傷害事件の被害者、保護司の孫として、映画『ミックスモダン』と“更生”を考える【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

傷害事件の被害者、保護司の孫として、映画『ミックスモダン』と“更生”を考える【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

文=折田侑駿 編集=森田真規


「反省はひとりでもできるが、更生はひとりではできない」というテーマを掲げ、第75回ベルリン国際映画祭パノラマ部門に選出されるなど海外でも話題を呼んだ映画『ミックスモダン』。企画・監督・出演を務めた藤原稔三は、本作をきっかけに自ら保護司にもなった。

1990年生まれの文筆家・折田侑駿による本連載では、ひとつの作品を通して浮かび上がる“社会”のあり方を見つめていく。第7回は傷害事件の被害者となった経験を持つ折田が、保護司だった祖母の存在も踏まえながら、藤原監督への取材をもとに“更生”について思考を巡らせる。

藤原稔三(ふじわら・としぞう)

藤原稔三
(ふじわら・としぞう)学生時代より演劇活動を始め、黒澤明監督『影武者』(1980年)に一般公募により出演。主な出演作に、北野武監督作『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年)、NHK大河ドラマ『武田信玄』(1988年)などがある

“複雑な当事者”という立場

傷害事件の被害者になったことがある。10代半ばの出来事だ。集団暴行だった。

2005年の10月のある日、私は同級生たちと4人で地元をぶらついていた。近所の大人たちからすれば、無害でありふれた中学生に映っていたことと思う。その日も記憶している限り、特に何をしていたわけでもなかった。受験勉強に追われる日々の隙間で、なんとなく集まり、なんでもない話をしていたのだろう。

夕焼けであたり一面が紅に染まるころ、私たちは我が家から目と鼻の先のところで、彼らに遭遇した。マンガかドラマでしか見たことのない怖そうな人々が10人くらいいる。そして勢いよく詰め寄ってきて、あっという間に取り囲まれる。

友人が手で押していた自転車の前輪が何者かに蹴られ、車体と一緒にバランスを崩した。声を出そうにも出ない。私たちは誰ひとり、身動きが取れないでいた。不良文化とは無縁のところで生きていたから当然の反応だったと思う。

やがてリーダー格と思しき男が標的を私に定める。「目が気に入らない」とかなんだとか、そんなことを言っていた。罵声を浴びせられ、四方から殴られ、蹴られる。カツアゲなどが目的ではなく、ただ虫の居所が悪かったのか、彼らは誰でもいいから痛めつけたいようだった。

バカげた話だ。これまでそれなりに理不尽な目に遭ってきたが、このときほどのことはない。頬骨を繰り返し打たれ、後側頭部を何度もアスファルトに叩きつけられた。あの感触をまだ覚えている。

この連載では特定の作品を「窓」として据え、そこから社会をのぞき、考えることを目的としている。前回は非常に個人的なことを書いた。私という人間の生きづらさについて。常に隣り合わせにある、“死にたさ=希死念慮”というものについて。そしてそこでは、たとえいくら個人的なことであっても、掘り下げて行けばやがては社会との接続点が見つかるものだと気がついた。

今回はこの過去の経験を起点に、映画『ミックスモダン』を「窓」として、「更生」というもの、あるいは社会的に罪を犯した者たちとどのように生きていけばいいのかを考えてみたい。いつか本気で向き合ってみたいテーマだったし、じっくりと長い時間をかけて付き合っていきたいテーマでもあった。単なる被害者ではなく、“複雑な当事者”という立場から。

海を越えて人々の心を打った『ミックスモダン』

藤原稔三監督による映画『ミックスモダン』は、孤独な非行少年と、その身元引受け人となるひと組の夫婦の心の交流を描いた作品である。

とある事件を起こして少年院に収容されていた少年・西村勇人は、木内博之というひとりの男性と出会う。妻の園子とお好み焼き屋を営む彼は、元受刑者や少年院出身者などを雇いながら、罪を犯した者たちの社会復帰の手助けをしている人物だ。

