マームとジプシー『cocoon』を再訪する【第2回】今とは違う世界を思い描くこと
新型コロナウイルスが猛威を振るうなかで、数多くの公演が延期や中止に追い込まれた。ライブパフォーマンスに限らず、さまざまな式典や行事にもその影響は及んでいる。6月23日、沖縄で組織的な戦闘が終結した日に各地で開催されてきた「慰霊の日」の追悼式典も、中止や規模の縮小を余儀なくされた。ひめゆり学徒隊に着想を得て、今日マチ子さんが描いたマンガ『cocoon』は、マームとジプシーにより今年2020年の夏みたび舞台化を予定していた。緊急事態宣言下の日々に公演の可否をめぐって、どんな判断が下されたのだろうか。
目次
あの春、延期された卒業式
新宿三丁目の雑居ビルにある貸し会議室が、学校の教室のように見えた。ひとり、またひとりとやってきた皆が、「久しぶり!」「元気だった?」と、小さな声で再会を喜んでいる。「どうやって過ごしてた?」「ずっとステイホームしてたよ」――各地の学校でも、こんなふうに会話が交わされたことだろう。
会議室に集まっていたのは学生ではなく、『cocoon』の出演者たちだ。皆が顔を合わせるのは、3月に出演者オーディションが開催されて以来、実に2カ月ぶりのことだ。審査は7次にまで及び、2週間近くかけてオーディションが行われた。オーディション会場には、演出を務める藤田(貴大)くんだけでなく、事前にキャスティングが発表されていた青柳いづみさん、菊池明明(きくち・めいめい)さん、小泉まきさんの姿もあった。オーディションが終わると、誰を次の審査に残すか、藤田くんは膨大な時間を注ぎながら考えていた。帰りの電車ではすっかりくたくたになって、ほとんど全員がうたた寝していることもあった。
あれは何次オーディションが開催された日だっただろう。日付ははっきり覚えている、3月25日のことだ。電車に揺られながら、今日は卒業式があるはずだった日ですねと誰かが言った。ひめゆり学徒隊として動員されたのは沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒たちだが、その卒業式は3月25日に予定されていた。
三月二十三日は、私たちの卒業式の予行演習の日でした。寄宿舎では前夜に留送別会も簡素ながら催され、紅白の祝いのお菓子もいただき、私たちは荷物も梱包して帰郷する準備もしていました。しかし、その早朝、また大空襲に見舞われました。そして、午前十時頃からは、艦砲射撃も始まり、久高島や港川方面に落ちる艦砲弾が地軸をゆるがすような地響きと地震のように揺れるすさまじさに、みんなおびえていました。
仲本とみ(旧姓島袋)「自決か、生きるか」『戦争と平和のはざまで―相思樹会の軌跡―』1998年、ひめゆり同窓会相思樹会
(略)
夜になって、いくらか砲弾も遠のいたので寄宿舎へ帰り、荷物をまとめ、西岡部長から南風原陸軍病院動員の命令と訓示を受け、陸軍病院へ出発しました。
私たちは、寄宿舎の炊事道具(なべ・かま・洗いバケツ等)と食糧(米俵)を大八車に積んで、石ころ道を夜通しの行軍で南風原陸軍病院の三角兵舎に着きました。
戦場に「動員」される――歴史として振り返ってみると、それはまるで段階を踏んでやってきたかのように見えてしまうけれど、めまぐるしく情勢が移り変わるなかで、ほとんど準備もできないまま駆り出されたことが証言から伝わってくる。普段は3月上旬に行われるはずだった卒業式は、文部省の通達により3月下旬に延期されていた。そうして卒業式の予行演習を終え、「紅白の祝いのお菓子もいただき」、寮から里帰りするはずだったところから、陸軍病院に動員されたのだ。卒業式は結局、動員先の三角兵舎でごく簡潔に開催された。卒業証書の授与もなく、練習していた曲を歌うこともなく、軍歌だけを歌った。
「じゃあ、卒業式で歌う準備はしてたんだ?」と藤田くんが言った。「じゃあ、今年と同じような状況だったんだね。やっぱり、たった数カ月間のことだったんだよなって思うよね。今だってそうだけど、人が決めることってたった数カ月間の、それっぽっちのことに過ぎないんだけど、それがいろんな人の運命に関わるってことだよね」と。
移動自粛を求められる日々のなかで
『cocoon』の出演者が決まったのは、3月27日だった。
