法学部の学生が俳優になった理由
須藤蓮は、東京の比較的裕福な家庭で生まれ育ち、子供のときは父方の祖父の田舎で自然にまみれ昆虫などの生き物を愛でていた。小4くらいのときには養老孟司の生き物教室に参加した。高校時代は自由な校風の学校に通い、慶應義塾大学法学部に進学。司法試験も受け、法律関係の仕事に就いていたかもしれなかったところ、たまたまカメラマンのモデルになり、その人と自主映画を撮ったことから俳優になろうかと思い立ち芸能事務所に所属した。
そして2018年、『ワンダーウォール 劇場版』の前身であるNHK京都局で制作した京都発地域ドラマ『ワンダーウォール』(18年7月放送)の1500人にも及ぶ大規模なオーディションを受けて主人公キューピー役を射止めた。それが須藤蓮の転機となった。
NHK京都局でドラマを企画したプロデューサー寺岡環は、オーディションで「演技を始めた瞬間、彼のまわりの空気だけ急に密度が濃くなったような不思議な印象を受けました」と言う。
「オーディションという場は、“あくまで仮のもの”という空気が流れていますが、急にリアルなものが現れたという印象です。その後の付き合いの中でわかってきたことですが、蓮くんはたくさんの小説を読んできたので、演技の経験は少なくても、行間を感じてそこに自分を寄り添わせるという経験は豊かだったのだと思います」
選考には脚本家の渡辺あやも参加していた。
「私は冒頭のキューピーのシーンがとても大事だと思っていました。観ている人はキューピーという入口から、あのとても誤解されやすい集団の物語に入っていく。だからこそ、視聴者と寮生をつなぐ、フラットで好感が持たれやすいキャラクターである必要性があって。キューピーをまず見れば、変人たちの巣窟みたいと思いきや、そうでもないのかもと、一段階、ハードルが下がると思ったんです」
OKカットを撮り直してもらう異端児
そういう渡辺の狙いに、新人の須藤はハマった。だが、まだ色はついてないとはいえ、須藤には確たる“自分”があった。撮影が始まると、自分の思いを押し隠さず、率直に意見を言う彼に、弁の立つ頼もしき近衛寮生・三船を演じた中崎敏は面食らった。
「思ったことをそのまま言うので、ちょっと心配になりました。基本的に誰に対してもタメ口だから、飲みの席で、僕は平気だけど人によっては気をつけたほうがいいよと注意したこともあります。一番驚いたのは、彼も取材でよく話していることですが、監督がOKしたカットをもう1回撮り直してほしいと頼み込んだことです。僕ら俳優は、そういうことをするものではないと教育されているので本当にハラハラしました」
『ワンダーウォール』の監督は、20代の若手局員の前田悠希。入局してドキュメンタリーを手がけていた彼が初めてドラマ演出に抜擢された現場で、若く熱量のある須藤とたくさん議論した。
「須藤くんとキューピーは、その繊細さにおいて相通ずる部分はあれど、実際に会うと印象はだいぶ違います」と前田は思う。
「だから、須藤くんの素を活かしながらキューピーという人物をどう表現するか困っていたのです。須藤くんは演技経験もないので、技巧的にどうこうという方向に持っていくのではなく、なるべく素の部分を活かしたかった。最初は、気弱なキューピーと本来の須藤くんとが微妙にマッチし切れないのかなと思っていたのですが、後半になるにつれて演技をしようという肩の力が抜けて、“そのままいる”状態になっていきました。須藤くん自身が、寮のような場所に対する強い愛着を持っている人なので、そういう気持ちをそのまま役に転化できていたからではないかなと思います」
前田は須藤の資質をこう見る。
「人間というものに対する洞察が鋭く、深いところ――どう生きるかということを考えています。“うまく演じよう”とかではなく、もっと根本的なところからお芝居に対して向き合っている姿が印象的です」
巧く演じるのではなくどう生きるか……これはプロデューサーの寺岡もまったく同じことを言っていた。
須藤はもともと近衛寮のような場所に興味を持っていて、撮影前にドラマの近衛寮のモデルになった歴史ある学生寮の人たちとコンタクトを取り彼らの話に耳を傾けていた。それによってキューピーの寮への想いがいっそうリアリティーを帯びていったことであろう。2018年5月、京都府庁で行われたドラマの製作発表は、撮影の合間だったこともあり、思索的なキューピーの役が抜けないようで、内向的な雰囲気を漂わせていた。撮影が終わっても須藤にとっての『ワンダーウォール』は終わらなかった。ドラマの放送前の広報活動に渡辺あやと共に参加し、作品全体に濃密に関わった。
「役者は役者の仕事をしたらそれで終わりとは思ってないんです。関わった以上、最後まで関わりたい」と。
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