乃木坂46の「特異性」から、地獄を生き抜くヒントを見出す【乃木坂46、終末のユートピア】
乃木坂46を過激に読み解くツイッタラー・私はこーへが国民的アイドルグループの歩みから、資本主義社会の「地獄」を生き抜くヒントを探る。
今回は、乃木坂46のデビュー当時に注目し、その“スタンド・バイ・ミー性”について分析する。
※この記事は『クイック・ジャパン』vol.163(2022年10月27日(木)から順次発売)掲載のコラムを転載したものです。
秋元康の本質は“オーディション”にある
2022年9月4日、作詞家・放送作家の秋元康が、avexとともに乃木坂46の公式ライバルとなるアイドルグループを立ち上げるとの情報が文春オンラインで報じられた。2011年当時、乃木坂46に与えられた「AKB48の公式ライバル」の肩書き、それ自体が無謀であった。
今、未来に結成されるアイドルにもすでに同じ目線が向けられている。乃木坂46を超えることは可能なのだろうか?
この難題を考える際、秋元康の仕掛けの核はなんなのか、を問うことが重要だ。秋元康プロデュースの核心、それは身も蓋もないが“集めること”だ。
秋元康はおニャン子クラブ・AKB48・坂道グループと、そのキャリアにおいてオーディションを数多く開催してきた。オーディションという機会によって出会わなかったはずの人々が出会い、人前に立ち、ともに活動することで個人としてもグループとしてもアイデンティティを確立していく。観られることを前提とした共同体(グループ)は、観客を巻き込むことのダイナミズムでもって物語性・ドキュメンタリー性を帯びていく。そして、この共同体の運動が個人の能力・可能性を開花させ、開花した個性がまた共同体へと還元されていく。
秋元康は、人々を魅了しファンを獲得する力の源泉をこのフィードバックループに見る。募集時のコンセプトは(仮)であり、集められた人間同士の関係性や同質性からにじみ出る雰囲気を見極めて“らしさ”を取り出し、この“らしさ”を真のコンセプトに設定しプロジェクト全体を動かしていくのだ。秋元康は経験に裏打ちされた、この“らしさ”を見抜く眼を持っている。だからこそ、合格したメンバーから2020年代の時代精神を汲み取り、コンセプト化することが新グループには求められる。
そんな状況にある今こそ、10周年を迎え追われる側となった乃木坂46について考察すべきだ。
乃木坂46結成当初に圧倒的リードをしていたAKB48は、2000年代の「戦わねば生き残れない」バトルロワイヤル的社会状況(※)に呼応していた。選抜総選挙では実力を数字で示せばセンターを勝ち取れる。ファンは、いや社会はAKB48とともに厳しい現実をサヴァイブしていこうとしていた。
そんな状況の中で、2015年にAKB48は選抜総選挙シングル「僕たちは戦わない」を発売する。この曲は、人は戦い続けることはできず「戦わずとも生き残れる」可能性を探るべきだと歌っている。その翌年2016年に、その歌詞を体現する乃木坂46がAKB48のトータルセールスランキングを越すことになるとは数奇な因果である。
※宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)
そして私たちが今目撃しているとおり、乃木坂46は「AKB48の公式ライバル」というコンセプトを初期から逸脱し、内部(乃木坂46)とも外部(AKB48)とも戦わずにアイドル戦国時代を勝ち抜いた。人を疎外する競争原理が働く資本主義下を生きるファンは、痛みの共有や優しさで連帯する乃木坂46という共同体に理想を感じ、そこに希望を見出しているのではないだろうか?
『ブルシット・ジョブ』や『人新世の「資本論」』がベストセラーとなり、荒んだ社会での労働を主とする共同体への関わり方や社会参画の仕方が今、積極的に問われている。そんな中で、人の暖かみを基礎に支え合い、成長してきた乃木坂46の特異性は注目に値する。その“乃木坂らしさ”を共同体の論理でもって捉え直すことで、無謀にも「この地獄」を生き抜くヒントを見出していきたい。
『スタンド・バイ・ミー』と弱さを曝け出す少女たち
「12歳だったあのときのような友だちは、それからできなかった。もう二度と……」
スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』
『スタンド・バイ・ミー』はスティーヴン・キング原作のジュブナイル映画の金字塔である。
死体探しの旅に出た4人の少年たちは各々が悩みを抱えており、自分たちの暮らす街に違和感を覚えていた。だから彼らは「有名になるために」旅に出たのだ。しかし、彼らは旅の過程で危機を乗り越え、互いの本音や弱い部分を見せ合うことで、自己を肯定することができた。そして「死体を見つけて有名になる」という当初の目的には価値を置かなくなったのだ。
主人公・ゴーディは親友のクリスに励まされたことで兄の死を乗り越え、自分の人生を“生きること”に目覚めた。
2011年~2016年の乃木坂46も、まさにこの過程をなぞる「乃木坂の詩」(デビューシングル「ぐるぐるカーテン」収録)の歌詞が示すような、ジュブナイル群像劇であった。彼女たちはただ「あやふやな夢を探していただけ」であり、乃木坂46にとってAKB48は“The Body(死体)”だったのだ。
乃木坂46のドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方』では、生駒里奈・白石麻衣らが加入前は世間と馴染めず、アイドルになりたいというより学校の共同体から逃れるためにオーディションに応募したことが母親の言葉で語られる。乃木坂46のメンバーもAKB48を倒すためではなく、自分探しのため、自らを生きるためにオーディションを受けた。
そして、クリスが「誰かが育てなければ才能も消えてしまう。君の親がやらないなら俺が守ってやる」と言ったように、メンバーは互いに自分自身を低く評価してしまいながらも、「なんだってできるさ」と相手の才能を信じ鼓舞し合った。その結果、グループや自身の目標よりも相手の人生を尊重することで感謝され、翻ってその行為が自身の生きる価値へとつながる“乃木坂らしさ”の場ができ上がった。
どのアイドルグループのアイデンティティ確立までの物語も青春群像劇ではあるが、乃木坂46のメンバーらが旅に出る理由となる世界への不信感と、過酷な旅の中で涙し、自己を曝け出すことで成長していく過程には、乃木坂46がより『スタンド・バイ・ミー』たり得る要素が詰まっている。
共同体における“スタンド・バイ・ミー性”とは、「問題にぶつかるたび、個人間で互いに弱さを曝け出し、互いの可能性を信じ合うことで、深く己を知り成長していく性質」のことなのだ。ウェンザナイ!
次回は乃木坂46の2017年~2021年の“ミッドサマー性”について書き記す。死体探しという青春の旅の先には、死者を祀る理想郷・ホルガ村が待ち受けていた……。
『乃木坂46、終末のユートピア』は『クイック・ジャパン』vol.163から開始した短期連載です。この記事のつづきは、vol.164でご覧いただけます。
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