北山耕平インタビュー「新しい意識、新しい新聞」(赤田祐一)【第1回】ソフトな奴隷制を打ち破る編集

2020.5.15

北山耕平とフィル・スペクター

――僕なりに、ひとつ仮説を立ててきたんですけど、北山さんという人は、フィル・スペクター *7 に非常に近いんじゃないか、という気がするんです。自分がアレンジからプロデュースから、全部トータリティのある仕事をしちゃう。

北山 そうですね。

――で、完璧主義者だと思うんですよ。

北山 そう……でもとんでもないところでヘマをやったりするけども、完全に向かおうという方向性だけはあるみたい。でも、それは、みんなあるもの。クリエイティブな仕事をしようと思えば、それがどうしても必要だろうと思うんだよね。

――北山さんの場合は、その強度みたいなものがすごく強いんです。僕が惹かれるのはその辺なんですよ。

北山 うーん……。

――完璧なんですよね。

北山 そうね、ある部分ね。

――いや、全部じゃないですか。法定文字から奥付のクレジットにいたるまで。

北山 何を読ませるかということも考えるし、どう見せるかということも同時に考えなきゃいけないし、そういう時代に生まれついてるわけだから、どちらの力もバランスとれてれば、強いものができるはずだよね。自分としては、そう思ってやってるわけだけどね。

『Quick Japan』(飛鳥新社)創刊準備号(1993年8月1日発行)。グラフィックス=羽良多平吉

――フィル・スペクターの伝記(『フィル・スペクター――蘇る伝説』(大瀧詠一監修、奥田祐士訳、1990年、白夜書房*2008年、増補改訂版)はご存知ですか。

北山 知ってる。厚い本。読みました。

――あれはすごい本ですね。フィル・スペクターという人は、モノラルの時代に「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を作っちゃおうとした人みたいな感じがして、びっくりしました。

北山 変わった人だもんね。でも、ああいう人が必要なんじゃないの、やっぱり。ロックのクオリティをある程度高めたのも、ネーム・バリュー的には、ビートルズやディランほどではないにしても、ある種の次元に高めるのにものすごく有効性を持った人だよね。そういう人たちがいなければ、ロックはこういうかたちになっていかなかっただろうしあの時代の熱狂みたいなものは、なかったかもしれないね。

――スタジオでライブ録音盤を作っちゃうような、人工性の高い感じがするんです。拍手もシンセで作っちゃうみたいな感覚があって(笑)。僕は、北山さんが作る記事や単行本に、それに近いものを感じるんです。

北山 ほとんどマスターベーションみたいなもんじゃないですか(笑)。自己満足に近いものがあるから。でも、ある部分それでいいと思うの。そういう役割というものもやっぱり必要なんだろうと思うし、ほんとにそうやって見せてみないと影響与えられないでしょ。中途半端なものしか生まれないからね。雑誌がつらくなってきた理由はこれだよね。妥協しなきゃいけないんだよね、やっぱり、メジャーで作るとなると。

――広告とったりとか。

北山 そう、タイ・アップ記事作ったりとか。新製品を出さなきゃいけなかったりとか。そうすると、リアルじゃなくなっていく。それに対して編集のほうから文句言えないとかさ。「だったらおまえ、広告費の分、800万円稼いでこい」とか言われたりすると、それはそれで困っちゃうしね。

――そういう衝突は、なさらないんですか。

北山 衝突するとやめちゃうの。だって、それ以上やってもいいものできっこないってわかった時点で、そこから降りるしかないじゃない? つづければ、昔みたいに、みんな仲良くって、そういうかたちの人間関係作れるかもしれないけども、一度それやるとさ、とことんやんなきゃいけないじゃない? で、自分としては、ある種の精神の持ってるプライドみたいなものは、持ってたいと思うし。ああいうのは一種の奴隷制、ソフトな奴隷制みたいなところが、どうしてもあるから。

――今の編集……。

北山 編集というか日本の産業自体の構造、国家自体のシステムがね。おとなしく言うこと聞くやつは可愛がってやるけど、跳ねあがり者は出てってもらわざるを得ないような環境ってあるでしょ。そしたらやっぱり、跳ねあがり者としては、出て行かざるを得ないじゃないですか。もともと、跳ねるために行ってたんだもの。最初はそれは使えるんだけど、かたちができあがってきて、お客さんがついてくるにつれて、その部分は邪魔になるよね。そうすると、換骨奪胎して、文体だけが生き残って、どうでもいいようなことしゃべり始めるんだけど、その頃最初にそれをしゃべり始めた人間はそこにいないという状態が常でしょ。最近は、自分としては、そういう役割なんだろうなと思って。
たとえば『宝島』の「VOW!」というのは、もともとは、読者欄から始めたんだよね。Voice Of Wonderlandっていう。「VOW!」は最近は別のかたちになってきちゃったけど、あの頃付けた名前で残ってるのが結構あるんじゃないかな。『ポパイ』 *8 (マガジンハウス)の「POP・EYE(ポップアイ)」っていうのもそう。コラムをいっぱい集めたようなスタイルのものでさ。

――北山さんは「ポパイ」とか『BE-PAL』 *9 (小学館)とか、雑誌の立ちあがりに関わることが多いようですが。

北山 多いですね。立ちあがりから最初の2年間とか3年間ね。

――コンセプト・メーカーみたいな。

北山 一種のね。土台作り、文体作り。

――見本を見せないと、人はわからないですからね、現物がないと。

北山 そう、最初の見本を作る。一度作れば、それをうまく真似して作っていって完成していく人たちはいっぱいいるんだけど、最初、何もないところから「これ作りましょう」と言ったって、作って見せない限り誰も信用しないでしょ。それをいろんなとこでやらせてもらえたことに関しては、ありがたかったと思うよ。

*7 フィル・スペクター…『ビー・マイ・ベイビー』などで有名なレコード・プロデューサー。ウォール・オブ・サウンド、または、スペクター・サウンドと呼ばれる独特の音づくりで知られる。天才であると同時に、とほうもなくエキセントリックな人物として伝説的に語られる。

*8 『ポパイ』…北山耕平は創刊時の『ポパイ』LA特派員として、アメリカから原稿を送っていた。初期の『ポパイ』は『宝島』の流れを汲んだ、アメリカ主義の雑誌だった。「フリスビーはコミュニケーションだ」と題したフリスビー特集など、忘れることのできない企画が多く、『ポパイ』こそが70年代の思想誌だった。

*9 『BE-PAL』…小学館で現在も刊行しているアウトドア雑誌。北山耕平は創刊時のスタッフで、『サンシャイン・ペーパー』という雑誌内新聞を編集していた。

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