勇人は本気で変わろうとし、人生をやり直すことを望む。が、そううまくはいかない。それでも博之は彼を見捨てることなく、何度でも手を差し伸べる。

博之を演じているのは、現役の保護司でもある藤原監督本人だ。なぜ彼は「更生」をモチーフにした作品を撮ろうと思ったのだろうか。

「たまたまテレビのニュースで、“職親プロジェクト”の存在を知ったんです。一度でも大きな過ちを犯してしまうと、社会復帰をするのはなかなか難しいのが現状ですよね。そこで官民が連携して“職の親”となり、人々の更生の手助けをする。

そんなプロジェクトが、お好み焼きチェーン・千房の中井政嗣会長が発起人となって、2013年に大阪で立ち上がったんです。これを知って、いつか映画にしたいと思いました」

職親プロジェクトのいったいどこに、映画にしたいと思うほど惹かれたのか。

「振り返ってみると、若いころの自分も人に迷惑をかけてばかりだったんですよね。失敗して、つまずいてばかりだった。でも僕がどれだけ転んでも、必ず誰かが手を差し伸べてくれました。いろんな人の支えがあって、こうして今の僕がある。それでふと、支援する側に回りたいと思ったんです」

藤原は会社の経営者ではないから、実際に職親になるのは難しい。しかし彼は、俳優であり演出家だ。フィクションの力でこれを表現しようと考えた。その結果として誕生したのが『ミックスモダン』というわけだ。関係者への取材を行い、物語の舞台にしてモデルである千房・千日前本店での職場体験を重ね、更生に向き合う者たちと深く触れ合うため、自ら保護司にもなった。

つまずいてしまった者と、それを見守って支えようとする者。劇中の勇人と博之の関係には、藤原が実感を持って捉えた更生保護のリアルが反映されているのがわかる。ドキュメンタリータッチで紡ぎ出される物語からは、彼らの呼吸が、体温が伝わってくる。

そしてそれは、第75回ベルリン国際映画祭パノラマ部門に選出されるというかたちで海外にまで届いた。「更生」というテーマもそうだが、それ以上に、この映画が描く美しき心の交歓が、海を越えて人々の心を揺らしたのではないだろうか。

さて、『ミックスモダン』の素晴らしさの解説はここまでにして、私は別の道へと進みたい。私が傷害事件の被害者になった過去に立ち返ろうと思う。

20年前、この世の不条理を知った

あの事件から20年ほどが経った現在の私は物書きで、勇人と博之の関係についてならいくらでも言葉を紡ぐことができる。しかし、自分に関するものとなれば話は別だ。私は私を傷つけた者たちのことを許すことができていない。アスファルトに打ちつけられるあの感覚とともに、怒りの感情がよみがえってくる。

私は勇人よりも若い少年たちに自分の人生を歪められ、深い傷を負わされた。それは目に見えない後遺症となって、私の人生に影響を及ぼし続けている。現在の生きづらさとも無関係ではないはずだ。では、本稿が目指しているのは何か。私の個人的なトラウマとの対峙ではない。ここではその先へと進もうとしている。

この社会には罪を犯す者たちがいるが、その大半は心からの社会復帰を望んでいるはず。ならば「罪」そのものではなく、未来ある「更生」にこそ目を向けてみたい。

藤原は保護司になったいきさつについて「最初は映画のためだった」と申し訳なさそうに語るのだが、それはそうだろうと思った。保護司は民間のボランティアである。それなりのリターンがなければ務められるものではない、と考えて当然だろうと思う。

それまでまったく接点のなかった、それも罪を犯した者たちと特別な関係性を育んでいかなければならないのだから。そこには大きなリスクがあるはずで、『ミックスモダン』にも描かれている。

あの当時の私からすれば、彼らを保護する存在など理解できないものだった。この世の不条理を知った。同じ状況に出くわした友人たちは直接的な被害を受けていないから、私と同じ立場に立ってはくれない。

