東ブクロの奇才さ
そして、森田の作り出す世界を何倍もの深さにするのが、東ブクロという男。そのポテンシャルは『お笑い実力刃』で見取り図・盛山晋太郎に「台本の渡し甲斐がある」と言わしめるほどだが、東ブクロが東ブクロたるゆえんはどんな珍妙で奇天烈なキャラをやろうが「演技に見えない」ということ。「小学生」だろうが「芸術家」だろうが「爆弾魔の父」だろうが、その人間が完全に憑依していると同時に、確かにその中に「東ブクロ」が燦然と輝いている。声のトーン、表情、動き、そのすべてが作り込まれていないのに洗練されており、わかりやすい言葉でいえば、何をしていても「様になっている」のだ。これは、菅田将暉の演技を観ている感覚に近い。
コントだけではない。件の謝罪動画も、ほかではない東ブクロだからこそ、ここまでの大バズリを記録したのだと思う。森田のムチャ振りにすぐさま対応できる柔軟性、してもいないことを一切笑うことなく淡々と謝罪できるメンタリティ、最終的に「チャンネル登録者数100万人以上の方、私たちの動画に出ていただければ、私謝らせていただきます」と追い打ちをかけられるアドリブ力、すべての罪を背負うその姿には東ブクロという芸人のすごさが詰まっていた。もはやこの騒動は東ブクロのために起きた事件だとすら思った。
これに限らず、『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』(TBSラジオ)で「勝ち抜き!東ブクロの嫁決定戦」で女性リスナーを集めた結果、偶然「ガチセフレ」が召喚されるなど、東ブクロには計算ではけっして起こり得ない天が、いや地獄の王が味方しているとしか思えないハプニングがたびたび起こる。まさに「持ってる」としか言いようがない。こういう男を「奇才」と呼ぶのだろう。
金とバズの匂いがする場所に、誰よりも早く飛びつくフットワークの軽さと、緻密な計画、それを最後までやりきる胆力、今の私にはさらば青春の光、いやザ・森東が「ルパン一味」にしか見えない。