凡百の難病ものと一線を画する“特異な人物設定”
自身が輝くことを望まないこのグラスのキャリアを振り返ると、『余命10年』は異例のアプローチといえるかもしれない。なぜなら、余命10年を宣告されているヒロインと同じくらい、坂口が扮する青年にはドラマ性があるから。
通常であれば、難病に冒された女性を支える男性には、揺らがぬ樹のような生命力があり、それゆえに、彼女を護ることができる。たとえ不器用でも、ぶつかることがあったとしても、騎士のように姫にかしずく。
ところが、坂口がここで演じているのは、生きる目的を持つことができず、己の人生を唐突に終わらせようとしてしまうような人物。青年というより、男の子のような脆さと甘さが放置されている。本来なら、護るのではなく、護られる側。さらに言ってしまえば、保護されないといけない存在。
だからだろうか。未来が思い描けないため恋を禁じていたヒロインは、自分を護ることができそうもない彼と向き合うことにする。いや、むしろ、心配されることではなく、相手を心配することを選ぶ。この点が、凡百の難病ものと一線を画する点で、この特異な人物設定に、小松菜奈がもともと有している気丈さが、風のようにフィットする。
彼は、別に弱々しいわけではない。いろいろと無頓着で、危ういだけ。ふらふらしていて、どこかに飛んでいきそうなのだ。余命10年の彼女は、そんな彼に母性を感じたのかもしれない。
坂口健太郎が見せた“決定的に新しいニュアンス”
つまり、ここでは、護られる=女性/護る=男性という定型の反転が起きている。難病が介在するものとしては異例といえる。なぜ、難病で余命を宣告されている女性が、ふらふらしている男性を救おうとしなければいけないのか。映画未見の方なら、疑問に思うだろう。
それって、おかしくない?と。
坂口健太郎は、そうした疑問のすべてに答える佇まいをクリエイトしている。この男性の何が、あの女性を刺激したのか。彼女の生命が活性化したのはなぜか。それがよくわかる存在のテクスチャがここにある。
愛らしさと、マイペースさ。閉ざしているムードと、素直さ。鈍さと、シンプルさ。相反しているようで、実は地続きのファクターを重ね合わせ、くたくたになるまで混ぜ込んでいる。いい料理の、いい仕事を感じる。一途な職人の手作業が、人物造形の下地となっている。まるで、秀逸なピッツァのよう。
さらに、この憎めないベースに、坂口は素敵なトッピングを散りばめている。
それは、老成と未熟のマリアージュだ。
これは、彼がある種成長していく物語でもあるのだが、坂口の相貌は未熟から老成へと推移していくわけではない。常に、老成と未熟が共にあり、時折、どちらかが、あるいは、どちらもが、かくれんぼしている風情がある。
序盤から、坂口は枯れている。もちろん、生きることに前向きになれていないネガティブな精神の表れでもあるが、そうした物語設定上のことに支配されない、チャーミングなしょぼくれ具合がある。かと思えば、少年のように映る瞬間がある。つまり、人生を悲観しているというより、単に拗ねているだけの駄々っ子に映るのだ。大人しい、わがまま。なんとも不自然な形容だが、坂口健太郎がここで見せているニュアンスは、決定的に新しい。
行きつ戻りつ、蛇行運転を繰り返しながら、それでも彼なりの前進を継続していく先に、彼女の病気がある。
絶望と希望とが並走する作品の中で、坂口健太郎は幾度も時空を超える表情を見せる。
それは、老人のようでもあり、少年のようでもある情緒だ。落ち葉と新緑。どこにもない、その人だけの時間に、私たちは遭遇する。
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映画『余命10年』
原作:小坂流加『余命10年』(文芸社文庫NEO刊)
監督:藤井道人
脚本:岡田惠和、渡邉真子
音楽・主題歌:RADWIMPS「うるうびと」(Muzinto Records/EMI)
出演:小松菜奈、坂口健太郎、山田裕貴、奈緒、井口理、黒木華、田中哲司、原日出子、リリー・フランキー、松重豊
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2022映画「余命10年」製作委員会関連リンク
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