その上、私と一緒に暮らす祖母が保護司だったのだ。今になって思い返してみても、不条理が過ぎる。私自身のことを“複雑な当事者”と記したのは、これが理由である。このことを藤原に打ち明けてみた。

取材者が目の前の相手から言葉を引き出そうというならば、まずは自分の腹を割る必要がある。私は『ミックスモダン』の勇人や博之たちについて語るように、当時の私自身について語ろうとした。しかし、うまくいかなかった。

目の前の相手を不安にさせないよう言葉を継ごうとするのだが、出てくるのは涙ばかりで言葉に詰まる。私は自分という人間に驚いた。この過去の出来事について誰かに打ち明けるのは初めてだったものの、思い出して涙を流すようなことはなかったからである。

これには藤原も言葉を詰まらせながら、「おかしいですよね。保護司って」と口にした。そしてゆっくりと穏やかに、言葉を重ねた。

「僕らは加害者を保護する存在ですもんね。何かしらの罪を犯した人たちが僕らのところに来るというのはつまり、どこかに必ず被害者がいるということ。その人々が今どんな思いをしているのか、折に触れて話しています。

彼らは『そんなつもりはなかった』と言うかもしれない。劇中の勇人もそうですよね。でも、被害を受けた側はそれからもずっと、折田さんのように恐怖と苦しみを背負い続けているんですよね」

保護司として大切にしていること

正直なところ私はずっと、自分の負った傷をよく見ないまま生きてきたと思う。加害少年たちがその後、どうなったのかは知らない。知る手段はいくらでもあったはずだが、そうしなかった。心のどこかで忘れようとしてきたからだと思う。

しかしいつからか、彼らのことを、あの当時の不条理な状況に置かれた自分自身のことを、よく思い出し、考えるようになった。それはたぶん、こうして物を書くようになったことと無関係ではないと思う。物を書くというのは、人間を掘り下げる行為だ。自分という人間を掘り下げていけば、必ずや過去のトラウマと対峙することにもなる。

そして次第に私は、自分自身のことを理解するように、加害少年たちがなぜああなってしまったのか、知りたいと思うようになった。彼らの背景に、どんな問題があったのかと。

藤原も「誰かを傷つける行為は許されるものではない。でも、あの子たちはひとりで生まれてきて、ひとりでにああなっているわけではないんですよね」と口にする。保護観察対象者が若い場合は特に、その家族とのコミュニケーションを大切にするらしい。

「たとえば対象者が少年の場合、お父さんたちには嫌がられますね。『なんで俺があんたと話をせなあかんねん』とか、『悪いことしたのはあいつやろ』と突き放されたり。でも僕はどうにか粘って、ひとまず家に上げてもらう。

するとね、みんな堰(せき)を切ったように話し始めます。お父さんたちも大変なんですよ。自分の子供との問題や、彼ら自身もまた問題を抱えていたりして、それを誰にも話せないでいる。対象者の少年にこのお父さんがいるように、このお父さんにもまたお父さんがいます。

今、目の前にある問題の原因を特定しようとしたり、本当の犯人を探そうとしてもしょうがないと僕は思います。何がどのように人間の行動に影響しているのかなんて、本当のところはわかりませんから。ただね、こうして接点を持つことが、これからの彼らには影響してくると思うんです。もちろん、救おうだなんて大それたことは考えていません」

藤原が大切にしているのは、変に気張ることなく、ただ言葉を交わすこと。「今こうやって僕らが話しているように、話ができればいいんです。話題はなんでも構いません」と彼は言う。

とはいえ相手は元受刑者や、少年院を出てきたばかりの人々だ。保護司の前では緊張している者もいるに違いない。無理に言葉を引き出そうとすると、かえって相手は心を閉じてしまう。そういうときに藤原は、まず自分のみっともない部分をそっと明かすのだと、ちょっと恥ずかしそうに笑う。

