この10年で積み上げられてきたものの大きさ
本作『二重のまち/交代地のうたを編む』は、映像作家の小森はるかと画家で作家の瀬尾夏美からなるアートユニット「小森はるか+瀬尾夏美」によって製作された。小森と瀬尾はまだ大学院生だった2011年4月に、ボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきっかけに東北との関わりを深める。翌2012年には陸前高田へと拠点を移し、以降、人々の語りや暮らし、風景の記録をテーマに製作をつづけてきた。
瀬尾の著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』には、震災直後から2018年3月11日までの、日記のような歩行録が記されている。これを読むと瀬尾が、震災でできたあらゆる境界──過去のまち/未来のまち、当事者/非当事者、死者/生者──の上を浮遊するようにその土地を見つめつづけ、その「両者が出会う方法」をずっと考えてきた作家であることがわかる。
そしてまた小森の場合は、劇場公開された『息の跡』(2016年)、『空に聞く』(2018年)といった長編ドキュメンタリー映画で、人々の声と変わりゆくまちの風景をさまざまな手法で記録し、多くの人に伝えることを実践してきた。
未来に開かれた伝承法を模索する
彼女たちが積み上げてきた記録/作品には、きっと計り知れないほどの価値がある。なぜなら、ひとつにはそこに「まちの変化」が捉えられているからだ。陸前高田のまちは、2014年を境に大きく変化していく。
削られた山の土砂を更地の上に積み上げ、十数メートルのかさ上げが施される。それまであったまちの痕跡がすっかりなくなり、そうしてできた新しい地面の上に、新しいまちがつくられた。それが、陸前高田の復興工事の目指すところだった。
瀬尾は著書の中で、まちに住む人々にとってここで「二度目の喪失」が起きたのだと述べている。かつてのまちがなくなり、上書きされるようにまっさらな土地ができてしまう。現在と過去が上下の断層のように存在する「二重のまち」。それは生者と死者の関係が分かたれるような、あるいは場所を媒介としてあったかつての記憶が剥がれ落ちていくような、言葉では言い表せないとてつもない大きな喪失を伴うものであったのだと想像できる。
そうした風景の喪失と変化、人々の居場所についてずっと見つめてきた小森と瀬尾は、自分自身の震災との向き合い方を模索しながらも、やがてもっと外に、もっと他者に、もっと未来に開かれた伝承の在り方を深く考えるようになる。
過去のまちの記憶が消えゆくこの転換点を逃さないように、「二重のまち」を未来に語り継いでいく。その具体的な方法が、本作で実践される「他者による語り直し」であったり、「物語を生み出すこと」であったりしたのだろう。
自分以外の人の身体を介して記録していく方法を考えたいなって。自分で撮れるようになっちゃうと、やっぱりダメだなって思うんですよ。自分で撮ることで定点的なよさはあるかもしれないけど、そうじゃない視点で映るものも見てみたいんです。
『CINRA.NET』2020年11月17日「小森はるか監督は、映像で忘れられがちな人の営みを語り継ぐ」
『二重のまち/交代地のうたを編む』という映画は、その彼女たちの絶え間ない模索の時間が実を結んだ、奇跡的な映画であると断言したい。
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