『死ぬまで落ち着かない』希死念慮を抱いている。その当たり前の事実を認めるところから始まること【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】
100万部のベストセラーで生きづらさを抱えた多くの人に読まれた『完全自殺マニュアル』の著者であり、2026年1月に『死ぬまで落ち着かない 六十年生きてみてわかった人生のこと』を上梓した鶴見済。この本は、彼が「中高年をエンパワメント」するために人生を賭して書いた一冊だ。
1990年生まれの文筆家・折田侑駿による本連載では、特定の作品を通して見えてくる“社会”的な物事について見つめていく。第6回は生きづらさについて考え続けてきた鶴見への取材をもとに、希死念慮とともに生きていく、そのヒントを探っていく。

鶴見済
(つるみ・わたる)1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。主な著書に『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)、『0円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方』(新潮社)などがある
目次
物書きとして初めて向き合う個人的なテーマ
靴ひもがほどけているのに気がついたとき、死のうと思った。より正確にいえば、死ぬしかないと思った。
ほどけたままでは歩けない。先に進めない。向かうべき目的地にたどり着くことができない。部屋着から服を着替え、靴を履き、しっかりと紐を結ぶ。こうして外に出るというのは、いくらか前向きな気持ちがあるからだ。
でも、たしかに結んだはずの靴ひもがほどけている。いつもより固く結んだのは、この足で一歩ずつ地面を踏みしめようと、つまりは力強く歩んでいこうと、そういう気持ちの表れだったかもしれない。
しかし、その靴ひもはほどけている。やはりもう自分はダメなのかもしれない。歩くのをやめるべきなのかもしれない。うしろ向きな気持ちはすぐさま「死」に接続される。
こういう経験をしたのは、一度や二度ではない。10代の半ばころからだろうか。うっすらとした“死にたさ”をずっと抱えている。ぼんやりとした希死念慮の塊がすぐそばにいて、それはふとしたときに姿を濃くする。日々の中で私の心が揺れ動くのに合わせて、この塊もまた揺れる。
つらい、苦しい、怖い、虚しい、悲しい──そんな気持ちを抱くことは誰にでもある。これらを抱えながら、それでもどうにか一歩を踏み出す。冷たい空気に満ちた社会に飛び込んでいく。
そこで靴ひもがほどけているのに気がついたら、気持ちが折れてしまうのも無理はないと思う。それくらい、生きるというのは大変だ。こんな考えの私は、心が弱く、甘ったれた人間なのだろうか。
自分の生きづらさなど取るに足らない。そう思ってきた。パレスチナやイラン、ウクライナの人々からすれば、比べものにならないほど安全な環境に身を置いている。マイノリティの人々からすれば満たされた環境にいるはずで、時に特権的な立場に立ってしまうこともある。
この世には生きたくても生きられない人たちがたくさんいる。それをわかっているのに死にたいだなんて、そう簡単に口にはできない。すべきではない。そう考えてきた。けれどもこの“死にたさ”が消えてくれないのも事実で、今も変わらず希死念慮はすぐそばにある。
同じような状況に立っている人は、いったいどれくらいいるのか。ほとんどの人が発信していないだけで、実はたくさんいるんじゃないか。私は物を書く人間として、いつかこのことについて書きたいと、書かねばならないと思ってきた。
そんな私に、ひとつの「転機」とも呼べる機会が巡ってきた。同業の先輩である鶴見済の著作『死ぬまで落ち着かない 六十年生きてみてわかった人生のこと』の刊行に合わせて、彼にインタビューをすることになったのだ。
鶴見といえば、あの『完全自殺マニュアル』の著者でもある。“生きづらさ”について、そして“死にたさ”について考え続けてきた人だ。3つの章からなる『死ぬまで落ち着かない』の最終章のタイトルは「死」であり、ここに鶴見自身の死生観が綴られてもいる。
インタビューにはライターの仕事として臨んだのだが、彼の穏やかな語りと真摯な言葉を前に、彼のことを好きになった私は、“死にたさ”についてもっと話がしたいと思った。そうしてこの連載「割れた窓のむこうに」に登場していただくことになった。
これはセンシティブで、非常に個人的なテーマだ。だから以前は「いつか書きたい」くらいに漠然と思っていただけだった。けれども「死」というものからは誰ひとりとして逃れることができない。あなたも私も当事者だ。だから私はこれを“書くべきこと”として、今ここに記していこうと思う。

希死念慮との暮らし
私が“死にたさ”を自覚するようになったのは、10代の半ばころのことだったと記した。そのあとに本気で思い悩み、「今すぐに死ぬしかない」というところまで行ったのは、おそらくほんの数回だけのことだと思う。