これはもちろん、すべての保護司の方法論というわけではない。更生保護に興味を持ったはいいものの、いざ罪を背負う者を前にしたら、どうすればいいかわからない。でも、彼らのことを少しでも知りたい。そう願う藤原だけがたどり着いたものだ。最初のころは特に必死だったと苦い笑みを浮かべる。

「今年で6年目。今でも不安がないわけではありません。少し前に、こんなことがありました。とある方を担当することになって、彼が出所する前にこちらから会いに行ったんですよ。とても驚いていましたね。今までこんなことはなかったって。

帰り際、僕のほうから握手をしようと申し出ました。そこでも彼はすごく驚いていましたね。後日、長い手紙をもらいました。これまでの人生で他人からあんなふうに接してもらったことはないと、そう書いてありました。

それでまた僕は足を運んだのですが、今度は彼は涙を流しました。誰かとつながることに飢えていながら、その機会に恵まれなかったんでしょうね」

他者を信じる

藤原と話していると、人間というものに希望を持っているのを感じる。彼はなぜ、人間を信じるのか。人は変われるものだと、本当に信じているのだろうか。

「かつて自分のような半端者のことを、大人たちは誰もあきらめませんでした。それから時が経ち、回り回ってたまたま、今の僕はこの立場に就いた。僕の人生の何かが今と少しでも違ったら、立場は違っていたかもしれない。そういうことを考えると、人間って本当にわからないものですよね」

罪を犯す者と、そうでない者。私と、私に危害を加えたあの少年たちとを分けるのは、いったいなんだったのか。今になってよく考える。現在の私という人間は複合的な要素によって成り立っていて、もし何かひとつでも欠けていたとしたならば、今のこの日常はなかったかもしれない。

現在の藤原のスタンスは、彼の人生経験からしか生まれなかったものでもある。

「これまで公表してこなかったのですが、僕は舌癌(ぜつがん)の経験者です。今から30年ほど前、北野武監督やハル・ハートリー監督の作品に出演し、役者としてこれからだというときに、癌が見つかりました。放射線治療の影響でプロとして使い物にならなくなって、事務所もクビになって、『なんで俺がこんなことになんねん』と絶望しました。

それからどうにか前を向いて、作り手側に軸足を移しました。若いころから僕を救い続けてくれたのは映画だったから。でも、癌は再発した。さすがにもうダメだと思いましたね。だけどそれでも、映画の道にしがみついて、こうして『ミックスモダン』を完成させるまでに至った。僕自身は変われたんです」

あの事件から20年が経った私は、こうして筆を執り、社会に対して自分の考えを提示する力を持つようになった。この力は何かを攻撃したり、分断を生むためには使いたくないといつも思っている。できれば、誰かと考えを交換したり、誰かと誰かが手を取り合えるようなものにしたい。

これからの社会を生きる者たちを支えるだけでなく、この世界の不条理に苛(さいな)まれる、いつかの孤独な少年をも救うことができるのだと信じて──。今まで聞いたことがなかったが、祖母に聞いてみたいと思う。なぜ保護司になったのか。これまでどんな人たちと交流してきたのかを。

映画『ミックスモダン』

映画『ミックスモダン』ポスタービジュアル (C)KODARU

2026年2月7日公開
監督:藤原稔三
出演:井戸大輝、藤原稔三、常石梨乃、サーシャ、藤田朋子、津嘉山正種、川平慈英
配給:株式会社KODARU
(C)KODARU
https://www.mixmodern-movie.com/

■映画『ミックスモダン』公開情報
・6月26日(金)より2週間 Morc阿佐ヶ谷(東京)
・6月26日(金)より1週間 シアターエンヤ(佐賀)
・7月11日(土)より1週間 シネマ5(大分)
・7月3日(金)より2週間 高知キネマミュージアム(高知)
・7月12日(日)より5日間 別府ブルーバード劇場(大分)

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折田侑駿

(おりた・ゆうしゅん)文筆家。1990年生まれ。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、文学、服飾、酒場など。映画の劇場パンフレットなどに多数寄稿。映画トーク番組『活弁シネマ倶楽部』ではMCを務めている。