半透明な中華皿に“京中華”の風情を感じた「平安」
2023年9月1日。
熟睡から目覚め、大浴場へ。今日は3軒。体調はすこぶるよい。
「祇園四条」の【廣東料理 平安】へ。
カラシソバで知られる名店。中学・高校・大学と3段階の辛さが用意されている。が、昨夜、エビカシワソバ=カラシソバをいただいたばかり。店先の写真入りメニューの前で腕組みする。
もちろん、春巻は必須。春巻をどんな料理と組み合わせるかがポイントだ。できれば、その店にしかないメニューがいい。「冷麺(夏季のみ)」に惹きつけられる。くもりガラスのような中華皿がとにかく美しい。
スナックを思わせる造り。店主夫婦と常連客たちが和やかな会話を弾ませるカウンターは満席。テーブルに案内される。
春巻と冷麺、それに梅酒の炭酸割りを。
一気に頼むと、ごめんね、昨日休みだったから今日はまだ春巻できないのよ、とおかみさん。そのひと言で、京春巻がいかに手間がかかっているかを初めて知る。が、それどころではない。どうする。カラシソバが誘惑する。だが、壁に貼られた清涼感あるポスター。「大好評!!夏の「平安」名物」とある。冷麺には「れぇーめん」とふりがなが振ってある。そしてなにより、写真。やはり、あの半透明な中華皿に出逢いたい。
冷麺だけに向き合うことにする。考えてみたら、この夏は家で桃の冷やし中華を作ったことはあったが、まだ外で冷やし中華を食していなかった。9月1日の冷やし中華。いいじゃないか。夏休みが終わっても、冷やし中華がまだ終わっていなかったことに感謝する。
セットじゃなくていいの? 単品? 声がかかる。炒飯がつくランチセットもあるようだ。お得なのかもしれない。炒飯好きとしては気になる。だが今日は、9月1日の冷麺だけを味わうことにする。
梅酒の炭酸割りはジョッキ。ほどなくして運ばれてきた冷麺は、想像より遥かに美麗。メニューやポスターより、エビが多い。こんなこと、なかなかあることではない。キュウリ、錦糸卵、チャーシュー、そしてエビ。完璧な彩り。大量のスープに泳ぐ麺、そして具。
麺をたぐると、胡麻の香り。冷やし中華は、醤油ベース、胡麻だれベースに分かれるが、【平安】の冷麺は双方のいいとこ取りだ。なによりも、冷やしラーメン風のスープ感覚にオリジナリティがある。
食べ終わったあと、スープだけになった皿をしげしげと見つめる。半透明の中華柄はたぶん初めてだ。穏やかで、でも堂々としている。春巻にはありつけなかったが、この風情は紛れもなく京中華。
鴨川を渡ると京都を訪れた実感が湧く。空は青い。雲は白い。水面はキラキラだ。
ワイルドさをたたえた「龍鳳」の京春巻
京都在住の編集者の許を訪れ、話し込む。その後、バスで移動。京都はやはり電車よりバス。4軒目に向かう。
「京都河原町」の【龍鳳(リュウホウ)】は、今回の5軒の中では唯一の通し営業。そして、最も町中華的な風情がある。
この店を選んだ理由は「鳳舞系」であることはもちろん、ほかの店ではなかなかお目にかかれない「かしわ玉子焼」がメニューにあるからだ。中国名は「鳳凰蛋(ホウオンタン)」。たまらない字面。高華吉が【第一楼】時代に編み出した料理といわれる。これまで訪れた3店では作っていない料理。
午後5時半、少し前。たどり着くときには店仕舞いが始まっていた。意を決して、もうダメですか?と問いかけると、おかみさんは、大丈夫ですよ、と優しく返答。カウンターメインだが、まだテーブル客もいた。お言葉に甘えさせてもらう。老夫婦が営む店。カウンターの端っこに座ると、調理中のご主人がよく見えた。
ビールは、キリンラガー。「はるまき(京春蝦捲)」、「かしわ玉子焼」。あまり長居をするわけにはいかない。ややピッチをあげていただく。
まず、かしわ玉子焼き。そのあとすぐに、はるまき。
見た目は、天津丼のご飯抜き。添えられたレンゲですくうと、とろり。レンゲ越しにも極上の柔らかさが伝わる。料理には、崩れない美と、崩れる美がある。どちらも美しい。口に含むと、塩や醤油に頼らない、鶏がらスープを信じる餡の旨さが、当たり前に拡がる。かしわと玉子の親子状態も、やっぱり仲よしだ。よけいなものが何もない。だから、ただ流れるままに、こちらも寄り添える。
