坂口健太郎論──少年でもあり、老人でもある情緒。坂口健太郎は「その人だけの時間」を生きる。

難病を患い“余命10年”を生きた小坂流加の同名小説を原作にした映画『余命10年』が3月4日に封切られた。W主演を務めたのは、今回が初共演となる小松菜奈と坂口健太郎だ。
ライターの相田冬二は、本作での坂口健太郎を「老成と未熟のマリアージュ」と評する。俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第20回、坂口健太郎論をお届けする。
演技する者を見定めるリトマス試験紙としての“難病もの”
坂口健太郎には、顔がはっきりしているときと、そうでないときがある。どちらも素晴らしい。今回は後者だ。
小松菜奈には、ひねくれた役を演じるときと、そうでないときがある。どちらも素晴らしい。今回は後者だ。
年齢は違うが、同じ2014年に演じ手としてデビューしているふたり。お互い約8年のキャリアを重ね、『余命10年』で邂逅したことを、まず喜びたい。
『余命10年』は、いわゆる難病ものに分類される作品だ。そして、私たちが想像する難病もののイメージから、展開がそれほど逸脱するわけではない。難病ものは、演者の質が試される。お涙頂戴に奉仕し過ぎるのも、まったく無視するのも、演技のクオリティが低いと言わざるを得ない。どの地点に芝居の頂上を持っていくか。否応なくセンスが露呈する。難病ものは、演技する者がプロフェッショナルか、そうでないかを見定めるリトマス試験紙だ。
坂口健太郎という“リュミエール”
小松菜奈はプロ中のプロだ。共感度を高く実らせながらも、すり寄るような媚びは皆無。芯に毅然とした姿勢が貫かれており、だから、どんな苦難もどんな悲しみも、ある意味すがすがしく受け取ることができる。湖の水。

坂口健太郎は、女優を輝かせるワイングラスだ。女優をワインにしてしまうともいえる。ワインはボトルに入っているうちは輝かない。抜栓され、グラスに注がれることで、薫りを解き放ち、命を脈動させる。赤にしろ、白にしろ、ロゼにしろ、泡にしろ、ワインは輝く。だが、ワイン自体が輝くわけではない。グラスという場所を与えられ、そこに自然光にしろ、人工照明にせよ、【光=リュミエール】が付与されることによって、輝く。
私たち飲み手は、その輝きを愛でながら、ワインを視覚、嗅覚、味覚、触覚すべてを総動員し、躰から心へとつながる道を全開通させながら、味わっている。坂口健太郎は、光をうまく取り込み、女優というワインを輝かせる秀逸なワイングラスだ。

たとえば『今夜、ロマンス劇場で』の綾瀬はるかは、坂口健太郎と共演することで、姫になった。坂口には、特殊な設定も地道な尽力で地に足をつける技がある。だから、少々突飛なシチュエーションのヒロインも、ここでは神々しい光を放っている。美男美女が同等に煌めいてしまうと、互いを消し合ってしまう。坂口健太郎は美男だが、常に慎ましい。侘びと寂びを感じさせる。蝋燭をそっと灯すような控えめさがある。ジャパニーズ・ホスピタリティ。
『ナラタージュ』では狂気の灯火で、有村架純を輝かせた。『人魚の眠る家』では信念の炎で、篠原涼子を輝かせた。
主演作『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』には、吉田鋼太郎を輝かせるために間接照明として存在した。
絶妙にして、精緻。それが、坂口健太郎というワイングラスであり、【光=リュミエール】である。
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