熱い思いを秘めたムードメーカー
人一倍まわりを見ていて、あどけなさでパァッと周囲の雰囲気を明るくすることができるムードメーカー、それが浦野秀太だ。一方でハイクオリティな歌のスキルも併せ持つ。幼少期からコツコツとレッスンを積み上げてきたからこそのボーカルは、ロングトーンだけでなくハイトーンや声を荒げる歌い方もお手の物。幅広い楽曲を歌いこなすボーカリストである。

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人生で強い影響を受けたカルチャー
浦野 映画館で観た『ラ・ラ・ランド』(2017年)です。夢を諦め切れずにいる主人公が、仕事で伸び悩んでいた当時の自分と重なって。「僕もがんばらないと」って改めて気合いが入りました。
――スイッチが入った作品なんですね。
浦野 そのとおりです! 歌とダンスをがんばりたいところも自分自身と重なって感じました。
――芸能を目指したきっかけは、なんだったんですか。
浦野 きっかけは親がオーディションに応募してくれたことですね。そこから事務所に入って活動していました。始めてみたら楽しくなって、自分の意志でつづけたいと思うようになったんです。
色気あふれるミスター職人
『PRODUCE 101 JAPAN』では、ダンサーとして一目を置かれていた佐野文哉。そんな彼の魅力は、なんといっても徹底した職人気質にある。細部まで神経が行き届いたダンスから見て取れるように、やると決めたら何がなんでもやり抜いてしまう。柔軟にまわりの声を取り入れ、魅せ方の追及や表情の研究、歌唱に至るまで、“自分の最高”を更新していく姿勢こそ、彼を追いかけていて楽しいゆえんだ。

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人生で強い影響を受けたカルチャー
佐野 『ヘアスプレー』(2007年)というミュージカル映画です。あの映画を観てから、人を楽しませるには表現力も必要なんだ、と思うようになったんです。それまでは、踊りや歌の実力をつけることだけに意識が向いてしまっていたのですが、それだけじゃダメなんだなって。映画を観たのは『PRODUCE 101 JAPAN』のオーディションが始まる少し前くらいで、最初のころはまだ切り替えがうまくいかなかったです。
――そもそも佐野さんがエンタテインメントの道を志したきっかけは、なんだったんですか。
佐野 バックダンサーをやっていたとき、間近でアーティストさんを見て「僕もやりたいな」と思いました。ステージに立つとすごい歓声をもらうんですけど、「この歓声は僕に対してじゃないんだな」って少し切なく感じてしまうことがあって。もちろん、誇りを持ってバックダンサーをやっていました。でも、僕も前に出てやってみたいと考えるようになりました。
――ダンスを始めたのは、いつごろだったんですか。
佐野 大学2年のときからです。実はダンスレッスンって受けたことがなくて。LAへダンス留学に行ったり、自己流で突き詰めて練習していました。僕はダンスを始めたのが遅かったので、小さいころからやってきた人と並ぶにはどうしたらいいのか、と考えて動いていくようにしていました。
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