甲子園』の連載が始まる6年前、1978年の段階ですでに持っていること。1978年発刊の『水島新司マンガの魅力』という本の中で構想を明かしています。
ツクイ 『ドリームトーナメント編』で、ドカベン勢とあぶさんとを戦わせなかったのも、プロデューサーとしての判断なのかもしれないですね。安易に戦わせて、一時の盛り上がりを取るよりも、それぞれの作品の「格」を守った。
オグマ 2005年の『野球狂の詩VS.ドカベン』も、同じ日本シリーズの攻防を秋田書店の『チャンピオン』では『ドカベン』視点で、講談社の『モーニング』では『野球狂の詩』視点で、と掲載誌を変えて同時に描く、まったく新しいチャレンジでした。本当に、漫画家生活63年を通して、新しいチャレンジをつづけてきた。
ツクイ そうして生み出した作品群を通して、実際にプロ野球選手にも大きな影響を与えてきたわけです。
オグマ 水島作品をきっかけに野球に夢中になった選手。いつか『あぶさん』や『ドカベン』に出てみたい、ということを目標としていた選手。清原和博は「4番のあり方を山田太郎に学んだ」とまで語っている……これだけの影響力を持つ作家は、今後もなかなか現れないはずです。
ツクイ だからこそ、野球関係者は本気になって、水島先生の野球殿堂入りを目指すべき!と思っていたのですが……。まさか水島先生のほうから辞退するとは。このニュースは、引退以上に驚きました。
オグマ 漫画家生活45周年を記念して、2002年に限定発売された特別冊子のタイトルは『水島新司 夢の途中』。過去のインタビューでは何度も「人生の最終目標は野球殿堂入り」と語っていたんですが……。
ツクイ ただ、「殿堂入り」というかたちで残せない以上、まずは作品としてしっかり後世に残ってほしい。そのためにも、未だ実現していない水島作品の電子化を望みたいです。
オグマ そして、以前私が「クイックジャーナル」で書いたように、ほかの野球マンガと並列で語られるのをよしとしない今の水島プロダクションの姿勢はどうか見直してほしいと切に願います。
ツクイ 引退の際にも、「これからの漫画界、野球界の発展を心よりお祈り申し上げます」とコメントされたわけですからね。その言葉どおり、両業界の発展に対し、ぜひ前向きな姿勢を貫き通してほしいです。
オグマ と同時に、僕らのように水島マンガで育ってきた世代が、その意義や魅力について、何か語り継いでいくイベントを立ち上げたり、作品として残すことをしていきたいですね。
ツクイ 同感です。ひとまずは、本当におつかれさまでした。
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