クローゼットから覗く、是枝監督の観察記録 【後編】なぜ人の心を繊細に描けるのか

2020.1.23

2018年4月某日

このところ、是枝監督とは実のところどんな人なのかを考えている。貴乃花一門の騒動や、ビートたけしさんの独立問題があって、一派の長があれこれ頭を悩ませている様子を垣間見たことも一因なのかもしれない。

「分福」という組織は、今から4年前に是枝監督が設立した株式会社である。会社と言っても我々スタッフと是枝監督の間に雇用関係があるわけではなく、それぞれが独立して仕事をする、監督の言葉を借りれば「緩やかな共同体」として存在している。要するに、この場所や人脈を大いに利用して、いい作り手になってほしいという監督の親心から、この場所は創立された。

是枝監督は、実に面倒見がいい人だ。普段お酒はほとんど飲まないのに若手やスタッフを日々食事に連れ出してはおいしい料理を惜しみなく食べさせてくれるし、毎年夏になれば、自身が脚本を執筆する老舗旅館に若手たちの分まで部屋を取り、まとまった時間で自分たちの企画を進められるように環境と時間を提供してくれる。

その結果脚本が出来上がれば、どんなに忙しくても嫌な顔ひとつせず受け取って、「よく書いたね」と褒めて読んでは丁寧に感想を伝えてくれた挙句、その脚本が映像化されるように、監督が持ちうるあらゆる手立てを惜しみなく提供してくれる。私が初監督した『エンディングノート』でも、こちらがお願いするまでもなくポケットマネーで大金を出資してくれた、そういう人だ。こんなありがたい上司が他にいるだろうか? 相手から何かを得ようとすることなく、こんなにも惜しみなく与えてくれる人は。

なのに、である。

もし監督を知らない人から「是枝監督っていい人ですか?」と尋ねられたら、「もちろん、いい人だよ」と答えた直後に、私は腹の底で『北の国から』の菅原文太みたいな問いを投げかけてしまうかもしれない。「いい人って、何かね?」と。

「生身の人間の心に興味がないのではないか?」

 是枝監督はいい人なのか? この問題は、なんとも奥深いトピックとして長年私の中に鎮座している。これだけ「いい人」にふさわしい実証がありながら、このような問いを立てるのは恩知らずだと百も承知で。それは是枝監督がここまで他者を受け入れながら、しかし実際のところ「生身の人間の心には本当のところさほど興味がないのではないか?」という疑問を抱かずにはいられない瞬間を多々垣間見てきたからである。

 というのも、数え切れないほどの食事の席で笑いの絶えない時間を過ごし、多くのスタッフと膨大な時間を共有しているにもかかわらず、相手から個人的な相談をされた途端、是枝監督の目には途端に困惑の表情が浮かぶことに起因する。

 たとえば自分が書いた脚本の相談をしていて、「このとき、主人公はコンビニで何を買うんですかね?」と尋ねたとする。そんなことは自分で考えろよといった類の些細な質問にも、監督は「そうだね、こういうときはペヤングかな?」などと真摯に回答してくれるのに、「最近どうしてもやる気が出ないんです……」とか「人生に躓(つまず)いています」などという、具体性を欠いた「心」に起因する問いを投げかけた途端、監督は下唇を突き出して携帯を見始めてしまうのだ。決して意地悪からそうしているのではないのだが、本当に返す言葉を持ち得ていない様子で。まるで、クラスいちの人気者が女の子とふたりきりになった途端に沈黙するみたいに。

 監督のことをあまり知らない人々は、是枝監督という人がいかにも優しく自らの心の痛みに寄り添ってくれるマイナスイオン的な人物であると想像するようで、そうとは知らずにプライベートな相談などしたが最後、「そういう話をするなら自分の脚本直ししたいんですけど……」というオーラを全身から放たれて、泣きを見る。ついさっきまであんなに楽しくお喋りしてたのに! 何も知らない迷える若者が「僕の心・私の気持ち」に関する何かを監督に相談しに来ては、監督の下唇が前へ前へと突き出す様子を、私は、いや是枝監督をよく知る人々は、これまで幾度もいたたまれない気持ちで眺めてきた。

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