早く死んでしまいたいという希死念慮が、より具体的に自ら命を断つ方法に考えを巡らせる自殺念慮へ。たとえばそのうちのひとつが、20代の終わりに脚を悪くして、「これから先の人生でも杖を手放すことができないかもしれない」と医者に言われたときだ。鶴見はどうなのだろうか。
「今日か明日にでも死ぬしかない。本気でそう考えたのは人生で二度だけです。でも過去の日記を読み返してみると、中学生のころにはすでに“死にたい”と書いている。それどころか、このころの日記は“死にたい”という言葉であふれているんですよね。
当時はとにかく自意識過剰で、理想とする自分像にそぐわない行動を取ってしまうと、もうダメ。それから、友達が口にした何気ないひと言にひどく傷ついたり。激動ですね。心が凪になることがない。
“死にたい”と同じような意味合いで、“苦しい”という言葉もたくさん出てきます。『14年も生きたんだ。もうたくさんだ』なんてことまで書いてある。すごいですよね」
鶴見の希死念慮との出会いも、やはり10代半ばころのことらしい。そして、それは今日に至るまで、消えてはいないという。ずいぶんと長いこと、こうして付き合い続けてきた。彼の新刊である『死ぬまで落ち着かない』は、「死ぬまで落ち着かなくていい」という考えからきている。
「生きるのはつらい。苦しい。それは今も変わりませんよ。うつ状態に陥って、絶望して、苦しさのレベルが高まることもよくある。だから基本的に10代のころから変わらないんですよね。学校や職場から離れたら落ち着くものかと思っていたけど、実際にはそうもいかない。こうして生きている以上、どこに行っても何かしらのコミュニティに属さないわけにはいかないし、他人と関わらずに生きていくのは無理ですから」
人間関係、将来への不安、体調の問題──人が生きづらさを感じる理由はいくらでもある。そして、これが死にたい気持ちとしてふくらむことも。生きづらさのレベルも死にたさのレベルも人それぞれで、誰かと共有し合えるものではない。だから人はひとりで抱え込んでしまい、思い悩んでしまう。強烈な孤独感に苛まれ、気がつけば抜け出せなくなっている。
「どういう環境で生きているのかと、その人が抱く死にたい気持ちって、実はあんまり関係ないんじゃないかと思うんです。苦しいと感じることに、どれだけ囚われるか。それがきっと、個人の“死にたさ”に関係しているんじゃないでしょうか。年齢を重ねるうちに、そのことに気がついてきました。だって、同じような環境で過ごしている中学の同級生の中で、自分だけが死にたいわけないですもんね」
そうなのだ。鶴見と私がこうして抱えているように、“死にたさ”を抱えるのはまったく特別なことではないはずなのだ。
なぜ死についての語りは避けられるのか
希死念慮を抱いたことのある若年層は、2023年の4月時点で、約2人に1人なのだという調査結果がある(日本財団「自殺意識調査」調べ http://www.nippon-foundation.or.jp/)。私や鶴見のように慢性的に苛まれている人は少数派かもしれない。けれども世の若者の半数は、一度は「死にたい」と思ったことがあるのだ。それなのになぜ、こうも語られることがないのか。疑問を持つ私に、鶴見は次のように口にした。
「生きることは無条件で素晴らしいこととされているんですよね。本当はいろんな価値観があっていいはずなのに、生き死にに関することとなると、ひとつの価値観を押しつけられる。文科省が学習指導要領として、“生きる力”と掲げているくらいですから。
でも調査結果にもあるように、多くの人が死にたい気持ちを抱えている。この“死にたい”という言葉を、今いる世界から“消えたい”や、人生を“やめたい”といったものに置き換えてみるとどうでしょう。ごく普通のことじゃないですか。
生きることは素晴らしいものではなくて、ずっと大変だと思ってきました。だから自分としては、死にたいと考えるのはごくごく自然なこと。人は苦しさを感じるように、死にたいと思うこともある。この当たり前のことを認めるところから始めるべきですよね」
まずは自分の生きづらさを認めること。これは30代の半ばに差しかかった私自身の、大きな変化のひとつだ。これまではどれだけ苦しくても、自分なんかが生きづらさを感じているのはおかしいと思ってきた。ましてや「死にたい」と誰かに打ち明けるだなんて。
でも35歳の実感としてあるのは、生きるのは本当に大変でしょうがないということ。心がざわつくようなことがあると、汗と動悸が止まらず、ヒステリー球ができてうまく声が出せなくなる。20代のころから付き合っているものだけど、これらは今でもかなりつらい。
包丁を使ったらすぐに洗って片づけるし、3階以上の部屋には住めない。そんな自分でも、ある人から「きみは明日も当たり前に生きられると思っているんでしょ」と言われたことがある。
びっくりしたし、込み上げてくる怒りの感情で気絶しそうになった。この微笑は歪んでいたはずだ。しかも似たようなことを別の人からも言われたことがあるのだから、他人の目にはそういうふうに、のんきなキャラクターだと映っているのだろう。そして、それはこの社会で生きていく上で、けっして悪いことではないとも思う。
