京都の春巻に見た“京中華”という秘境──天才・高華吉がもたらした“オンリーワン”を巡る旅

2023.10.9
京都の春巻から見えた“京中華”という秘境──天才・高華吉がもたらした“オンリーワン”を巡る旅

文・撮影=相田冬二 編集=森田真規


「京都の中華」は、ちょっと違う。
中華というもののとらえ方と育ち方が、ほかの街とはちょっと違う。

京都出身のライター・姜尚美は、『京都の中華』(幻冬舎文庫/2016年)で上記のように記していた。

そして、東京在住のライター・相田冬二は今年の3月に出張で京都に訪れ、「廣東餐館 鳳飛」で春巻を食し、次のような想いを抱き始めた──。

「春巻こそ、京都の中華なのではないか。いや、春巻こそ京都なのではないか」

ここではそんな相田氏が、夏の終わりの「大人の自由研究」として、京都の春巻を食べ比べた1泊2日のドキュメントをお届けする。

春巻を食べ歩くだけの京都旅

自由研究。
今となっては、素敵な響きだ。

人生から、夏休みという名の長期休暇が失われてから久しい。義務教育を受けている者なら誰もが享受していた夏休みには、自由研究という宿題の必須科目があった。自由だが、義務。宿題はほかにもたくさんある。自由研究は、早くやっつけたいのに、なかなかやっつけられない、夏休みならではの科目だった。たとえば植物の観察なら観察。

ある程度の期間が必要なので面倒くさい。宿題とは、片づけるものである。創意工夫など介在しない。もっぱらドリル系は序盤で一気に片づけていた。なんなら終業式の日から片づけ始めていた。

自由研究は毎回、後回しになった。片づけようにも、なかなか片づけられない。結局、お決まりの観察日記みたいなものをほぼ捏造していた気がする。自由研究、なのだから、もっとフレキシブルに、イマジネーションを携えながら、余裕を持って取り組むべきだったと、今なら想う。ドリル系と違って、創意工夫を盛り込む余地はあったはず。しかし、当時は苦痛でしかなかった。あくまでも宿題の中の、手間のかかる異種でしかなかった。

夏が来るたびに、自由研究という言葉がよみがえる。脳内でリフレインするたびに、ちょっとした後悔がある。2023年、夏が終わり始めたころ、思い立った。大人の自由研究。やってみようじゃないか。対象を自由に選んで、自由に調べて、自由に実践して、自由に綴って、自由にまとめて、それを研究と言い切ってしまおうじゃないか。

自由・研究なのだから、気ままでいいのだ。

発端は、3月。日帰りの仕事で京都に行った際、せめて京都らしいものでも食べて帰りたいと思った。仕事終わり、もう夕方。

そういえば、京都の中華って、何か違っていたよな。想い出した。

かつて、毎年、京都に1週間ほど滞在していた。祇園に、全メニュー制覇するくらい大好きなうどん屋さんがあった。京都に移住したいと思うくらい好きだった。もう、その店はない。

定宿のすぐ近くの中華料理店でテイクアウトしたことがある。いろいろ食べたが、特に春巻がおいしかった。自分が知っている、パリパリで、折りたたんだ感じの春巻とはまるで違った。

あの春巻、また食べてみたい。
しかし、その店は定休日だった。
ネットで検索し、探す。

京都の中華には、京都の春巻があった。それも至るところに。

仕事先から比較的行きやすい3店をピックアップ。電話をする。うち2店は予約でいっぱい。残る1店は、ウチは予約は受けつけてない、来て席が空いてたらどうぞ、ということだった。並ぶ覚悟で、「北大路」駅に向かった。目指すは【廣東餐館 鳳飛(ホウヒ)】。

運よく、すんなり入店できた。カウンター。

卓上のメニューには、上下2段にきちんと26の料理が並んでいる。中国語、日本語。見目麗しい「御献立表」。そこから、春巻、からし鶏、そしてビール。後半、餃子と玉子スープを追加した。

春巻は円柱の棒状。きれいに8等分され、2列。「御献立表」の清楚さに一致する。

鳳飛の春巻
鳳飛の春巻

頬張る。
ご機嫌。これだよ、これ。細長く切りそろえられたたくさんのタケノコたちが、寄木細工のように肩を寄せ合い、それを包む衣はからりと揚がっている。

噛み締めると、揚げ物感がない。サクッとしていて、パンのよう。焼きもの。中は、タケノコやシイタケなど野菜なので、ヘルシー。あ、ベトナム料理の揚げ春巻みたいな軽快さだな。

ここの名物料理、からし鶏は、とんかつ状の鶏肉に、辛味の効いたチリソース的なものをたっぷりかけた一品。かなりの辛さだが、やはり弾むような軽やかさがある。重くない。ビールが進む。ごはんも合わせたくなる。

鳳飛のからし鶏
鳳飛のからし鶏

前菜、メインときたので、パスタ代わりに餃子。大きめサイズながら、食べ口はとてもあっさり。そうか、これが京都の中華なのだよな。〆に、玉子スープ。玉子が全体の半分を占めている。ネギも分厚く、あったかい。

鳳飛の餃子
鳳飛の餃子
鳳飛の玉子スープ
鳳飛の玉子スープ

ほっこり満たされて帰宅。

やはり、春巻の鮮烈さが強い印象を残した。翌朝から、京都の春巻が恋しくなった。また行きたいな、また食べたいな。春巻こそ、京都の中華なのではないか。いや、春巻こそ京都なのではないか。

そんな妄想が駆け巡る。

京都の春巻。京春巻。京春巻の都。
ぐるぐるつぶやいていると、春巻京という言葉を思いついた。

春巻京。

平城京みたいでいいじゃないか。
春巻を食べ歩くだけの京都旅をしてみたい。

春巻京の旅。
それが実現したのは、それから約5カ月後の8月31日。ぎりぎり夏休み最終日。1泊したので、提出はもう間に合わない。でもいいよね。大人なんだから。

夏の終わりの春巻京。
これが、大人の自由研究。

廣東餐館 鳳飛
廣東餐館 鳳飛

高華吉が発明した“京春巻”

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相田冬二

(あいだ・とうじ)ライター、ノベライザー、映画批評家。2020年4月30日、Zoomトークイベント『相田冬二、映画×俳優を語る。』をスタート。国内の稀有な演じ手を毎回ひとりずつ取り上げ、縦横無尽に語っている。ジャズ的な即興による言葉のセッションは6時間以上に及ぶことも。2020年10月、著作『舞台上..

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