本稽古に先駆けて、4月には何度かプレ稽古が開催されるはずだった。だが、3月の終わりから4月にかけて、状況は悪化の一途を辿った。新型コロナウイルス感染者は増えつづけるなかで、感染の拡大を防ぐために、予定されていたプレ稽古はすべて中止となった。プレ稽古の中止を伝えるメールには、「公演が実施できるか否かの判断も、政府が緊急事態宣言の期限として定めた5月6日以降に検討する」という旨が記されていた。5月に入ってからもウイルスの猛威は収束する気配を見せず、緊急事態宣言は延長されることになり、公演の可否の判断も保留されることになった。皆が新宿三丁目の雑居ビルで顔を合わせたのは、5月20日のことだ。
「この一カ月以上、『cocoon』って作品の公演をどうするのか悩んだし、今も悩んでる状態なんだけど」。藤田くんは出演者の皆を前に、そう語り出した。「公演に関して、どういう変化があったかってことも話したいんだけど、ぼくの中でまだまとまってない気持ちと、ようやくまとまってきた気持ちがぐちゃぐちゃとあるので、ゆっくり話したいと思ってます」と。
出演者の皆にも、公演の可否はまだ伝えられていないようだった。首都圏から少し離れた場所にいる人にはビデオ通話をつなぎながら、藤田くんは言葉を選ぶように話してゆく。
「『cocoon』の初演は7年前だけど、その2年前ぐらいから沖縄に足を運びつづけてきて、10年近い取り組みをしてきたんですね。沖縄とどう関わっていくかってときに、『沖縄のことを扱った作品を描く人は、沖縄の人じゃなきゃいけない』というようなムードもあったんだけど、今日さんが2009年に『cocoon』の連載を始めたときは、ぼく以上に大変だったと思うんです。沖縄以外の人が沖縄戦を描くのはどうなのかってことを、今日さんは直接言われてきたと思うから。ぼくが今日さんの思いに共感するのは、『その問題を沖縄の人だけが考えるんじゃなくて、東京に住んでいるぼくらだって考えるべきだ』ってところなんですね。沖縄に押しつけられていることや、繰り返しつづいてきてしまっていることを、沖縄の人たちだけが考えなくちゃいけないこと自体が変だなと思って、ぼくは『cocoon』に取り組んできたんです」
もちろん、藤田くんは沖縄だけを描いてきたわけではなく、いろんな土地を描いてきた。2012年、いわき総合高校の生徒たちと『ハロースクール、バイバイ』を上演して以降、『まえのひ』、『あ、ストレンジャー』、『Rと無重力のうねりで』といった作品を福島で上演し、2016年からの3年間は『タイムライン』というミュージカルに福島の中高生たちと取り組んできた。あるいは、2013年に初めての海外公演としてイタリアを訪れると、その翌年には再びイタリアツアーを行い、そこで出会った俳優たちと数年かけて『IL MIO TEMPO』という作品を作り上げてもきた。そこに共通するのは、自分が生まれ育ったのとは別の世界を、「わたし」のこととして想像することだったように思う(当事者以外、誰も目を向けなくなってしまった世界は、出口のない地獄と化す)。
だからこそ、『cocoon』を上演するに当たり、藤田くんは作品を巡演させることにこだわってきた。2013年の初演は東京だけでしか上演することができなかったけれど、2015年の再演6都市を巡り、今年も全国をツアーしたあとに沖縄で千秋楽を迎えることになっていた。
「それで、今年の『cocoon』がどうなったかと言うと、沖縄公演が難しくなってきたということがあって」。藤田くんが静かに語る。「具体的に言うと、『那覇市が主催するイベントはすべて中止とする』ということになって、そこですごく悩んだんですね。というのは、演劇って形のないものだから、作れちゃうものだと思うんです。どうにか皆で集まって、どうにか工夫すれば、作れちゃうと思うんですね。だけどそれは、今年の『cocoon』でやりたかったこととは違うものになってしまう。音楽を担当してくれる原田郁子さんとは、『今年の「cocoon」は、沖縄で録音した音だけを使って上演したい』と話してたけど、今は沖縄に出かけることが叶わなくなってますよね。それでも作品は実現できちゃうと思うけど、それは思い描いていたイメージと乖離したものになってしまうし、沖縄を置き去りにするような形で『cocoon』をやっていいのか、すごく葛藤したんです」
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