その人物像を演じることで、次第に心の状態も上向いてくるかもしれない。これはうまいこと社会生活をやれている証でもあるだろうから、自分を褒めてやりたい気持ちもある。けれども私という人間は根底から誤解され、この内なる“死にたさ”は無視された。
あまりにもひどい仕打ちだし、こういったことの積み重ねによって、人は自分の生きづらさを認められなくなるのではないか。そして自分もまた誰かに対して、そういう態度を取ってしまったことがないか不安になる。
私たちがそうであるように、泰然としたイメージの年配者にだって、内に秘めているものがあるに違いない。鶴見との対話を通して、今改めて考えを巡らせている。
「この数年のうちに少しずつ、死にたい気持ちも認めようという動きが生まれてきている気がします。NHKの『あなたもパパゲーノ〜死にたい、でも、生きてる〜』っていう番組でゲストに死にたい気持ちを語らせたり(編注:「パパゲーノ」とは「死にたい気持ちを抱えながら、その人なりの理由や考え方で“死ぬ以外”の選択をしている人」のこと)、デスカフェ(編注:死生観について語り合う場)が流行ったり。
ボカロPのカンザキイオリの『命に嫌われている。』を、『NHK紅白歌合戦』の舞台でまふまふが歌っていたのも印象に残っています。あと、あいみょんの『生きていたんだよな』とかね。“なんで死んじゃったんだ”とも“死なないでほしかった”とも言わないから、初めて聴いたときは驚きました。昔なら、死にたい気持ちを打ち明けると、からかわれたり怒鳴られたりしたものです。でも、あのころと比べたらオープンになりましたね」
「生きろ」とも「死ぬな」とも言えない/言うべきではない社会で
ライターである私の実感としても、映画や演劇作品において“自死”を扱うものが増えた印象がある。私が仕事で関わり、作り手たちと言葉を交わしたものでいえば、映画『泡沫(Utakata)』も、『そこにきみはいて』も、『椰子の高さ』も、いずれの作品でも登場人物の誰かが希死念慮を抱えていたり、自ら命を断ったりする。でも、その死の理由や、自死の是非を描こうとしてはいない。そういうところに好感を持った。
残された者たちが語るのは、すべて憶測でしかないというのが私の考えだ。なぜ死んでしまったのかは、本人にしかわからない。いや、本人にさえわかっていないかもしれない。死者の関係者は誰もが当事者だ。しかしだからといって、自死の動機ばかりに囚われるのではなく、去ってしまった個人そのものを尊重すべきなのではないだろうか。
「自死に関する言説のほとんどが、死なれる立場の人からの言葉ばかりなんですよね。その声のほうが圧倒的に大きくて、死にたい人の声はかき消されている。本来であれば、どちらの声も聞こえてきて当然なはずなのに」
そう語る鶴見は、『完全自殺マニュアル』で「いざとなったら死んでもいいのだからと思えば楽に生きられる」と述べている。この考えは今も変わらない。「自殺」という手段を常に持ちながら、その機会を先送りにして生きるのだ。
「あの考えも、死にたい立場の人から出てくるものですよ。死にたい立場に立てば、また違う言葉が出てくるはずでしょうね。でもなぜかこちらは、世に出してはいけないことになっています。自殺なんてないほうがいいに決まっている。自分だってそう思っていますよ。でも今の世の中にあふれている言説は、どれもこれも死なれる立場の人からのものばかり。そのことはきちんと言っておきたいです」
今のこの社会において、「生きろ」とも「死ぬな」とも言えない、言うべきではない。生きることを前提として他者と言葉を交わすのは、実は正しいことではないんじゃないか。これが私が生きる上での考え方の軸になっている。個人の抱える“死にたさ”を、無視すべきじゃない。やはりここに帰ってくるし、これに尽きる。
ここに記してきたことは、かつての私が自分自身の暗部や恥部としてきたものだ。この原稿は一時の気の迷いによるものでもなければ、急なメンヘラ性の表出を許すものでもない。こういうことを書けば、不安定でめんどくさい人間だと思われて、仕事に影響するかもしれない。
それに、親切にしてくれる人たちに対して申し訳ない気持ちにだってなる。でも、それなりに健康で、人間関係に恵まれている自覚があっても、それでも死にたくてたまらないときがあるのだ。これは自然な感覚であるはずなのだと、ここに改めて記しておきたい。
あなたがどんな生きづらさを抱えているのか、私は知らない。私のそばにある希死念慮のかたちがどんなものなのか、うまくあなたに伝わってはいないと思う。それでもほんの少しでも、同じような苦しさを抱えている人がいるものだと、そう伝わったらうれしい。そしてもし、生きてどこかで会えたなら。私は再び、靴ひもをきつく結ぶ。春の日差しがまぶしい。
鶴見済『死ぬまで落ち着かない 六十年生きてみてわかった人生のこと』

発売日:2026年1月23日
ページ数:224ページ
判型:四六判
発行:太田出版
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