クローゼットから覗く、是枝監督の観察記録 【後編】なぜ人の心を繊細に描けるのか

2020.1.23

文=砂田麻美


『万引き家族』『真実』などで知られる、映画監督の是枝裕和。彼の仕事部屋のウォークインクローゼットを作業場とする人物がいる。

砂田麻美。
大学卒業後、映画監督の道を切り拓くため、是枝に弟子志願の手紙をしたためた。その後、『エンディングノート』(2011)、『夢と狂気の王国』(2013)と2本の監督作を発表し、国内外で高い評価を得る。

師弟関係となってから十数年。
砂田が、クローゼットの扉一枚隔てた空間から、師匠と自身の関係を見つめた観察記録の後編。

■【前編】『万引き家族』が生まれた無秩序な部屋

※本記事は、2018年4月24日に発売された『クイック・ジャパン』vol.137掲載のコラムを転載したものです。


2018年3月某日

フランス出張から戻ってきたばかりの監督が、何やら不満をぶちまけている。別のスタッフから聞くところによると、予約していた某フランス系航空会社のビジネスクラスにダブルブッキングがあって、突然エコノミーに降格するという憂き目にあったらしい。外国に行くと貝のように口を閉ざす監督を不憫に思ったのだろう、見送りのフランス人関係者が「コレエダ」が「カンヌ」であることを述べつつ交渉したらしいが、「カンヌとダブルブッキングは関係ない」とピシャリとやられたとのこと。確かに、そのふたつには関係がなさそうだ。

ところで、監督は毎回どこかに行くたびにスタッフにお土産を買ってきてくれる。釜山映画祭に行けば韓国土産を、カンヌに行けばカンヌ映画祭のオフィシャルグッズを。おかげで我が家は「カンヌ」と巨大な文字で書かれたトートバッグであふれている。

今回皆に配られたお土産は、日本でも女性に人気の店で購入した石鹸やハンドクリームだった。欲しいけど高いから買わずに我慢していた石鹸を思わぬタイミングでゲットして、思わず「これお高いんですよね……」と口にしたら、「そうなんだ? 急いでたから値段見ないで買っちゃった」と監督。さすが西川美和監督に「是枝さんはお札でお尻を拭いているらしい」と表現されるだけのことはある。

有名になることは、触られる、ということ

ウォークインクローゼットに漂う嗅ぎ慣れない香りに包まれながら私は思った。是枝監督を取り巻く環境は、この10年で少しずつ変わってきたのかもしれないな、と。映画を作る環境も然り、また“知名度”という面においても。 

思い返せばそれを私が悟ったのは、『そして父になる』が公開された直後のことだった。ちょっとした用事があって、オフィスの中にいる監督に「今お忙しいですか?」と声をかけたら、「ごめん、今からロスのスピルバーグに会いに行くんだよね」と、「これから恵比寿で焼肉」みたいな気軽さで言われた、あのときだ。

私は監督に、昨今自らの知名度に関して何か変化はあったかと尋ねてみた。すると監督は、少しばかり考えてから、「触られるんだ……」と答えた。『そして父になる』のプロモーションで連日メディアに顔を露出してから、街でおばちゃんに囲まれて、「がんばって〜」とか言われながらものすごく“タッチ”されるのだという。「それまでは触られなかったんですか?」と尋ねると、「触られなかった」と監督はすっかり景色を変えた故郷を想うみたいに大きく首を振った。きっと有名になるということは、触られる、ということなのだろう。


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砂田麻美

(すなだ・まみ)1978年東京都生まれ。映画監督。ガン宣告を受けた自身の父親の最期に迫ったドキュメンタリー映画『エンディングノート』(2011年)で初監督。監督業と並行して執筆活動もおこない、著作に小説『一瞬の雲の切れ間に』(ポプラ社)など。

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