北山耕平インタビュー「新しい意識、新しい新聞」(赤田祐一)【第4回】自分の頭で考えて、自分の目で見て、自分の手で書く

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2020.5.18

文=赤田祐一


『クイック・ジャパン』創刊編集長・赤田祐一が創刊準備号で行った、編集者・北山耕平の歴史的インタビューの第4回。
日本のユース・カルチャーが成長し、カウンター・カルチャーではなくなってしまっていた1993年当時、どんなカルチャーが、ジャーナリズムが必要であるのか。その問いは、つづく30年のIT時代のカルチャー、ジャーナリズムの環境を予見し、2020年の今、さらに切実な問題として迫ってくる。

※本記事は、1993年8月1日に発行された『クイック・ジャパン』創刊準備号(Vol.1 No.0)掲載のインタビューを分割、転載したものです。

【第1回】ソフトな奴隷制を打ち破る編集
【第2回】ロック雑誌の中に「声」を探していた
【第3回】自分たちの新聞を作ろう

若者向けのニュース通信社を

――谷譲次は鎌倉出身の作家でしたけど、北山さんも鎌倉ですよね、ご出身は。

北山 生まれはね、辻堂ってところなんですよ。

――江ノ電のあるところですか。

北山 辻堂っていうのは……江ノ電の終点が藤沢でしょ。藤沢からJRでひと駅行ったところが辻堂。それで、子供の頃よくいたのが、稲村ヶ崎っていうところですよ。俺のおじいちゃんが稲村ヶ崎に住んでて、そこの家には、日本で最初のサーフィン工房が庭にあったからね。サーフィンをシェーブする工場? シェーバーがいて。だから、サーフィンとかそういう文化に触れたのは、早かったんじゃないかな。

――北山耕平というペンネームは、『宝島』の編集長をやめたとき、ばらしたんでしたね。その北山耕平という名前を、今、例えば書泉グランデ(東京・神保町)の2階のオカルト本コーナーとか、そういうところで見る機会が多いんです。

北山 そうだね。

――もっと『写楽』で展開されたような“ニュー・ジャーナリズム”的な仕事を見たいんですが。

北山 だって、仕事する場所がないんだもの。俺、コンピュータ使って、いくらでも雑誌の仕事できる体制に今あるんだけど。そういう、俺たちがやってるようなことを書かせてくれるような雑誌って少ないよね。だってないじゃない、実際上、そういうメディアって、考えられます?

――ないですね。作んなきゃ、ないです。

北山 そうでしょ。俺は、ほんとはニュース通信社を作りたかった。いまだにそう思ってるからね。ニュース通信社を作りたい。AP、UPIに並ぶような若者文化のメジャーなニュース通信社。その中に、“ニュー・ジャーナリズム”とか入ってても、もちろん構わないわけ、フィーチャー・ゲーム *29 なんだから。「今、何が起こってるのか」ということを、ロックならロックっていう視点から集めたニュース通信社が存在しててもいいわけじゃない? 今、ニューエイジ関係の通信社を作れないかと思ってるけど。ユース・カルチャーが、成長しちゃったからね。

――そうですね、今や、カウンター・カルチャーでも、なんでもないですよ。

北山 なんでもない。アメリカなんかでは、メジャーになるかもしれないところまで、きてるわけだから。

――カウンター・カウンター・カルチャーを作らないといけないんですよ(笑)。

北山 そうそう。それがパンクだったし。ジャーナリズムの中のパンクが、突然出てくるよね。それはそれでいいんだよ。お互いに、それで持ちつ持たれつなんだから。だから別に、俺は、パンクの人たちが嫌いじゃないけど、「気をつけてね」って言う。リアリティに触れるときって、やっぱり、問題が大きくなるからね。

*29 フィーチャー・ゲーム…トム・ウルフが『ザ・ニュー・ジャーナリズム』の中で発明した造語。日本語にしづらいが、おそらく、フィーチャー(読み物)とフューチャー(未来)を、二重の意味で用いている。

竹中労とハンター・トンプソン


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