「ダサい」とは一体なんなのか
「大衆や流行に媚びない。着た人が本当に幸せになれる服」を作るという沙織に対して、ゆりあの父はこのように言う。
「沙織ちゃんが言う大衆に媚びるってのはさ、大勢の人が喜ぶとも言えるわけでしょ」
誰かにとっての「ダサい」は、他の誰かにとっても「ダサい」なのだろうか。視点を変えることで価値が変わってきたりはしないだろうか。流行ばかり追う姿勢をまわりからダサいと言われるゆりあは、「流行追ってると、ダサいとか言われちゃうかもしれないけど、実際追ってると、楽しいワイだよ。他の人なんて気にしないでさ、追ったもんがち、騒いだもんがちじゃない?」と笑顔で語りかける。

ゆりあのこのフラットな視点は、ダサさを避けようとする登場人物たちの救いでもある。せれなが自身を嘘で塗り固めることでスクールカーストのトップに立っていたという秘密がバレたとき、ゆりあは言う。
「この前、せれな~でパイセンが人気者なのは、ブランディングでマウンティングゴリラしまくったからって言ったけど、違ったんですね」「パイセンが、めっちゃ努力したからなんですね!」
ネガティブを包み込む、ゆりあのキャラクターに一番救われているのは、きっと沙織だ。

彼女は本物のデザイナーを目指し、ひとりでデザイン画を描きつづけてきた。自分のセンスに絶対の自信を持っているような発言も目立つ。でも、きっと本当は自信がないのだ。デザイン画を見せるときの不安な表情や、誰かからセンスを褒められたときにいつも驚いた顔をしていることから、それが窺える。沙織が自信を持って振る舞いつづけられるのは、彼女のセンスを全力で信じつづけてくれるゆりあが隣にいるからなのだ。
本来、「ダサい」は、主観的な感覚なのだと思う。それなのに、まわりの目を気にして客観的な「ダサい」が存在するような気がしてしまう。初めはダサい扱いされていた「DASADA」の服は、せれなが宣伝したことで急におしゃれなものとして扱われる。それもつかの間、ネガティブな噂が流れたことでまた人気を落とすが、今度はアイドルグループ「FACTORY」がSNSに着用写真をアップしたことで大人気になるという、流行の滑稽さも描かれる。
「ダサさ」とは何か、物語が終わったときにもう一度考えてみたい。
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