クローゼットから覗く、是枝監督の観察記録 【後編】なぜ人の心を繊細に描けるのか

2020.1.23

美しい瞬間を垣間見ることができる

 しかし。ではなぜ、是枝監督はあんなにも人の心に寄り添った映画が作れるのだろうか? 親に見捨てられた子供たちや、子どもを取り違えられた家族の心のひだを一本一本繊細に描くことができるのは、どうしてなのだろう?

 是枝監督という人は、映画の中の登場人物に心を寄せることに忙し過ぎて、生身の人間まで手が回らないのではないか、と私はこのところ考えるようになった。目の前の人間が抱くちっぽけな悩みよりも、物語の中で虐げられ、苦難と向き合い、希望を見出そうとする人間たちの爪の色にまで思いを馳せることの方が、監督にとってはずっと自然なことなのかもしれないと。

 それが「映画に選ばれた」人間の在り方ならば、それはそんなに悲しいことではないような気がする。むしろ、とても美しい。そしてその美しい瞬間を垣間見ることができるのが、監督の側で日々仕事をすることのよろこびでもある。

 そういえば、監督は私たちのことを「弟子」と呼んだことがないことに気付いた。自らを「師匠」と言うのも聞いたことがない。この上なくマイペースなのにひとりでいることが苦手な監督にとって、では我々の存在とは一体何であろうか? 部下でも後輩でもなく、同志でもないとしたら? クローゼットのドアを開けて、扉の向こうに居る是枝監督に尋ねてみようかとも思ったが、下唇を出されるのが嫌でやめておいた。

それが、私の師匠という人だから。

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