はるまきは、やや太め。食べ応えもしっかりしている。タケノコの刻みも、シイタケも大きめ。キャベツの千切りが添えられていることもあり、風情はかなり庶民派。とんかつのキャベツには醤油をかけることにしている。なので、はるまきにも醤油をかけてみた。いい。やや分厚く、ワイルドなこちらの京春巻には、気取りのない醤油がマッチした。
おおきに。改めて、佳い言葉だと思う。おかみさんは迎え入れてくれたときと同じように、優しく見送ってくれた。
いよいよ、最後の店へ。
山椒が全体を司る天下無敵の逸品に驚かされた「鳳舞楼」
「今出川」駅の【鳳舞楼(ホウマイロウ)】。なんとネット予約できた。オオバコかも?と思いきや、カウンターメインの清潔なお店だった。
大きな暖簾には「京都中華彩館」の文字。いい意味で「鳳舞系」とは異質。メニューも多彩で、洗練された写真入りの大きなブック形式。何も知らずに入店したら、カジュアル中華の新店と思うだろう。
ビール、紹興酒、梅酒、ビールと飲み継いできた。違うものも合わせてみたい。京春巻に日本酒はそぐわないと感じているので、目先の変わったものはないかな。メニューブックを開くと、意外なものが飛び込んできた。
白ワイン、それもアルザス。マジか。しかも大好きなワイナリー、トリンバック。品種はゲヴュルツトラミネール。なんてセンスがいいんだ。ボトルだけでなく、グラスも供してくれるのはありがたい。
オーダーすると、まるでソムリエのような雰囲気のイケメン青年店員が説明してくれた。
「どうして、ゲヴュルツを?」
「ウチの古老肉(すぶた)に合うと思ったんです。ワインの甘さと古老肉の甘さがきっと響き合うと」
できれば、古老肉も食べたかったが、初志貫徹。「韮黄春巻(にらまきあげ)」と「うなぎの蒲焼チャーハン(特選山椒入)」。数々の名物がある店だが、真のスペシャリテは、きっと後者だと直感したからだ。
それにしても、この価格帯の中華料理店で、アルザスワインをグラスで飲ませてくれるところは、おそらく東京にもないだろう。しかも、ワインはこれだけ。そこに選択眼と想いがある。トリンバックの美しいイエローエチケットに身惚れる。2018年もの。熟成は完璧。飲みごろだ。やはり、うまい。
ゲヴュルツを飲みながら、京春巻を待つとは。なんという贅沢。
こちらの「にらまきあげ」は少し平たく、こんがりしている。ワインの傍らにあると、まるでビストロ料理のような趣。おしゃれだ。気分が上がる。ゴールディなワインの輝きが、ひと皿を祝福している。
車高の低い京春巻は、噛み締めがいがある。おそらく具はあえて少なめにしている。サクサク感に、グラスが進む。
やがて、メインディッシュが到着。
やあ、これは!
期待を遥かに凌ぐ、パーフェクトな仕上がり。ひつまぶしと、アナキュウと、チャーハンという異なる観点たちが、極上の山椒の下、鮮やかなコラボレーションを展開、大成功に至っている。
すごい。計算し尽くされた蒲焼の大きさ、そこに緻密に刻まれたキュウリがベストパートナーとして寄り添い、もはや天下無敵。山椒はうなぎだけではなく、全体を司る。ワインにもめちゃくちゃ合う。
そこで、思いついた。
この春巻にふさわしいのも、粉状の調味料ではないか?
ふと卓上を見ると、醤油や酢、からしの隣に、小分けにパックされたスパイスらしきものがある。「C&Aスパイス」と記されている。調べると、京都・伏見のスパイスメーカーのブランド。これは試してみなければ。
絶妙。おそらく塩胡椒だと思うが、これ以上でもこれ以下でもない配分が、春巻の繊細さを高めた。マジックだ。
春巻には実は塩胡椒かも、と思うほどの発見。
スパイシーなふたつの料理の間で、ゲヴュルツの甘みも跳ねている。まさか、こんなフィナーレが待ち受けていたとは。
*
こうして、京春巻を巡る旅は終わった。さまざまな気づきがあった。近いうちに、また、春巻京を訪れるつもりだ。違う店にも行きたいが、同じ店をさらに開拓したい。
京中華は、もはや京料理のひとつだ。舞妓のために、にんにくを使わず、小ぶりに仕上げ、独自の発達を遂げた京中華は、高華吉という天才と出逢い、オンリーワンへと到達した。
京都のアナザーサイド、春巻京は探索しがいのある、あけっぴろげな秘境である。
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